万博に行ってきた
稲崎
先週の三連休に、
小学6年生の息子と大阪・関西万博に行ってきた。

三連休の初日、入場者数は過去最多だった。
暑いし、並ぶし、歩きまくるし、とにかく疲れた。
それでも万博はやっぱり楽しかった。
ヘトヘトになりながら東京に帰ってきた日の夜、
ひとりで湯船に浸かりながら、
「ああ、行ってよかったなぁ」としみじみ思った。
そして自分でもびっくりしたのだけれど、
目を閉じて万博のことを思い出しているうちに、
ほんのちょっと泣きそうになった。
理由はなんとなくわかっている。
心のどこかで、
「少年時代の息子」との2人旅は、
これが最後になるような気がしたからだ。

万博に行きたいと言い出したのは息子のほうだった。
人混みを誰よりも嫌がる息子の提案に、
僕はちょっとおどろいた。
思春期に片足をつっこみ、
ふだんは「めんどくさい」と
そっけない返事ばかりの彼が
「万博に行きたい」と言ってきたのだ。
そんなの親としては応えないわけにはいかない。

いざ訪れた万博会場に、僕らは圧倒された。
独特の熱気と高揚感に包まれた。
人の多さは想像以上だったけれど、
運良くいくつかパビリオンに入れたし、
天気にも恵まれた。
大屋根リングから見た夕日も忘れられない。
思い出を挙げだしたらキリがないけれど、
今回の万博で、たぶん一生忘れないのは、
初日の夜のできごとだ。

万博のおみやげを買うために1時間並び、
バーゲン会場並みの店内で
子どもの欲しがっていたミャクミャクグッズをゲット。
押し出されるように外に出たのは、18時45分。
その日は18時59分から
花火が打ち上がる予定だったので、
僕らは花火がよく見えるエリアに急いだ。
人の波はまだまだすごかったし、
夜の万博はけっこう暗い。
僕はとっさに「迷子になると大変だから」と
息子に右手を出した。
ふだんなら断られる場面だけど、
そのときの彼はとても素直に手を重ねてきた。
小さくて柔らかい手。懐かしかった。
息子と手をつなぐのはいつぶりだろう。

もともと息子はすぐに手をつなぎたがる子どもだった。
家を出た瞬間に僕の手を握ってくる。
どこに行くときも手を離そうとしなかった。
そんな彼もいまでは僕の前を歩き、
ひとりで電車にも乗るようになった。
最後に息子と手をつないで歩いた日のことを、
僕はもう思い出せない。
気づかぬうちに最後の日は
とっくの昔に過ぎ去っていたのだ。

スクランブル交差点のような人混みをかき分ける。
息子と手をつないで歩く。
これが最後だと思いながら歩いた。
人混みでそれ以上進めないところまで来たのは、
たぶん打ち上げ時間ギリギリだったと思う。
「このへんにしようか」と手を離し、
僕が折りたたみ椅子を出そうとしゃがんだ瞬間、
息子の「あっ」という声が聞こえた。

その場にいた全員が夜空を見た。
金色の光がゆらゆらと上がり、パッと放射状に広がる。
その直後、ビリッとした空気の振動と、
ドスンと重い音が全身に響いた。
息をのんだ。
ああ、何年ぶりだろう。
こんなに近くて、こんなに大きな花火を見るのは。
折りたたみ椅子を手にしたまま、
久しぶりに見た花火の美しさに言葉を失ってしまった。

湯船に浸かりながら、
万博でのできごとを反芻する。
いま感じているこの生き物みたいな感情は、
少しずつ薄れながらやがて消えていく。
花火を見ていた少年の横顔も、
そのうち思い出せなくなるのだろうか。

来年、息子は中学生になる。
声変わりもするだろう。
僕の身長もいずれ越えるだろう。
それはたまらなくうれしいことだ。
うれしくて、楽しみで、
やっぱりほんのちょっと泣けてくる。

腕にはTシャツの日焼け跡がくっきり残った。
この日焼けもそのうち消える。
あの花火のように消える。
ぜんぶ消えても思い出は残る。
かつて父と万博に行った。
10年後、30年後、50年後、
あの日の少年がそのことさえ覚えていてくれたら、
もうそれで十分だ。
今日の一枚
万博会場に咲いた大輪の花。夜は風もあって心地よかったです。夏の終わりのご褒美のような時間でした。

最近の読むもの・観るもの

毎日更新!