2024年、神奈川県のYさん宅の水槽で、
国内2例目となる珍しい
「モトスマリモ」が発見されました。
このまりも、日本の自然界では見つかっておらず、
なぜか民家の水槽にだけ出現するという
謎だらけのまりもだったのです。
多摩川でひろった1個の石。
妻からの一言。まりもを見つめるエビ。
いくつもの偶然がYさんのもとで重なり、
歴史的な大発見へとつながっていきます。
さらに物語の糸をたぐっていくと、
すべてのはじまりは約70年前、
ある少年の自由研究にたどり着き‥‥。
ニュースでは報じられなかった
まりも発見に至るまでのエピソードの数々、
Yさんのご自宅でたっぷりうかがいます!

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第7回 はじまりは少年の好奇心。

Yさん
きょうはありがとうございました。
まりもの話ができてうれしかったです。
──
こちらこそありがとうございました。
Yさんがメールをくだったおかげで、
ぼくたちもまりもについて知ることができました。
Yさん
最後にひとついいですか。
これは信じてもらえない話かもしれませんが。
──
はい?
Yさん
じつは、ほぼ日手帳が出た最初の年から、
ずっと使いつづけているんです。
いまは仕事用にカズンを、
プライベート用はオリジナルを使ってます。
──
えっ、そうだったんですか! 
ひゃーー、ありがとうございます。

Yさん
手帳は毎年欠かさず買っていたのですが、
じつはまりもを発見した2024年だけ、
なぜか買い忘れてしまったんです。
その年だけ、たまたま。
──
あら。
Yさん
2024年の元日に科博さんに連絡して、
そのあと新種かもしれないとなって、
大変な1年になりそうな気がしたんです。
それでやっぱり日記をつけようと思って、
3月に神田にある「TOBICHI」に
手帳を買いに行ったんです。
──
あー、そうでしたか。
Yさん
それが3月9日だったのですが、
そのときの手帳をいま見てみると、
こんなことが書いてあったんです。
「いつかほぼ日と一緒に何かできないか」って。

──
ほんとだ!
Yさん(妻)
へぇー、そんなこと書いていたんだ。
私も知りませんでした。
Yさん
どうなるかわからない時期でしたけど、
こんなことを思っていたみたいです(笑)。
3月上旬ということは、
まだニュースになる前ですもんね。
Yさん
なので、久々に手帳を見て思ったのは、
やっぱり「想像する」って大事なんだなって。
「こんなことあるといいなぁ」って、
なにげなく書いただけなんですけど。
──
これは完全に引き寄せてますね(笑)。
Yさん
たまたまですけどね(笑)。
──
いま思ったことですけど、
もしかしたら奇跡みたいなことって、
意外と身近にあるのかもしれないですね。
自分がそれに気づいていないだけで。
Yさん
ちょっとそう思っちゃいますよね。
──
きょうのお話もそうですけど、
モトスマリモ自体は、
ずっと民家の水槽にいたわけで。
いたことはいたけれど、
とくに注目されずに無視されていたか、
あるいは掃除のたびに捨てられていたか。
──
そうやって考えると、
国立科学博物館に問い合わせたYさんの行動力が、
すべてを変えたわけですね。
そうだと思います。
気になってネットで調べる人はいても、
専門家に連絡までする人はいなかったわけで、
その差はものすごく大きいです。

Yさん
しかも1月1日に(笑)。
──
なんでその日だったんでしょうね(笑)。
Yさん
妻に話したときも
「ほんとに言ったの?」とびっくりされました。
Yさん(妻)
「また大袈裟なことして」とは思いましたね。
なんでもない可能性だってあるわけですから。
──
ふつうはそう思っちゃいますよね。
いろんな歯車が絡み合ったんでしょうね。
──
Yさんがメダカを飼っていた。
多摩川の近くに引っ越しをした。
石をひろった。
ぜんぶ偶然ですもんね。
Yさん
あと、エビですね。
──
エビがまりもを守っていた。
それから奥様の観察眼も。
Yさん(妻)
いえいえ。
Yさん
実際、今回の発見者は妻なんですよね。
「これ、まりもじゃない?」って言われなければ、
たぶんこんなことにはなっていなかったので。
いろんな偶然が重なってます。
このご夫婦でなかったら、
いまだに発見されていなかったかもですね。
──
小さな偶然がぜんぶつながって、
辻さんのもとにまりもが届いたって思うと、
これはもう奇跡のような話ですね。
Yさんがその小さな奇跡に気づいて、
うちに連絡してくれたおかげで、
去年は私の人生の中でも激動の1年になりました。
もともと微細藻類の研究者だったのに、
いつの間にか「まりもの人」ですから(笑)。

Yさん
辻さんの人生を変えてしまった!
──
多摩川で石をひろうからこんなことに(笑)。
Yさん
なんか、すみません(笑)。
まあ、いまは落ち着きましたけどね。
私はそもそも「微細藻類」といって、
顕微鏡で見るようなものが専門なんです。
──
本格的にまりもに関わりだしたのは、
いつ頃からなんですか。
まりもには2011年から関わっています。
亀田良成さんという方が、
絶滅危惧種の「フジマリモ」を家で育てていると、
国立科学博物館に連絡してくださったときからです。
いまはもう77歳になられる方で、
彼の実話をもとにした
富士山のまりも』という本も出ています。
Yさん
これですね。
そうそう、これです。

▲『富士山のまりも』(福音館書店)
▲『富士山のまりも』(福音館書店)

──
この本、ぼくも読みました。
まりもについて勉強しようと思って買ったのですが、
ストーリーがものすごく感動的で。
Yさん
すばらしいお話ですよね。
『たくさんのふしぎ』という
子ども向けの月刊誌に掲載されていたそうです。
私も子どものときに、その雑誌を購読していたんです。
──
昔からそういうことに興味があったんですね。
Yさん
好きでしたね。
いまでもNHKの『ダーウィンが来た!』は
録画して見ていたりします。
『富士山のまりも』は、ほんとうにいい話です。
──
読者のためにすこしだけ説明すると、
亀田さんという方が小学生だったとき、
山梨にある山中湖で見つけたまりもを
夏の自由研究のために持ち帰って、
東京のおうちでずっと大事に育てていたと。
それが1956年だから、
70年近く前の話ですよね。
そうです。
──
その亀田少年が持ち帰ったまりもは、
1958年に天然記念物になって
採集ができなくなります。
そのあと山中湖の環境が急激に悪化し、
そのまりもはほぼ絶滅状態になり‥‥。
2007年に湖底にごく僅かな糸状のものが
見つかったくらいでした。
──
ところが、さきほどの亀田さんは、
小学生のときに持ち帰った絶滅危惧種のまりもを、
そのあと50年以上、
ずっと大事におうちで育てつづけていた。
Yさん
すごい話ですよね。
それで2011年に、
絶滅のニュースを知った亀田さんが、
国立科学博物館に連絡をしてきたんです。
そのとき遺伝子解析を担当したのが、私でした。
Yさん
そこが最初の関わりですか?
そうなんです。
それまでまりものことなんて、
まったく研究したこともなかった(笑)。
一同
(笑)
──
きっかけは亀田さんなんですね。
はい、亀田さんからです。
そこから一所懸命論文を読んで、
まりもの研究をするようになりました。
そのあと亀田さんといっしょに小学校をまわって、
まりもの出張授業も定期的にやっています。

──
もう完全に「まりもの人」ですね(笑)。
モトスマリモを最初に見つけた
甲府の発見者の方は、
その出張授業のニュースをテレビで見て、
科博に連絡をくれたみたいです。
「うちの水槽にもまりもが‥‥」って。
──
あ、そうなんですね! 
で、その甲府のニュースをYさんが見て、
「なんかうちのに似てるぞ」と思った(笑)。
Yさん
つながってますね(笑)。
まりもの歴史がいま一本の線につながりました。
もっというと、
そのYさんの発見のニュースを見た人が、
科博にまで情報をよせてくださったおかげで、
まりも研究が一気に前進します。
なので、そこまでぜんぶつながってます。
Yさん
うわぁ、おもしろい。
──
今回のまりも発見に至るまでの
歴史をさかのぼっていくと、
約70年前、小学3年生だった亀田さんが
山中湖でまりもを見つけたところに行き着く‥‥。
そこがすべてのはじまりですね。
Yさん
壮大な歴史ですね。
──
『富士山のまりも』の本のつづきがあるとしたら、
きっと今回のYさんの話も出てきますね(笑)。
Yさん
まさかこの本のつづきに、
自分が関わることになるなんて‥‥。
石をひろうって大事なんですね(笑)。
わははははは。
人生なにがあるかわからないものですね。

(おわります。ありがとうございました!)

2025-09-01-MON

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