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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-02-09

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「たのしみ」をみんな大好きだ。
 なにかを「たのしむ」ために、
 なんならなにかを犠牲にしてもいいとさえ思う。

 「たのしみ」なことが先にあると、
 それまでの時間も、「たのしみ」になる。

 うまく「たのしめた」ことは、
 そのあとの、かなり長い間「思い出」になってくれる。

 「たのしみ」は、ひとりで「たのしむ」こともあるし、
 他の人といっしょに「たのしむ」こともある。
 そうすると、いっしょに「たのしんだ」人たちのことも、
 好きになったりもする。

 「たのしむ」ことを怖れる人もいる。
 「たのしんでしまう」と、わるいことが起こったり、
 なにかが減ったりするかもしれないと考える人もいる。

 「たのしみ」を思いつくのはとても大切なことだ。
 「たのしみ」を思いつけない人にとっては、
 「たのしみ」を思いつく人のことは憧れにさえもなる。

 「たのしみ」はお金で買えることもあるけれど、
 もちろんお金で買えないこともある。
 そして、お金で買えない「たのしみ」のほうが、
 なんだかよかったりもすることも、みんな知っている。

 ある人の「たのしみ」が、
 別の人の「たのしみ」であるとはかぎらない。
 「たのしみ」がいっしょになることもある。

 そして、
 「たのしみ」もとてもいいけれど、
 だんだんとみんな気づきはじめている。
 「たのしみ」と「たのしませ」があることに。
 「たのしむ」こともすばらしいけれど、
 「たのしませる」ことの「たのしさ」は、
 なんだか、もっと「たのしそう」だなぁ、と。
 「たのしませ」って、最高の「たのしみ」なのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「たのしませ」の側にはもちろん「たいへんさ」もあるけど。


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