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2019-01-24

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・乗っている列車が、停車している駅から動き出すとき、
 「あれ、反対方向に向かってないか?」と
 思ってしまうことがある。
 これは逆向きじゃないかと、たしかに思うのだけれど、
 おそらくじぶんのほうが間違っているのだろうと、
 なんとか方向感覚を修正しようとする。
 しばらくすると「あ、これで合ってた」と、
 正しい現実に気づくことになる。
 あの、頭のなかがぐるりと一回転するような感じは、
 とても気持ちがわるいのだけれど、ちょっと快感がある。

 旅先などで、眠って起きたときに、
 「あれ、ここはどこなんだ?」と、
 じぶんと場面がつながってない感覚になることもある。
 これも、数秒もかからずに「あ、そうか」と諒解するが、
 この短い時間に起こるこころの「ずれ」も、
 気持ちはわるいのだけれど、いや、ちょっと快感がある。

 熱があって寝ているときに見る夢に、
 よく「巨大ななにか」というものが出てきた。
 とても恐れているのだが、なんだかわからないのである。
 壁といえば壁かもしれないが、とにかくわからない。
 言えるのは、ただただ大きすぎて大きすぎて、
 それが恐ろしくてしかたがないのだ。
 襲いかかってくるということでもないのだが、
 「大きさが怖い」というだけで、うなされるのである。
 高熱が出たときのおなじみの夢だったのだけれど、
 いつのまにか、その巨大ななにかを見なくなった。
 いやでいやでしょうがなかったのだが、少しなつかしい。

 気持ちわるいのだけれど、気持ちいいようなこと。
 しかし、それを気持ちいいとは言い切れないこと。
 そういう妙な感じは、望んで得られるものではない。
 でも、そういうものも含めて、
 「わたしの感じてきたこと」なのである。
 悲しいはずなのに、悲しさが降りてこないような時間。
 ずっと笑っていたのに、さみしさが増えていく心持ち。
 名付けようのない、しかも取るに足らないような感覚は、
 ないことにするわけにいかないものではある。
 あるよあるよ、と殊更に言うことでもないのだけれどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
好きな悪夢の代わりに、ぼくらは映画を観るのかもしれない。


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