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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-01-21

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・無条件で、ということは大いにある。
 担保だとか、お礼だとか、恩義だとかに関係なく、
 無条件でなにかしてもらったり、なにかしたり…
 ということは、どんな時代になってもたくさんある。

 破られてもかまわないと思ってする約束もある。
 返済されないことを覚悟して金を貸すこともある。
 そういうことが、いまの世知辛い世の中では、
 すっかりなくなったように思い込まされているけれど、
 事実は、そういうものではない。
 だまされやすいだとか、お人好しだとか、
 ちょっと考えが足りないかのように言われたとしても、
 それは、言うほうの人になにかが足りないのだと思う。

 ぼくらが、わたしたちが、
 いま生きているということは、
 歩けないどころか、目も見えない赤ん坊のときに、
 だれかに生きるようにしてもらえたということだ。
 そのだれかとは、ほとんどの場合は親という人たちだが、
 それだけとは限らない。
 生まれてきた赤ん坊を生きさせるためには、
 かなりたくさんの人が協力しているはずだ。
 無条件で生かしてもらったから、ぼくもいまここにいる。

 「じぶんは、無条件で愛されたことがある」と、
 なんとなく覚えている人の生きる道は、
 幸福に彩られているような気がする。
 「あなたを、無条件で愛するよ」と、
 ことさらにことばで言いたてるわけでなく、
 自然な姿勢で赤ん坊に伝えてやれたらいいよね。
 伝えられるように生きた親も、伝えられた赤ん坊も、
 とても自由で安らかな気持ちで人生を歩めると思う。

 無条件で、ということは、いくらでもある。
 おそらく、どれほど貧しい時代でもあったはずだし、
 なにかと世知辛くなっているいまの時代でも、
 いろんなところに「無条件で」はあるに決まっている。
 ないと思うほうが不自然なくらいだ。
 「無条件で」を信じたいと思うから、
 じぶんから「無条件で」なにかしてみたりもする。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
無条件で愛されることが、あらゆるこどもにあるといいな。


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