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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-08-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昨日はなんだか野球のことを話したくなって、
 「打点王」についてあれこれ書いて、最後に
 「こういうこと書いた日は、
 おそらく反響が少ないと思うの」とまとめたら、
 気の毒に思ったのか、ずいぶんメールをいただいた。

 今日は、どうなんだろう? 
 おじいさん、おばあさんからメールが届くのかなぁ。

 「じぶんちのこども」という話である。
 「じぶんちのこども」を見る目は、絶対に曇っている。
 どこの家のこどもも、生まれたばかりのときには、
 多少ひいき目に見ても赤黒いようなサルそのものである。
 しかし、「じぶんちのこども」に限っては、
 その例外というか、「あんまりサルじゃない」のだ。
 やがて、日が経って、生まれたてのサル時代が過ぎると、
 こんどは「おすもうさん」になってくるのが常識だ。
 そのときにも、「じぶんちのこども」については、
 「ちょっぴりおすもうさん」くらいにしか見えない。
 また時が経って、そのころの写真を見たりすると、
 「ずいぶんおすもうさんだった」と知ることになる。
 実際におサルさん、おすもうさんの時代には、
 そのおサルぶり、おすもうぶりが目に入らなかったのだ。
 親をやって、この目が曇るしくみについて知識を得た。
 そして、おじいさんになって、親たちに言ってやったの。
 「生まれたてのおサルの時代、おすもうの時代には、
 じぶんを偽って無理にかわいいと思う必要はないぞよ。
 その後、どんどんかわいくなっていくから」とね。
 そしたら、現実そのときになると「あれ?うちのこは、
 あんまりおサルじゃない」とか言い合うようになって、
 さらに「それほどおすもうでもない」とも語り合った。
 いま、時間が経って当時の写真を見ると、
 よそのこ以上のおサルで、村中で一番のおすもうだった。
 おじいさんになっても、目が曇るものなのであった。

 「かわいい」に客観性を要求することもないのだけれど、
 ある程度は、おちついた目で見ようとは思っていたのに、
 まったく、それは叶わなかったということを知った。
 しかしねぇ、この曇った目をうまく利用できるからこそ、
 こどもは「ほめられて育つ」ことになるのだろうねぇ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんも、もとは「じぶんちのこ」だったはずなんだよね。


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