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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-07-30

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「重圧で棄権」という見出しが目に入った。
 女子体操界のスター選手が、決勝の試合を棄権したという。
 「讀賣新聞オンライン」から引用すると、
 「以前ほど自分を信用できない。
 緊張するし、楽しくも感じなくなった」と語っていると。
 ニュースになるくらいのことなのだと、あらためて思った。
 短いコメントで語りきれるようなものではないだろう。
 きっとかなりたくさんの思いが最大にまで膨らんでいて、
 勇気を振り絞って「棄権したい」と言ったのだろう。
 ぼくが気がついてなかっただけかもしれないが、
 精神的な重圧を理由に、大きな競技を棄権した人というのは
 いままでには聞いたことがなかった。

 しかし、ちょっと考えたら、
 「重圧に押し潰されてもなお出場した人」は、
 数え切れないほどいたにちがいないと思えた。
 どこかを身体的に傷めている「けが」であるとか、
 発熱だとかのほうを理由にして欠場した人たちも、
 言えるなら「精神的重圧」を言いたかったかもしれない。
 そのへんのことは、当事者でないぼくなんかが、
 想像だけで言えるようなことではないけれど、
 試合後のエピソード報道などのなかに、
 「青ざめていた」だとか、「試合前に吐くんです」とか、
 「逃げ出して帰りたいと思った」というような発言は、
 いくらでも発見できる。
 それに耐えてこそ、そのあとの経験やら歓び、
 そして誇りを味わえるとも言えるのだろうが、
 ほんとうに「棄権」せざるを得ないほど
 追い詰められていることもあるということを、
 ぼくは、あらためて意識した。

 いろいろなものごとが、勝ち負けで判断されるけれど、
 肉体的な強さ弱さ、そして勝ち負けと同じように、
 精神的な強さ弱さもあり、勝ち負けも当然あるわけだ。
 弱さに打ち克つことも称賛されることなのだけれど、
 メンタルの弱さで負けることも、罪ではないはずだ。
 「これまでは強くいられて勝ってきた選手」が、
 「精神的に出られません」ということは、
 人間の持っている豊かな可能性のひとつとして
 尊重されることなのだと、読みながらぼくは考えていた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
思えば、敗者がなければ勝者もない。忘れがちなことだった。


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