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2019-07-21

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・嘘をつきとおすことは、ほんとうにむつかしい。
 いや、ひょっとしたら嘘をつきとおすことなど、
 簡単だと思っている人もいるかもしれないけれど、
 ぼくは、人間にはむつかしいものだと考えている。

 その説明は、もう名作古典の領域にある。
 「ひとつ嘘をつくと、
 その嘘をほんとうに見せるために、
 また別の嘘をつかなくてはならなくなる。
 そして、後からついた嘘を、またごまかすために
 別の新しい嘘をつかないといけなくなる。
 やがて、いくつもの嘘が絡まりあって、
 どうやって嘘がばれないようにするか
 ということばかり考えているような生き方を
 強いられてしまうようになる。」
 親やら先生やら、よき先輩やらから、
 きっとだれでもが教えてもらったことのある法則だ。

 倫理としてではなく、ぼくなりのまとめ方をするならば、
 嘘をつくことは、
 じぶんの「自由」を失わせるということだ。

 じぶんの損得や、気の弱さやらでつく嘘もある。
 人を陥れようとつく嘘もあるし、武器としての嘘もある。
 そして、緊急避難的に、つかざるを得ない嘘だってある。
 おねしょしたこどもが、してないよと言い張るのも嘘だ。

 できそうもないことだけれど、一切の嘘を禁じられたら、
 人間社会は崩壊してしまうかもしれない。
 人の生きている場は、どんな時代でも、
 「ホントと嘘とどちらでもないもの」でできているから。

 嘘をついてしまったり、
 結果的に嘘になるようなことをしてしまうと、
 そのせいで、どうしたって自由が小さくなる。
 どこで、どんなふうに嘘をついたのかを、
 あきらかにして謝ると、罰を受けるかもしれないけれど、
 嘘をついて失っていた自由は取り戻せる。
 嘘をつかないことでのめんどくささは自由へのコストだ。
 それは、ずいぶん高いんだけど、払ったほうがいい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
倫理として語られることを、そうでなく説明できたらなぁ。


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