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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-09-19

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・今年になってはじめて、冬がくることを思った。
 夏は、もう思い出のようになりかけている。
 しばらくは、もう秋になるねとか、
 秋が来ているよとか思っていたのだが、
 いろんな秋めいたことをしているうちに、
 ああ、やがて冬がくるなぁと思ったのだ。
 舗道の落ち葉やらに目がとまり、
 長い雨の肌寒さやら、朝や夜のくしゃみやらがあった。
 そういえば、新栗のお菓子もいただいたし、
 ずいぶん細長い初物のさんまも食べた。
 もうじき冬がくるんだよなぁと思ってもおかしくない。

 「ひとつ手前」にならないと、思わないものなのだ。
 夏に、冬がくるというと、ちょっと冗談に聞こえる。
 「そうだね、毎年、冬はくるね」とか言われてしまう。
 秋をとばしていることが不自然だからなのだろう。
 でも、冬がくることそのものは当然のことなのにね。
 夏の間に、冬支度をしていることは少ないけれど、
 仕事の計画なら冬どころか、次の春や夏のこともしている。
 それでも季節は「ひとつ手前」にならないと、思わない。

 「ひとつ手前」って、もう「そこ」に行ったようなもので。
 しかも、まだ「ひとつ手間」なので行ってはいない。
 だけど、「ひとつ手前」には、
 「そこ」の成分がすでに散らばっているというか、
 ときどきは「そこ」そのもののようなのである。

 秋は冬の「ひとつ手前」で、冬ではないのだけれど、
 秋のなかにはときどき冬の成分がある。
 秋の「ひとつ手前」の夏には、冬の成分はない。
 婚約は結婚の「ひとつ手前」で、
 決勝の試合は優勝の「ひとつ手前」である。
 「ひとつ手前」にどうやって行くのかのほうが、
 ある意味「そこ(目的地)」に行くよりも大変なことで、
 もう「ひとつ手前」に行けたら「そこ」と言えるくらいだ。
 だーけど、「ひとつ手前」は「ひとつ手前」なんだよなぁ。

 すっかり秋になって、はじめて冬のことが思えてきて、
 いま、ぼくは、一年のうちでいちばん冬のことを
 美しく思っているのではないだろうか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
四季とは「感じ」なり。他のいろいろ以上に「感じ」なり。


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