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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-02-17

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・赤ん坊が、日々成長して、
 なにかがちょっとずつできるようになってくる。
 なだらかな坂を上るようにも変わっていくし、
 階段をひょいと上るようにも変わっていく。

 「這えば立て、立てば歩めの親心」というけれど、
 赤ん坊を見守る大人たちが無意識やっているいいことは、
 こどもの成長を、加点法的に見ているということだ。
 「できるようになったこと」をひとつずつ発見して、
 それを足し算しては「じょうずだね」とよろこぶ。
 まだハイハイのできない赤ん坊に対して、
 「まだハイハイもできないのか」という具合に、
 できることからの減点法で見ていたら、
 毎日がずいぶんと息苦しいことになるだろう。

 ちょっとでもできるようになったことは、
 ひとつずつ立派な勲章のようにピカピカに輝いて、
 そのこどもの誇りになって増えていく。
 「まだ、あれができない、これができない」と、
 大人と比較して急かせるわけでもなく、
 周囲の早熟なこどもと比べて嘆くわけでもなく、
 「できたら、できるごとに、よろこぶ」加点法なのだ。
 これは、すばらしいやり方だなぁと、いまさら思う。

 大人の成長がむつかしくなるのは、やっぱり、
 理念としての完成形から、
 減点されて始まるからではないだろうか。
 山登りの喩えでも、てっぺんに立つのが完成である。
 そこまで、あと何キロと数えて登っていく。
 いつでもそのとき立っている場所が、
 頂上から引き算されていることになるのだ。
 いわゆる「目標」を立てて、そこに至るというやり方は、
 すべて減点法であるとも言えるだろう。
 こどもが育つときのように、
 これを加点法に変えることはできないものだろうか。
 「目的」に到達することを意識するのではなくて、
 日々、一歩あるいは二歩三歩進む過程を、よろこぶ。
 それを繰りかえしているうちに、ただの目的地と言わず、
 あらゆる場面に行ける能力が身につくのではないか。
 ちょっとした思いつきなのだけれど、考えてみたいなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
2006年に「ほめるとなぜ伸びるのか?」を書いていました。


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