好評です!
ほぼ日のアプリあります。

logo_1101

2019-02-21

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「努力できることが才能である」だとか、
 「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」とか、
 普段の下ごしらえが大事だということ、
 ほんとうによく言われますよね。
 あんまり言われるものだから、
 ひとつの普遍的な法則として信じられかけています。
 努力というと、どうしても「苦労」とか「つらい」という
 イメージがつきまとうのですが、
 苦しそうでもつらそうにでもなさそうに、
 やるべきことをやっている人もいるように思います。
 精神や身体にかかっている負荷は同じだとしても、
 わざわざ「苦しいことつらいこと」みたいに表さなくても
 いいんじゃないの、と、ぼくは考えています。
 いやいや、ふつうに愚痴も言いますし文句も垂れます。
 だけど、努力は尊いという信仰みたいになっちゃうと、
 苦しいから価値があるみたいなことにもなりがちです。

 「1%のひらめきを支える99%」のことは、
 努力と言わずに、「善き習慣」と名付けたら
 いいのではないかと思うんですよ。
 たとえばね、インナーマッスルを鍛えるだとか、
 ランニングで心肺機能を高めるだとか、
 トスバッティングを工夫しながら続けるだとかを、
 いままで「努力している」と言いがちだったんですけど、
 野球の選手が熱心に、あるいは集中して
 「善き習慣」を続けている、
 と言ったほうが現実に近いと思うんですよね。

 ぼくは、前々からこの「善き習慣」ということばを
 よく使っていました。
 それは、こういう使い方でした。
 「風邪をひくとそれまでの善き習慣がワヤになるね」。
 つらいとか苦しいとかことさらに言うのでなく、
 ある毅然とした緊張感を持ってやることをやっている、
 ということこそが、「善き習慣」というものであります。
 これは思うんですけどさ、努力より強いです、たぶん。
 愚痴を言ったり文句を垂れたりしながらも、
 毎朝顔を洗うように続けていることこそが、
 「1%のひらめきを支える99%の土台」でしょう。
 そして、これは、たのしくだってできそうですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ま、苦しそうでないとギャラがもらいにくいとも言えるが。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る



カート