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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-05-12

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・小さな子どもが、なにかをおぼえていくさまは、
 まったく大人としてうらやましくてしかたがない。

 ぼくなんかもその一員だけれど、大人の場合は、
 なにかの方法を系統立てて順序立てて、
 うまくやるにはどこがどうなっていればいいのかとか、
 まずは、もっとも基礎になる部分はどこなのかとか、
 ちょっとやってみて、どこがうまくいってないのかとか、
 せせこましくあれこれ試し続けているうちに、
 最初にやりたかった動機さえも薄れていってしまう。

 ま、仮に、ギリシャ語の歌を歌いたい場合だったら、
 ギリシャ語の歌詞にカタカナでルビを振ってさ、
 単語の意味なんかも調べて、
 歌のテーマに沿った歌い方なんかも教わったりして、
 こつこつと少しずつ暗記していって、やっと歌う。
 そして、うまくいっただの、いかなかっただの、
 ぐだぐだと言ってるうちに、ひと月くらいが過ぎちゃう。

 ところが、日本語をおぼえはじめたての幼ない子が、
 「レット・イット・ゴー」なんかを歌っている。
 「だれにも打ち明けずに悩んでた」みたいなこと、
 2年ちょっとしか生きてない人にあるわけもない。
 「ありのまま」ということばは、知っているのか? 
 よく知りはしないのだけれど、歌っちゃうのだ。
 うれしそうにとにかく「まるごと歌う」。
 そして、そのうちに「わかる」ことを発見して、
 それをこころのなかに、少しずつ貯めていくのだろう。
 こういうのを「無意識的記憶」というらしいのだが、
 それは、歌をおぼえていくことばかりでなく、
 ブランコをこぐことも、ボールを投げることも、
 トランポリンで跳ぶことも、すべて同じだ。
 「やりたくて、飛び込む」というやり方なのだ。

 ぼくが子どもだったときにも、同じだったはずだ。
 わかる必要なんかないまま「やりたくて、飛び込む」。
 未知のものごとが洪水のように押し寄せてくるのを、
 わぁわぁと大歓びで受けいれて、そこで泳ごうとする。
 もう、そういう年齢じゃないんだけどさ、おれ。
 そういうものに強い「あこがれ」は持っているなぁ…。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「やりたくて、飛び込む」は、けっこうマネできるはずさ。


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