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2019-09-19

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

矢沢永吉が広島の駅から夜汽車に乗って、
 東京に向かってやってきた。
 そして、どういうわけか東京ではなく横浜で下車して、
 その地からロックンローラーとして出発した。
 ここまでのことは、もうひとつの伝説になっている。
 「どうして横浜で下りたの?」という質問には、
 「わからないんだよ、どうしてだったんだろう。
 東京に着いてしまうより、手前の横浜で下りたほうが、
 なんかストーリーがあるような気がしたのかな」
 というような話は聞いたことがある。
 ときには、笑いながら、
 「ずっと夜汽車に乗っていて、飽きたし疲れたしね、
 ケツが痛くなったんじゃないの」
 と他人事のように言うこともあった。
 「横浜。港町…リバプールも港町、よしここだ」
 という答え方をしたのも聞いていた。
 このときのことについては、ぼくも何度か考えた。
 東京に着いてしまったら、ひとつのゴールにも見える。
 あくまでも東京は目指す場所なのである。
 線路の上を走って乗客として着いてはおもしろくない。
 横浜から、こんどはじぶんの力で東京に向かう。
 そういう感覚があったんじゃないかなぁと思うのだ。

 広島から何万円かの軍資金を持って、夜汽車に乗る。
 そのとき、ギターを持っていたのはイメージできる。
 しかし、その他にどんな荷物を持っていたのか、
 いままで、それを訊いたことがなかった。
 どんな答えでもまったくかまわない。
 二十歳前の少年のだれもが手に入れられるような、
 「ありきたりのもの」だったにちがいないのだ。
 つまり、その年齢の男のこが持っているものには、
 たいしてちがいなんかありゃしない。
 その「ありきたりのもの」から、
 みんなが同じようにスタートしてきたのだ、矢沢永吉も。
 先日、その荷物について本人に質問した。
 「そういえば、訊かれたことなかったねぇ。
 憶えていないくらい、なんでもないものばっかりだよ。
 あのバッジとか入れてたブリキの缶とかね、
 少しの着替えというか、服と、マンガだとかね。
 なんせ、18歳のガキだからなんにも持ってないよ」。
 想像どおりの「ありきたりのもの」だった。
 そういうところからはじまったストーリーなんだよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
永ちゃんと岩田さんが会ったてたら、と、よく想像します。


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