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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-03-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・エキシビション・ゲームとはいえ、
 大谷翔平選手は、日本の人々にホームランを望まれ、
 「それよりは勝つことが大事」とは言いつつも、
 やっぱりホームランを打ってニュースをつくってしまった。
 だからスーパースターなんだよ、とも言うことができるし、
 スーパースターは、こうでなきゃとかも言われてしまう。

 でもねー、ほんとうに当たり前のことを言うけれど、
 生まれたときからのスーパースターなんていないんだよね。
 みんな、歩けもしない話せもしない赤ん坊からはじまって、
 いろんなふうに枝分かれして、野球をする人になったり、
 楽器を演奏する人になったり、お笑いをやる人になったり、
 ジャグリングする人になったりしていくだけだ。
 「才能」があるとか「才能」が磨かれるとか言われるが、
 「才能」でやれることには限界がある
 (限界があるらしいと、ぼくは聞いている)。

 大谷翔平ばかりではなく、すごいことをやっている人は、
 「だれが、なにをするのか、どうやって」について、
 いつも考えているし、そのためのことをしているのだ。
 いまの大谷だったら、走塁して滑り込んだときに
 身体を傷めないための方法を考え、試して、
 練習していることなども伝えられているが、
 これを実行している「主語」は「才能」ではない。
 「大谷が、盗塁する、怪我をしない方法で」ということだ。
 それを見て感心しているぼくは、「だれが」のところも、
 「なにをする」も「どうやって」からも外れている。

 すっごく短く言うと「おれがやる」を、
 いつも意識している人が、やっぱり「やってる」んだよね。
 スポーツのスターだとかチャンピオンを例に出すと
 話はわかりやすいんだけど、一般社会でも同じなんだ。
 よく「創業社長」の人はおもしろいって言われるけど、
 それもそのはずで「おれが、なにを、どうやって」について
 ずっとやってきたから「創業社長」として知られたわけで、
 「他のだれかが、なにかを、どうにかする」じゃないんだ。
 「おれが」を繰り返しているから得意になったんだ。
 「なにをする」を考えてきたからできるようになったし、
 「どうやって」を必死で試したからうまくいった。
 ね、ほんとに「才能」の話じゃないって、わかるだろう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
みんな、「才能」とか「素質」を大きくとらえすぎてるよね。


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