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ほぼ日刊イトイ新聞

2022-12-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ずいぶん年下で、少年だと思っていたようなともだちが、
 すっかり大人になって、子どもが生まれたりもして。
 さらに、その娘さんがりっぱに大人になっていたりね。
 その長い時間は、じぶんの上にも重なっているわけだ。

 そういう年下のともだちとLINEをやりとりしていてね。
 娘の娘が少し闇の濃くなった夕焼けの公園にいて
 サッカーボールで遊んでいる、という写真を送った。
 「ああ、もう、来年が待ってるねー」と添えて。
 「小田和正さんの歌が聞こえてきそうな写真ですね」と
 返ってきたので、ついつい
 「ああ。それぞれの年齢によって
 夕暮れの写真はちがって見えるね。
 4歳さんと、74歳さんでは、
 まったく別のあかりに見えていそう」と書いた。
 生まれたばかりで、これからばかりが見える4歳と、
 夕焼けの色の向こうにエンディングを感じる74歳。
 きみには、どんなふうに見えているのでしょうか、
 というようなつもりで書いたのだと思う。
 ここで終わりになるかと思ったら、また返信があった。
 「あかりは少し違うのかもしれませんが、
 『時』は同じかと。そんな『時』を
 僕らはそれぞれの価値観で過ごしている気がします」

 同じ「時」に、4歳も、74歳も、50歳も、
 それぞれがみんなちがうことを思いながらも、生きている。
 「同じ時」に、みんながいるという実感。
 あの夕焼けの「時」の上に、こんなにみんながいる。
 そう考えたやつは、すっごくいいぞと思った。
 若いときから、ときどき思いがけないような角度から
 ものごとを見ている人だったけれど、
 ぼくの視線より、きみの視線のほうがかっこいいぞ。
 見習いたいぜと、ぼくは思った。
 残された時間を思うより、そっちのほうが大きくていいや。
 何歳の人も、どこの国の人も、うれしい人も、悲しい人も、 
 同じ「時」の上に、それぞれの思いを持って生きている。

 八百屋のみいちゃんにも お医者さんちのあっこちゃんにも
 静かに夜はくる みんなの上に来る 
 (矢野顕子『ごはんができたよ』より)

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あのサッカーを見る前に、この原稿を書きためておきました。


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