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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-06-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・休みの日に親しいともだちどうしで集まって、
 ごろごろしながら無駄話をするような場って、
 だんだんとなくなったなぁ。

・懐かしむわけでもないんだけれど、
 ああいう場で、冗談まじりに話していたこと、
 いまだと、だれを相手にどこですればいいんだろう。
 先輩でも後輩でもなく、同級生っぽい相手がいるんだよね。
 『黄昏』っていう本は、南伸坊との対談という形式だけど、
 あれ、いまはもうできないかもしれないなぁ。
 くだらない体力みたいなものが必要なんだよな。
 しかも録音したり編集までしてもらって発表されてるから、
 ありゃぁもう渾身の珠玉のくだらなさだよね(笑)。
 あらゆる表現に対してすばらしい目利きの和田誠さんが、
 「おれは『黄昏』はもう何回読んでるかわからないよ」
 と言ってくれてたのは、とてもうれしかったけど、
 その内容以上に「関係」のたのしみ方を読んでたのかも。
 伸坊は、どこにいてもだれといても、
 同じようなおもしろさとおおらかさでいられる人だから、
 対談じゃなく何人もいる場でも、いつも「大丈夫」なのだ。

仲畑貴志とも、むやみにたくさん話していたけれど、
 南伸坊とは毛色がちがってて、いい意味でだけど、
 危ないことやらマジなことに触っていくんだよな。
 もうひとり他人がいたら話さないようなことも多いし、
 本になったりすることなんてありえないような話をしてた。
 しばらく会ってないなぁ、ふらっと行ってみようかな。

・ぼくのほうが勝手によろこんでいるのかもしれないが、
 横尾忠則さんと話しているのもとんでもなくおもしろい。
 ただ、やっぱり同級生のやりとりではないんだよね。
 それはもう、なにせ30世紀まで生きる天才なんだからさ、
 遠慮するなといってもこれ以上の無礼講は無理だよ。
 そういうことは、谷川俊太郎さんにも言えることで、
 もう桁外れに正直にことばをつかうし、
 無限に平らでありたいと思っている人だから、
 感謝しつつ、気持ちよく遊ばせてもらえるんだけどね。
 でも、やっぱり同級生とはちがう平らさだよね。

 なんだろ、同級生感覚って、特別な不思議なものだなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「話す」って、娯楽としても学びとしても最高の贅沢だよな。


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