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2019-05-25

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・夏が近づいている、というより、もう夏かよ。

 都会に暮らしている人は忘れているかもしれないが、
 夏になると、蚊が飛んでくる。
 飛んでくるだけならいいけれど、人を刺す。
 刺されたところがかゆくなる。
 こうして文字だけ読んでいると、そうそう、と、
 かゆくなるよなぁと思うだけなのだけれど、
 実際に蚊に刺されてかゆくなったら、
 どうにもがまんできるものではない。

 話は飛ぶけれど、おう、蚊も飛ぶけれど話も飛ぶ。
 いまでは母親になった愛娘が幼少のころ、
 一文字で成立することばがあることが、
 どうにも理解できなかったらしく、
 「蚊に刺された」と言うときに「かににさされた」と、
 助詞をひとつ足して発語していた。
 さらに「蚊」という名詞をいうときには、
 「かあ」と音を伸ばすことによって二文字にしていた。
 「万物を神さまがつくり給うた」というようなことを、
 幼稚園で教わったときには、
 「神さまは、どうして『かあ』もつくったの?」と、
 とても強い疑問をもっていた。
 「かあは、つくらないほうがよかった」と言っていた。
 さぁ、話を戻すぞ。

 蚊が飛んでいて、そいつが刺してかゆいぞということは、
 がまんすればがまんできるもの…ではない! 
 がまんのよかった昔の人でも、蚊取り線香を焚いた。
 辛抱を旨とする昔の人でも、蚊帳を張って寝た。
 痛いだの苦しいだのに比べたら、
 かゆいぐらいはどうってことないとか思われがちだが、
 それを回避するためのコストは、
 昔から、人は、相当に払っていたのだ。
 「こころの痛み」という比喩的な表現はあるけれど、
 一般的に「こころのかゆみ」という言い方はないようだ。
 ないのだけれど、きっとそれは苦しいことなのである。

 やがて夏がくる、蚊がでる、かゆみを思い出せ。
 かゆみを、他人事のように考えてはならない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
教訓「たいしたことなさそうなことも、たいしたことだ」。 


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