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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-04-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・先日、クルマのことを書くときにも言ったけれど、
 都市と、いわゆる自然は、地続きである。
 おんなじ地面のたくさん建物があったりするところと、
 人があんまり住んでいない場所という違いがあるが、
 別のものじゃなくて実はつながっているのである。
 よくよく考えたら「地続き」ということは、
 あんがいよくあるものだ。

 ヨーロッパのさまざまな国々は、基本的に地続きである。
 国境という観念的な線引があったりもするけれど、
 国は違っても「地続き」であることが多い。
 「あっちとこっちは別の国」という約束があるだけだ。
 鳥や動物たちや昆虫なんかは、地続きの場所では、
 平気で行ったり来たりしている。

 また、歴史を知ると、「昔といま」が地続きだとわかる。
 昔があったおかげで、ここに現在がある。
 昔といまは、がちゃっと入れ替わったのではなくて、
 いろんな具合に少しずつ変化してきているだけだ。
 どれだけ「いま」に生きているつもりでも、
 人も自然も技術も文化も、昔がなければいまはない。
 時間は飛ばない、地続きなのである。

 ぼくらは、なんとなく「地続き」であることを忘れる。
 国境があって、隣に対立している国があったら、
 これはこれで考えも変わってくるのかもしれないが、
 日本の場合は、海に囲まれた島国なので
 「地続き」を想像しないくせがあるのかもしれない。
 また、「いま」の時代にはデジタルのやりとりが
 すごい勢いで増えていることも関係あるかもしれない。
 デジタルの世界で送られる写真は、写真の「情報」だ。
 言ってみればものすごく大きな数字の羅列である。
 「じゃ、写真送るよ」と送ったのは、その数字である。
 受け取ったほうは、送られた数字から写真を再現して、
 「おお、届いた届いた」とか連絡したりする。
 おなじみの光景だけれど、これは地続きじゃない。
 情報が伝えられたとけれど、つながってはいない。
 郵便で写真が送られていたことと、似ているがちがう。
 なにが地続きで、なにがそうじゃないのか。
 いろいろ思い起こして、考えてみるのもおもしろそうだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間は脳だけでできてるわけじゃないという幸福と切なさ。


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