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2019-04-24

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いまは、朝ドラ「なつぞら」にのめり込み気味ですが、
 先日までは「まんぷく」を毎日観ていました。

 「まんぷく」の主人公は発明家という設定でしたが、
 ドラマのなかでは事業家としての活動が目立ちました。
 彼は、いつでも「足りないもの」を探すのが上手でした。
 敗戦後の焼け跡闇市の時代には、
 まずは印鑑が足りないと気づきます。
 これを、家族総出の手仕事でつくって売ります。
 やがて、「塩」が足りないものであると気づきます。
 塩の足りない社会は、同時に職も足りない社会でした。
 このときの労働力は、職のない復員兵たちでした。
 その次には「栄養」が足りないことに目をつけます。
 塩をつくっていた社員たちとの次の事業でした。
 この時期には、日本全国で数多くの「栄養食品」が
 つくられ売られていたのだと思います。

 栄養ということばは、足りないものの象徴でした。
 グリコーゲンだの、カルシウムだのという単語を、
 商品のネーミングに入れたものがたくさんありました。
 学校で「肝油ドロップ」というものを勧めていました。
 ぼく自身も、家で「カルシウム」を飲んでいました。 
 あちこちの家庭で、毎日、宅配の牛乳を飲んでいました。
 足りない栄養を補うためには、牛乳は最適でした。
 その後、ヨーグルトや乳酸菌飲料も登場しました。

 「まんぷく」の主人公は、栄養食品の次に、
 「栄養もあるけれど、時間が節約できるラーメン」を、
 社会に問いかけることにします。
 そのころには、もう、足りないものは栄養ではなく、
 「時間」になっていたのです。
 仕事の時間だけでなく、テレビを観たりする時間も、
 この時代の人たちには必要になっていましたから。

 そのころから「時間」というものは、
 社会にずっと足りないままのようにも思うのですが、
 さて、いま、あのドラマの主人公は、
 なにが足りないと見つけるのでしょうか。
 それとも、足りるとか足りないという考え方で
 事業をするのがちがっている時代になったのでしょうか。 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼく自身は、「たのしさ」が足りないのではと思ってます。


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