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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-09-21

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「こころ」なんてものは、ないという考え方もある。
 人でも、他の生きものでも、どこをどう探しても
 これが「こころ」ですというものは見つからない。
 だから「ないもの」なんだと結論を急がれても困る。

 ちょっと、逆に考えてみてくれよ。
 逆に、だよ、「これ」こそが「こころ」だ
 というものがあったら、
 仮に、ひとつの臓器として「こころ」があったら、
 どういうことになると思いますかっつーの。
 それをとりだしちゃったら「こころ」がなくなるわけ?

 「こころ」があるような気がすることが、
 ぼくだって、何度も何度もあったよ。
 というか、「こころ」があると思って、生きているよ。
 それがないと思って生きるって、どうにもムリだ。

 そこに「こころ」があるのを感じて、
 うれしくなったりもする。
 さまざまな「こころ」がひしめきあっていて、
 怖いくらいなときもある。

 「こころ」は、人ばかりでなく、
 他の生きものにも感じることがある。
 おそらく、犬やら猫やら、いろんなどうぶつには、
 「こころ」があるのだと思える。

 「こころ」があるからこそ、
 困ったことだって起こるのは知っている。
 「こころ」なんてものがなかったら、
 もっとうまくいくこともあるのにということもある。
 じぶんの「こころ」でさえ、じゃまになることもある。

 だけどなぁ、「こころ」がなかったら、
 なんで生まれたんだかわからなくなるよ。
 「こころ」が、よろこんだり、はずんだり、
 さみしがったり、かなしんだり、
 そういうことぜんぶが、旅してるみたいなことでさ。
 どこへ行くとか関係なく、「こころ」が旅してることが、
 きっと生きてるってことだもんね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「こころ」を勘定に入れない計算は、絶対にまちがうよね。


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