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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-01-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「わからなくなったら、口角をあげろ。」
 ということばを、演出家の木村龍之介さんが
 「ポッケに入れておきたい言葉だな!」と、
 昨日の午後にツイートしていた。
 リモートで仕事をしていたぼくは、
 「そのとおりだよなぁ」つくづく同感だと思った。
 そしてよく考えたら、
 「わからなくなったら、口角をあげろ」は、
 もともとぼくが書いたことだった。
 じぶんに同感していたのだった。

 人が見ているところで、無理やりに口角をあげると、
 もしかしたら「にやにやして気持ちわるい」とか
 思われてしまうかもしれない。
 でも、そう思われてしまうのはあきらめよう、
 気持ちわるいさ、おれは、じゅうぶんに。
 やっぱり、大人の日常というのはこわばるものなのだ。
 なにかちょっとがまんしたり、ときにはがまんさせたり、
 そうそうグニャグニャしてるわけにもいかない。
 くらげじゃぁないんだから。
 あんまり力を入れたり大げさな動きをしたりせずに、
 そのこわばりをゆるめてやりたい。
 そういうときに、くちびるの両はじを、ちょっとあげる。
 これだけで、なにかが漏れたかのように硬さがとれる。
 そして微笑みと、ほぼ同じような表情になる。
 無理に口角をあげても、そうなるのがありがたい。

 「笑む」のもともとの意味は、
 つぼみがほころびるということらしい。
 イガ栗の割れてなかの実が見えているようすを、
 「よく笑んでいる」とか言う。
 笑むというのは「やさしい破裂」なんだな。
 じぶんという殻のなかには、いろんな気がたまってて、
 そのままにしておくとぱんぱんの風船になっちゃう。
 「口角をあげる(笑む)」ことで、やわらかくするんだ。
 そうしたほうが、身体の動きも、こころの動きも、
 いやぁその魂の動きまでもが自由になるんだろうね。

 だれもいない仕事場とかでも、ひとりで口角をあげよう。
 ひとりだと、気持ちわるいとか言われることもないし。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
このこと、一生のうちに何度も何度も考えてきたよなー。


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