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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-12-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・去年はなかった街のクリスマスムードってやつ、
 今年はその分まで取り返そうという勢いでにぎわっている。
 よく去年はあんなにひっそりできたよね。
 人って順応性があるというか、たいしたものだなぁ。

 昔は、クリスマスムードって、なんだかさみしかったなぁ。
 そのさみしさについては、いろんなことを考えたし、
 ある程度の説明だってできるのだけれど、
 さみしい感じがなくなったということではない。
 歳末というものも、もともとさみしいものだ。
 今年が終わる、今年が終わると、
 そんなに思い知らせてくれなくてもいいではないか。

 しばらく離れていた東京に戻ってきて、
 食事に行った店で帰り際に「よいお年を」と挨拶された。
 そうか、もう次の予約でやってくるのは来年だから、
 もう今年は会うことがないのかとさみしかった。
 「よいお年を」と大人だから挨拶を返すのだけれど、
 こんなこともさみしいものなのだ。

 広告の仕事をやっていた時代には、
 正月にいろんな会社や工場などが休むという都合で
 「年末進行」という特別なスケジュールがあった。
 休みをちゃんととるため、その直前は鬼のように働くのだ。
 そこに忘年会というような慣習が加わるものだから、
 十二月は目が回るほど忙しいというイメージがあった。
 それには、人力でやる仕事が多かったというせいもある。
 デザイナー連中は「写植」という「文字の写真」を、
 切ったり貼ったりして「版下」というものをつくっていた。
 写真だって、フィルムの現像所に入れて現像してもらい、
 それを「投射」し輪郭を鉛筆でなぞって版下原稿にする。
 正月の新聞広告を何本引き受けているかなんてことが、
 売れっ子の証しみたいで、ちょっと競っていた覚えもある。
 そうやって師走を過ごすと正月はもう抜け殻みたいだった。
 だから、正月は正月で、実はさみしかったかもしれない。

 いまは、「人力仕事」が少なくなったので休みもとれる。
 その分だけ、頭のなかで考えたりすることが増えている。
 昔の師も走るのイメージはなくなったけれど、
 忙しいのは、いまのほうがずっと忙しいような気がする。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人って、生まれてから死ぬまで、ずっとさみしがってるのか。


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