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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-05-25

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いまの「WITH CORONA」の生活様式が、
 辛くてしょうがないとぼやいているのは、
 大人げないし、よくないとぼくも思う。
 しかし、これがなにか天からの大事な警告で
 いままで常識としていた「よからぬ慣習」を
 変えてしまういい機会だとことさらに強調するのも、
 なんだか危ういなぁとも思うのだ。

 緊急事態宣言が解除されたとしても、
 しばらくは安全のために
 「新しい習慣」を守り続けることになる。
 これは守りましょう、守ります。
 でも、ぼくはこの「新しい習慣」を
 よろこんで受け容れているつもりはない。
 特別な「いま」なので、仕方なくやっているのだ。

 おおよそ、この「新しい習慣」は
 人に対して失礼なことばかりです。
 「だれかと会うとき、2メートル間を空ける」。
 この人とは近くに寄りたくないという表現と同じです。
 「マスクをして呼気や唾液が当たらないよう注意する」。
 また、「握手やハグなどは避ける」。
 これらも、すべて親しみの逆の表現になりますし、
 一年前にそんな態度の人がいたとしたら、
 ちょっと腹を立てていたかもしれません。

 人と人とが、親しく距離を近づけるということは、
 大昔から、互いの安心と信頼を確かめ合える
 「うれしい習慣」でもあったわけで、
 それ自体が「よろこび」であったわけです。
 しかし、感染症が流行したらみんなが、
 じぶんも含めて人間を「感染を媒介するもの」として
 見立てなくてはならないので、
 長い歴史のなかでせっかく獲得できていた
 「信じる」ことをもとにした行動習慣を、
 いったん水に流すという経験をさせられているわけです。
 「不信」を前提に交流したり行動するという
 『新しい習慣」がみんなに求められていたのです。
 そりゃぁ、ストレスもかかるというものです。
 ぼくらは、信じるをもとにして生きたいんですから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
コロナの先でもコロナの前でも、生きやすいのがいいなぁ。


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