好評です!
ほぼ日のアプリあります。

logo_1101

2018-12-17

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

「ほぼ日の学校」万葉集講座は、まだ、
 万葉学者の上野誠さんによる第一回と二回を
 終えたばかりなのだけれど、見学のぼくにも、
 ずいぶんと大きな影響を与えている。

 ひとつは、「歌のちから」ということが、
 なんだか全身で感じられたような気がしたこと。
 研究とか学習については、門前のさらに手前だろうが、
 ぼくは(どういう風の吹き回しか)
 曲りなりとはいえへたな詩を書いてきたものである。
 歌の詩というかたちだったりが多いけれど、
 リズムやメロディをともなったことばのマジックは、
 いくらかでも表現してきたし、
 そのたのしさも味わってきたつもりだった。
 それが、一聴講生になって先生の話を吸い込んだ途端に、
 「なんだか、そういうこと」が、じぶんにわかった…
 ような気になったのである。
 人がことばを発する、声に出し空気を震わせて届ける。
 そのことの「有り難さ」と「歓び」そして「凄み」が、
 ほんとうにコップの水をごくごく飲むように、
 ぼくという人間の隅々まで沁み入ったのである。
 このあっけなさには、まだ、びっくりしている。

 おかげでどうなったかというと、
 ひとつは、もっと詩を味わいたくなった。
 万葉集にかぎらず、詩というものがあって、
 いつでもふれることができるということを、
 もっとよろこぼうという気持ちになったのである。
 それは、詩そのものであるだけでなく、
 詩によみこまれた「そこにあった人や自然やこころ」を、
 味わいたいということでもある。

 そしてもうひとつは、せっかくやりかけてきたのだから
 もうちょっと気を入れて詩をこしらえてみようかと、
 年甲斐もなく姿勢を正してしまったことである。
 人生百年時代を信じるなら、いまからでもあと30年ある。
 その間に、年にひとつでもふたつでも、
 ていねいに歌なのか詩なのかをつくってみたいなと。
 つまりその、なんだか、とても初々しい気分にあるのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
旅をするのも小さいものをよく見るのも、詩を味わうこと。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る



カート