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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-05-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・連続ドラマというのは、「時間食い」です。
 これを見ている時間をぜんぶ足したら、すごいですよー。
 家中の大掃除が10回や20回できるんじゃないかな。
 でも、ドラマ好きというか、ドラマ視聴の玄人になると、
 これを、いくらでもこなせているようなんですよね。
 「あれ、見ました。それ見てました」と、ぜんぶ見てる。
 そんなことが、人間業として可能なのかと問うと、
 「けっこう抜いて見てるんですよ」という答えなんです。
 気を抜いてとか、他の用事をしながらという意味らしい。
 ひどいときはマンガ読みながらドラマも見られるって。

 これは、ぼくにはできそうもないなぁ、
 1秒、1分抜いてたら、そこでなにが起こるか心配だし。
 そういうようなことを言ってたら、
 別の野球好きな男が説明に入ってきてくれた。
 「イトイさん、球場で試合中にトイレに行ったり、
 昔だったらタバコを吸いに席を外したりするでしょう?」
 ああ、それはするする、してたしてた。
 「その間に、なにが起こるかわからないのに、
 席を立ったりできるのは、野球の見方を知ってるから。
 見てない間にすごいことが起こらなそうな時間を、
 ある程度判断してトイレに行くようにしているし、
 席を外してる間にすっごい事件が起こっても、
 それもあるなぁと、あきらめがついてるでしょう」
 すごい説明だなぁ、ほんとにそうですからね。
 1秒1分を見逃すまいとして何時間も過ごしていたら、
 そりゃぁ、くたびれてしょうがないですよね。
 実際、ぼくは、それに近い見方をしていたんだけど、
 そこまですべてを懸けて、ドラマや野球に付き合うのは
 ほんとはおかしいかもしれないです。

 先日、「待つ」の大事さをここで書きましたが、
 純粋であるとか本気すぎるとか、我を忘れるようなこと、
 「原理主義的」なことに陥らないようにするというのは、
 これも、ものすごく大事なことだと思うんです。
 ぼくは、「たのしんでね」とか「遊ぶように」とか、
 他の人に声をかけるのは、よくやってるのですが、
 じぶんにも、それを言ってやらなきゃいけなかったかも。
 野球場でトイレに行ったり弁当を買いに行ったりする。
 そういう「判断」が、人間には大切なんだぞ、オレよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
原理主義に対して、「人間的諦観」とでも言いましょうか。 


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