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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-06-23

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いかにも「よく言われがちなこと」を言うのだけれど、
 つくづくそう思ったので、言ってみたい。
 それは「あかるい」ということの、凄みについてだ。
 あえて、「凄み」と漢字で書いて凄んでみた。

 たくさんのつらいことがあるのに、あかるくしている人。
 だれも見ていないところでは、
 悲しい顔をしているかもしれないけれど、
 みんなの前で晴れた笑顔でいられる人って、
 ほんとうにりっぱだし、素晴らしいことだと思う。
 たぶん、その人のまわりの人たちも、
 そんなあかるさをちゃんと感じ取っているはずだ。
 そして、なにかしらの応援をしたくなったりもするだろう。
 おそらく運もついてくるはず、と言いたくなるのは、
 そのあかるさのおかげで、遠くや近くの人から
 見つけてもらいやすくなるし、
 じぶんの見える世界を広げることがあるからだ。
 あかるさって、つまりは力だし、すごい武器にもなるのだ。
 そう、凄いものなのである。

 ぼく自身は、どうなのだろう。
 半分くらいかなぁ、あかるいことも、暗いこともあるな。
 暗くしていて、よかったこともないのに、
 暗くなったりするのは、どうしてだったのだろう? 
 厳しい状況であかるくしているとバカみたいだからかな。
 無責任に思われちゃうかもしれないとか、
 そんなことも考えて、暗くしているのかもしれない。
 でも、じぶんでも、あかるさのある人に目が行くし、
 悲しくてもあかるいようすでいる人に手を貸したくなる。
 あかるさは、力だし、武器だし、
 必要だから身につけた技術なのかもしれない。
 天分だとも、才能だとも、贈りものだとも言えそうだけど、
 道に落ちているようなものではないだろうな。
 やっぱり、人がじぶんの手でつかんで持っているものだ。

 半分くらいはあかるいかな、と思っているぼくは、
 あかるさの割合を、もっと多くしたい。
 できることなら、ひとりでいるとき、真剣な時間も、
 それなりにあかるさをキープできているのが望ましい。
 暗さが好きでも、それはあかるさが生み出すものだし。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
文章だけでもあかるくできる、というのもあかるさの凄みだ。


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