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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-01-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・東京都現代美術館での展覧会
 「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」
 うかうかしていると終わってしまうとあわてて出かけた。
 もともと、この展覧会は、ぼくにとっては、
 「いいに決まってるし、行くに決まってる」ものだった。

 石岡瑛子という人がどういう人だったのかとか、
 どんなことをした人だったのかについて、
 紹介をまとめて語るようなことは、とてもむつかしい。
 ぼくより、10歳ほど年上のデザイナーではあった。
 40歳になったころには、日本のデザイン界では、
 名実ともにトップ中のトップの位置に立っていた。
 石岡瑛子よりも先輩にあたる大御所たちもいたが、
 そういう人たちからも、「瑛子ちゃん」の仕事は
 新しくて「すごいものだ」と認められていた。
 全力を傾けた仕事を、次々に世に問いかけていた。
 言い方はへんだけれど「必死で働く女王」にも見えた。
 ふんぞりかえってないし、新人より一所懸命だった。
 嫉妬混じりでいろいろ言う人もいただろうけれど、
 あの一貫した「全力ぶり」は、比べる人を思いつかない。
 怖いとも思われていたけれど、ぼくにとっては、
 「ほんとにすげぇけど素直によく笑う人」でもあった。

 40歳をすこし過ぎたころにその全力の女王が、
 日本を離れてニューヨークに行くというのは、
 いまで言う「メジャーリーグに挑戦」のように見ていた。
 なにせ、「女王が渡米する」のだから、そう見える。
 しかし、実際は、歓迎の絨毯を敷かれていたのではなく、
 徒手空拳でアメリカに飛び込んだのだと、あとで知った。
 準備は、日本の英会話学校で英語を学ぶことからだった。
 そこから、また一からの問いかけをはじめたのだ。
 そして、また「全力の女王」は滑走路を飛び立つ。
 新しい地で、なにをつくっていったのかの物語が、
 さらにずいぶんと長くておもしろくなる。
 しかし、活動歴の紹介はもう省略しよう。
 ぼくは、そういう役割をするのは得意じゃないや。
 それにしても、2012年に亡くなってなかったら、
 石岡さんは、いまでも現役で、全力なんじゃないかなぁ。
 いやぁ、刺激になったし、また火を点けられた思いだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
会場は密じゃないし、みんな無口だし熱心で、最高でした。


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