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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-10-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「信」というものは、硬い言い方になりますが、
 公共の財、とても大きな価値です。
 たとえば、あちこちの公園で子どもたちが遊んでいる。
 幼い子どもには保護をする人がついていますが、
 ある程度の年齢の子どもだったら、子ども同士で遊びます。
 通学もそうで、歩いて、また電車やバスに乗って、
 子どもだけで学校の往復をすることが日本では自然です。
 その無防備な子どもたちに対して、
 悪いことをする人がいないと、信じられているからです。
 外国の例だと、保護者が通学の送り迎えをすることが、
 当然の規則になっていることが多いと聞きました。
 基本的に「不信」を前提とした考え方になっているので、
 防御策にコストをかけているわけですよね。
 いずれ、日本もそっちの方向に行くのかもしれませんが、
 公共財としての「信」が、大人にも子どもにも、
 かなりの自由をもたらしてくれているとも言えます。

 「ハイジャック犯は、機長がへんなことをしないと
 信じているんだ」という意見があります。
 たしかに、犯人たちは人びとの「信」を裏切って
 暴力的に脅迫をしているのですが、
 飛行機の操縦ができるわけではないですし、
 不注意に銃器など使って、機体を壊したりしたら
 じぶんたちの命も危険なことになります。
 脅かされている人たちを信じて犯罪をやっているわけです。

 ある程度の速度を出して自動車を運転しているときには、
 他の前や横や後ろのクルマが規則を守っていると
 「信じて」走っているはずですよね。
 あのクルマが、このクルマが信じられないと思いながら、
 その万が一を避けようとしていたら運転なんかできません。
 膨大な「信」が、ものすごい交通量の基盤になっています。
 どんな不良でも悪人でも免許を取るために教習所に通い、
 試験場で暴れたりもせずに合格したのです。
 そして、なによりじぶんの命も惜しいと思っているだろう、
 と、みんながそう信じているのです。 
 「信」という公共の財を毀損するようなことをすると、
 罰せられるのは、それが「みんなの価値」だからです。
 「信じられない」と人は気安く言ったりもするけれど、
 「不信」は、愚かさと貧しさへの道でもあります。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
日本って「信」という富がけっこう豊かだよなと思ってね。


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