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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-06-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いまはさまざまな技術が発達しているものだから、
 たとえば徳川家康を立体的な画像としてCGで描いて、
 声や顔の表情などもいかにもそれらしく再現できる。
 実際、それがほんとうに似ているのかどうかはわからない。
 恐山のイタコではないけれど、昔生きていた人に会いたい
 という気持ちはいつの時代にも、とても普遍的なものだ。
 ぼくも、昔の人の話しているところに居合わせられるなら、
 もちろんその場で聞いてみたいとは思う。

 空海とか、親鸞とか、織田信長とか、羽柴秀吉とかも、
 どんなふうに語ったのだろうと、映像で見てみたい。
 映画の技術が生まれてからの有名人は、
 その演説の映像とかが残っているので見たことはある。
 典型的なのがヒットラーの映像である。
 おそらく、たくさん撮影をさせて宣伝に使ったので、
 それがいまでは資料として残ることになったのだろう。
 しかし、イエスも、成吉思汗も、クレオパトラも、
 同じ時代に生きて近くにいた人しか目にもしていない。

 あらゆる時代に、スマートフォンというものがあったら、
 ぼくらはいまごろ、ずいぶんたくさんの
 すばらしいコンテンツに出合えていることだろうと思う。
 唯円が、スマホ持ってさ、親鸞を撮ってるわけよ。
 「善人だって極楽往生できるなら、それはさ、唯円…」
 なんて実写の動画があったら、見たいに決まってる。
 しかし、どれだけ科学技術が発達したところで、
 そんなことができるわけはないのだ。
 しかし、しかし、しかし、だよ、
 過去の人物の映像を撮ることはできなくても、
 いま、現在の時代を生きている人の話なら、
 なんとか撮影して録画することはできるのだ。
 そして、それはいまの人にとってだけでなく、
 何百年後の人にとっての、最高のコンテンツだろう。
 歴史とか伝説って、それが生まれた瞬間には、
 ただの現在にしか思われないので、
 言ってみれば価値が原価のままなんだよね。
 昨日も、ほぼ日の學校で、ほんとにいい収録ができて、
 「これ、10年後や100年後の人にも見られるんだなぁ」
 と思って、なんだかずいぶんうれしい気持ちになった。
 まだまだ、いくらでもがんばりますよー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
つくりながら、ぼく自身が夢中になってます。ほぼ日の學校。


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