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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-09-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・じぶんの気の強さを、ぼくは知っている。
 どれくらい気が強くて、どういうふうに強くしてるか、
 そういうことについても、それなりにわかっている。
 たいしたことないにしても気を強くもてると
 知っていれば、強くいられる。

 同様に、じぶんの気の弱さも、ぼくは知っている。
 ドラマを見ていて、それをおもしろく感じる理由は、
 見ているじぶんが(むろん身体的にも弱いのだけれど)、
 どれくらい気が弱いかを知っているから、
 こころを試されるような場面では、
 「もう、おれなら無理だ」と思うからだ。
 つまり、こころが弱いから、ドラマがおもしろいのだ。
 気の弱いじぶんだったら、ここで凍りついてしまう。
 なのに、その状況をなんとか耐え抜く、
 あるいはそこから突破できる登場人物などに、
 敬意が生まれたりもするし、
 その場から逃げたり負けたりする人物には、
 共感や同情などを感じてしまうというわけだ。

 映画や書物やらでもそういうことなのだけれど、
 ぼくらはスポーツを見るときにも、
 じぶんの気の強さと気の弱さを感じている。
 勝ち負けのあるスポーツで、ほんとうに厳しい場面。
 それをハラハラして見ているのは、
 ぼくの場合は、気の弱いじぶんが中心である。
 ほぼ「ああ、じぶんなら無理だ」と思いながら見ている。
 たまに「おれならなんとかするぞ」とかも思うけど、
 そんなことがあるわきゃぁないずら。
 ばってん、選手がほんとに「やった!」ときには、
 ああ、すばらしい人がここにいる「この人を見よ」と
 舞い踊りたくなったりするのであります。

 さて、なぜ、こういうことを書きはじめたのか、
 もともと考えていたテーマがあるので急いでそれを書く。
 「他人はすごい」と知ることを知った、ということ。
 ぼくとっては技術もパワーもなくて苦手なことでも、
 同じことを気を強くもってやれる人がいるのだから、
 そういう場面はそういう人に頼ろうということだ。
 つまり、ぼくは打てないが、坂本勇人は打つということ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
会社でもそう。ぼくにはできないことだらけなんですから。


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