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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-09-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・結婚した人たちが、子どもが生まれると、
 夫だったり妻だった互いのことを
 「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶようになったりする。
 ほんとうは、「わたし」から見たら、
 その人は「おとうさん」「おかあさん」ではない。
 子どもの目で見た呼び方になってしまっている。
 気づいたのだけれど、子どもが生まれなくても、
 犬や猫が家庭に参加してくると、同じようなことが起こる。
 「おやつを、おとうさんにもらっておいで」とかね。
 こういう場合、呼び方ばかりが「おとうさん」なのではなく
 役割が「おとうさん」になってるという気がする。
 「営業部長」とか「総務課長」であるとかの
 役職名と似ているのではあるまいか。
 その「おとうさん」という役をしっかり果たせよ、と。
 そういうことのようにも思える。

 仔犬が来たばかりのときに、仔犬と散歩していると、
 向こうから成犬がやってきたりする。
 そうすると、「おっきいおにいさん」がきたと感じる。
 その「おにいさん犬」や、その犬を散歩させてる人のことを
 「目上」の人のように感じて、ちょっと謙(へりくだ)る。
 これは、人間の子どもの場合も、もちろん同じで、
 まだ歩けない子どもを連れているときには、
 歩けたりしゃべれたりする子どもに会うと、
 「歩けてしゃべれて、たいしたもんっすね先輩」
 というような気持ちで接してしまう。
 その先輩役の子どもや、その親の人たちが、
 ぼくよりずっと若いに決まっているのに、
 こっちの「主体」は、まだバブーな赤ん坊に近いのだ。

 仔犬と、わたしは一体化しているのだろうか、
 まだ歩けない赤ん坊とわたしも、セットで一体なのか。
 そのあたりの詳しいことはわからないのだけれど、
 「わたし・じぶん」と思っている「この人」って、
 いつも「この人」単体の主語では生きてないんだよね。
 ああ、そういえば、極道ものの映画なんかで、
 強そうな兄貴分といっしょにいるチンピラの人が、
 「おうっおうおうっ」みたいに強そうにしているのも、
 仔犬や赤ん坊連れとは逆だけど、似たパターンなんだね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
熱狂的なファンっていうのも、主語が一体化してるのかもね。


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