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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-12-10

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・小さいころから、こういう教育を受けてきた。
 「良薬は口に苦し」と。
 よいクスリ、効くクスリほど苦いのである、と。
 同じことばを何度も聞いているうちに、身についていく。
 感覚的に「いやだなぁ」と感じるもののほうが、
 ほんとうにいいものなのである、と考えるクセがつく。
 そして、甘いクスリは、ほんとうはあまりよろしくない、
 と疑いを持つようにもなる。

 苦いこと、苦しいこと、のほうに価値があるとか、
 嫌なこと耳の痛いことのほうが有意義なのであるとか、
 ぼくも、なるべくそう考えるように生きてきた気がする。
 そして、それはそれで、よかったこともあったろう。
 学校での勉強でも、得意じゃない科目、苦手な科目をこそ、
 一所懸命に勉強して不得意をなくせ、と教えられた。
 得意なことをもっとやれ、と言われた覚えはない。
 人間関係にしても、嫌なことを言う人を大事にしろとか、
 反対意見にこそ耳を傾けろとかさんざん言われた。
 しかし、いまになって、わかった。
 ほんとうに無駄で無意味な努力をしたものだった。

 なるべく生き生きと、たくさんのことを感じて、
 たくさん思って、たくさん考えて、たくさん試す。
 大事なのは、そういうことだ。

 その過程でわざわざ反対意見を探し出して、
 「そっちのほうにこそ価値がある」なんてことはない。
 ほんとうは、自然にやればいいのだ。
 人間は、本能的に「不安」を感じる生きものだから、
 ほっといたら自然に「反対意見」を探してしまうのだ。
 そして、その「不安」をことさらに大事に考えていたら、
 なにもできなくなってしまうだろう。

 「苦かろうが甘かろうが、良薬かどうかは関係ない」。
 年寄りは、そういうことを教えてくれればよかったのに。
 嫌だと感じるもののほうが価値があるなんてことはない。
 ほんとうに相手のためを思う人は、敵じゃないんだから、
 痛いことを伝えるにも、聞き入れやすいように工夫するよ。
 甘くたのしいことから学べることだって、たくさんある。
 苦いものにも、もちろんおいしいものはあるけどさ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「口が悪いけどいい人」っていうのも、確率的には少ない。


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