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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-06-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・えー、本日も「今日のダーリン」というものを、
 書かせていただきます。
 なんて書き出しても、あんまり違和感はなさそうだ。
 ほんとうは本日の「今日のダーリン」を書きます、でいい。
 さらに言えば、そんな断り書きはいらないし、
 いつもそんなこと言わずにさっさと勝手に書き出している。
 世の中が、いつのまにやら、
 「させていただく」ことだらけになっていた。
 ご提案させいただく、お伺いさせていただくことばかりだ。
 角が立たないようにという謙虚な姿勢でもあろうが、
 それ以上に、「そちらさまが決めたんですからね」と
 「責任みたいなもの」を引き受けたくない気持ちが見える。
 なんでもかんでも「わたしが決めた」と言うのは無理だし、
 意思の強い人間だぜと強がる必要もないけど、
 先様にばかり決めさせるのは、ちょっとまずいだろう。

 面接の合格法だとか、好かれるための技術だとか、
 こうすれば印象がよくなるだとか、
 ウケる番組をつくるにはとか、人気を上げるコツはとか、
 「ご提案」や「お伺い」ばかりが研究されているが、
 すべての判断を先方や世間がするという世界には、
 みんなそろそろ疲れているのではないだろうか。

 この「させていただく」「いかがでしょうか?」の時代に、
 なんとか耐性をつけて、元気でやっていくためには、
 じぶん(たち)は「こうする」「こうしたい」ということを
 少しずつでも増やしていく練習が必要である。
 ほんとうに「させていただく」「いかがでしょうか?」
 でなくてはいけないことと、
 実はじぶんで「こうする」と決めても大丈夫なことを、
 よく考えて分別することからはじめようと、ぼくは思った。
 ぼく自身、もともと、それほど我が強いほうではないから、
 そんなに「こうする」とがんばるつもりもない。
 先様(さきさま)や世間や常識に関わりなく、
 じぶんで決められることとはなんだろうと、
 あらためて考えてみたいというだけのことだ。
 そうすると「だれかに迷惑がかからない」のなら、
 じぶんで決めての「こうする」ができるようだと思えた。
 想像していた以上に、じぶんで決められることは多いのだ。
 これ読んでるあなたも、分別をはじめてみてはどうだろう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「じぶんで判断すること」はめんどうだけど、守りたいこと。


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