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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-03-21

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ほぼ日」での対談連載もはじまったし、
 渋谷PARCOでの『たぬき縁日』もスタートした。
 知らない人にとっては、皆目正体不明なのに、
 ちょっと知っている人には、
 「なにこの天才?」のように思われている人が、
 ふくしひとみというアーティストだ。
 もっと知りたい方は、「ほぼ日」の連載対談を
 毎日少しずつたのしみに読んでくださるといい。
 ぼく自身も、この対談で、はじめて知ったことばかりだ。
 しかし、正直なことを言うと、いまでもわからない。
 どうして、この人は、こんなになんでもできるのか? 
 どこでどれだけ練習したのかについても見当がつかない。
 もっとも得意と思われているピアノについては、
 山里で暮らしていた幼いころからずっとやっていて、
 やりすぎて鍵盤を見ると吐き気を催すまでになった、と。
 ピアノから離れたくて、踊りや絵をやりだしたという。
 踊りは「習った」というし、踊りの先生までしている。
 しかし、習ったら上手になるというものではない。
 みんな習うけど、ずっとへたな生徒のままだったりするよ。
 先日は、なにか筆で書いたものを見たけれど、
 これも「習った」とは言っていたけど、それだけか? 
 さらには「カクテルの本」も、出版しているというが、
 バーテンダーをしていたとは聞いていない。
 いろんなことを「できすぎてる」ような気もするのだが、
 それほど無我夢中でやっているようでもないので、
 「できすぎてる」ことが嫌味にもなってない。
 わけわからない、掘っても掘ってもなにか出てくる。
 昨日のトークショーの客席にぼくもいたのだが、
 たとえば、会場からこんな質問があった。
 「たぬきの『たぬ房きよ美』は、
 いつも怒っているように見えますが、
 なにに怒っているのでしょうか?」。
 この質問に、ふくしひとみはどう答えたか。
 「じぶんがたぬきであることに怒っているのでしょう。
 どうしてじぶんがたぬきであるのか、について」
 (たぬ房きよ美は、ふくしひとみの演じているたぬきだ)。
 さらに、質問者にふくしひとみは言った。
 「じぶんがじぶんであることに怒ることってないですか」。
 なんという「自然で意外で飽きない設定」なのだろうか。
 ぼくは、あやうく「天才」と呼んでしまいそうになった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
日々いろんなおもしろい人に会えて、世界は広くおもしろい。


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