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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-01-25

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人間に無数と言えるくらのいろいろの欲望があります。
 ぼくは、このごろ思っているのですが、
 「社会参加」の欲というのがいちばん強いんじゃないか。

 いやその、辞書的な意味での「社会参加」というのより、
 もっとマンガっぽい言い方のほうがピンとくる感じ。
 「みんなといたい」とか「わたしがいるよ!」かな。

 人は、他人と交流がなければ生きていけない生きもので、
 まずは他人同士であった両親の間に生まれて、
 さまざまな人の手を借りたりしながら育っていきます。
 つまり「社会」がないと「わたし」は生きられない。
 なにもかもを自給自足するにしても、
 雨露しのぐ小屋から服から種から道具からなにから、
 すべてをひとりではまかなえないわけで、
 接触を最低限にするにしても、社会と関わるわけです。
 たくさんつくれる人は、たくさん「社会参加」できます。
 たくさん手に入れる人も、たくさん「社会参加」できる。

 恋をすることも、相手がひとりの「社会参加」です。
 ゲームをすることも、なにかの仕事をすることも、
 名が知られることも、歌を聞いてもらえることも、
 絵を描いてくれと期待されることも、
 料理を食べてもらうことも、電車の運転することも、
 だれかの役に立つのは、すべて「社会参加」です。
 「アイドルになりたい」という夢も、「社会参加」です。
 プロのスポーツ選手になると、大きな社会に参加します。
 ネガティブもあって、人を殺すことも、人を裁くことも、
 暴力をふるうことも、よろしくない「社会参加」です。
 大きな範囲の社会に参加できる人もいますし、
 小さな社会にだけ参加している人もいます。
  
 代表を決めるための投票することも、
 ものを買ってベストセラーをつくり出すことも、
 なにかに賛成や反対をしたりするのも「社会参加」です。
 たくさん「社会参加」をすることを一般的には望みます。
 そのためには、お金や地位名声などは大いに有効です。
 でも、「社会参加」が大きいから幸せとはかぎりません。
 大統領だとか首相とかには、なりたくない人も多いです。
 この小文も、読んでもらえることで「社会参加」ですね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生まれたこと死ぬこと、これも「社会参加」なんですよね。


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