糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

12月09日の「今日のダーリン」

・信じるということのむつかしさを感じている人は、
 どれくらいいるものだろうか。
 まず、信じることなんてできないと思う人なら、
 それについてのむつかしさを感じることもないだろう。
 信じたい、信じるべきかもしれないと思いつつ、
 なかなか信じられない人が、むつかしさを感じている。
 ぼくは、そういう人はけっこう多いのではないかと思う。

 「きみを信じているよ、しかし、
 万が一のこともあるから担保を準備してくれ」は、
 信じているということなのか、そうでないのか。
 「信じているけど、ほんとうのことを言って」
 という人は、信じているのかいないのか。

 いまの社会の常識で考えたら、
 証文をとるとか、担保を用意させるとかを背景にして、
 「信じています」というのが正しいということだ。
 ぼくが、会社の責任者としてなにかするときに、
 「彼は信じられるから、なにも言わずに信じよう」
 と言って、そうしたら、罪に問われる可能性さえある。

・毎日、NHKの朝のドラマ『まんぷく』を観ているのだが、
 このドラマを一貫して流れているテーマは、
 「信じる」ということではないかと思っている。
 主人公の萬平福子の夫婦は「信じる力」の強い人たちだ。
 そして、福子の母である鈴は、
 悪い人ではないのだが「信じる力」の弱い人。
 「信じる」ことで損をすることが、心配なのである。
 その他の登場人物は「信じる力」の濃い人薄い人として、
 物語の流れに陰影をつけている。
 先週は、進駐軍が最大の「信じない人」として現れた。
 しかし、進駐軍は、「信じるに足る証拠」があれば、
 それに合わせ判断するという合理主義者として描かれる。
 この後の「おはなし」は、おそらく、
 「信じる力」の強い人たちが成功することになるだろう。
 観ている人たちも、もっと「信じる」ことをしたいのだ。
 「信じる」ものがバカをみる、という
 「現実らしきもの」にへばりついて苦しむよりも、
 赤ん坊のように信じて生きてみたいのだと思っている。
 ドラマのなかのことなら、なんの心配もないしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
赤ん坊、なにもできぬわたしが生きていけると信じている。