糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

07月19日の「今日のダーリン」

・「あなたがするようには、わたしはしない。」
 ということがある。
 行きたい先は同じだとしても、
 あなたのような方法では、行かない。
 ということがいくらでもあるのだ。

 「わたしがするようには、あなたはしない。」
 ということだってある。
 やりたいことが同じだとしても、
 わたしのような方法では、あなたはしない。
 そういうことは、おおいにある。

 行き方、やり方、というのは、
 目的と同じようにとても大事なことだと思う。
 ぼくの好きではないやり方について、
 例を書き記せば、もっとうまく伝えられるのだろうが、
 なかなかそういう気になれない。
 「目的のためには手段は選ばなくていいのか?」
 若いときにも、そういう言い争いをしたことがあるし、
 年を重ねてからも、それを考えたことが何度もある。

 目的と手段のこと、いまごろになって、
 こう言ってもいいのではないかと思うようになった。
 「手段は目的に含まれている」よ、と。

 たとえば、崇高な目的のために汚い手段を使うとしたら、
 その目的は崇高でもなんでもなく、汚いのではないか。
 たくさんの嘘をついて、相手の「悪」を倒すという人は、
 倒した後にも、だれにでも嘘をつき続けるのではないか。
 きっと、そうは言いきれない場合もあるのだろう。
 見方によっては、やむえない例外もあるのだろう。
 そう思う人がいるかぎり、そう言わざるを得ない。
 きっと歴史は、そうやって繰り返されてきたのだから。
 でもね、ぼくは「手段は目的に含まれている」と、
 そう思ってこの先も生きることにする。

 「あなたがするようには、わたしはしない。」
 ということは、実はけっこうたくさんあると思うのだ。
 だってね、ちがうんだもの、あなたとわたしはね。
 同じでないあなたとわたしが、共にいられますように。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あいつ、いなければいいのにと思うことも、ありますとも!