糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

03月18日の「今日のダーリン」

・マッサージとか指圧とか受けるのを好きな人は、
 だいたい覚えがあると思うのですが。
 「これは、硬いですねー」「ものすごいコリですね」
 「こんなで、よくがまんできてましたね」
 というようなことを言われると、
 けっこううれしいものなんですよね。
 「そう?そんなに硬い?」「ゴリゴリです」
 みたいな会話は、治療院のサービスみたいなものです。

 いまだと、花粉症の人たちが互いに語りあっています。
 「目やにがひどい」「鼻水が止まらない」
 「頭がぼーっとしてだるい」「くしゃみと鼻づまり」。
 こっちの場合は、どうやら、
 じぶんが一番じゃなくてもいいみたい。
 いちばん被害の大きな人を例に出して、
 「あの人がいちばんかもね」とか言ってますね。
 仕事をやめて海洋の島に引っ越したという人もいますから。
  
 なんでしょうかね、病気自慢だとか怪我自慢、
 貧乏自慢や不幸自慢は、昔からずっと雑談の定番ですよね。
 「骨が見えた」とか、「拾ったキャベツを食った」とか、
 いろいろな古典的なフレーズもありますが、
 考えてみたら「助かってる」から語れてるんですよね。
 いま現在、病気や不幸のどん底にいたら、
 話題にしているより先に「助け」が必要ですものね。
 肩や首のコリが「石より硬い」って言われた人も、
 その治療を受ける場所まで歩いて通っていますからね。
 大怪我して「骨が見えた」人も、いまは傷跡になってるし、
 「餓死しそうに貧乏してた」人も、いまは満腹してます。

 ほんとに苦しいとき、状況が厳しいときって、
 そのことを話題にしたりはできないものなんですよね。
 つらい話題っていうのは、話せるようになったという
 「いまをよろこぶ」テーマなのかもしれません。
 「そんなつらい状態なのに、よくやってますね」と、 
 やさしい労いのことばがほしいということもあるかな。 
 じぶんのこととして考えても、よくわかりません。
 でも、このごろのぼくは「肩や首がゴリゴリ」じゃないし、
 杉の花粉症もないし、あんまり同情もされにくい状態です。
 あとは、やっぱり眠りの時間がやや短いことかなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
元気だけどよく眠ってます、というのが理想なんだろうなぁ。