糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
02月06日の「今日のダーリン」
・ぼくの、もうちょっと直したいなぁと思っている習慣が、
ツイッターとかニュースを頻繁に見ちゃうことで、
これについては、よく考えてきてはいるのです。
で、理由は、わりと単純な気がするのです。
人は(動物は)動いてるものや変化してるものを見ちゃう。
そういう本能のようなものがあるのだと思います。
動いてたり変化するものに対して、注意が必要だからです。
それは危険を回避するためにも、獲物を捕まえるためにも。
犬とか猫とかを見ててもわかりますが、
生きていくことそのものに「動くものを意識する」
ということは含まれているのだと思います。
だから、ぼくはつい余計にツイッターを見るし、
ほとんどテレビを見ない老人も、ニュースを見るのです。
ということまでは、じぶんのなかではもう納得してました。
もともと、人(動物)に備わっている性質は、
いまの時代には隠されていることが多いけれど、
地下水脈のように広く深く存在していて、
知的だったりする人にも多大な影響を与えています。
それはたとえば、人の「皮膚」の露出は、
やっぱり人の目をひくことなんかもそうですよね。
「皮膚」というよりも、肌といったほうが近いですが、
隠されているはずと思っている部分が、露出されていると
どうしても目はそっちを見てしまいます。
大きな音が突然聞こえたら、そっちに耳と目が向きます。
ケンカや争いをしている声がしたら、どうしたって、
そこでどんなことが起こっているのか確かめたくなります。
びっくりするような「真相と称するもの」があったら、
驚いたりしながらも、それを知りたくなります。
いわゆる「扇情的」と言われているものには、
もともと人(動物)が注目しやすい性質があるのです。
好きか嫌いか、善か悪か、美か醜か、真か偽か、
そういうことには関係なく、意識が向かってしまう。
こういう、人のもともと持っている本能的な性質を、
うまく利用しようとした「炎上ねらい」のような方法が、
たくさん見られるようになってきてますよねー。
だから気をつけましょうなどと簡単には言えません。
ぼく(人・動物)も、見ちゃうことが多いのですから。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」は「やさしく、つよく、おもしろく」行きます。
ツイッターとかニュースを頻繁に見ちゃうことで、
これについては、よく考えてきてはいるのです。
で、理由は、わりと単純な気がするのです。
人は(動物は)動いてるものや変化してるものを見ちゃう。
そういう本能のようなものがあるのだと思います。
動いてたり変化するものに対して、注意が必要だからです。
それは危険を回避するためにも、獲物を捕まえるためにも。
犬とか猫とかを見ててもわかりますが、
生きていくことそのものに「動くものを意識する」
ということは含まれているのだと思います。
だから、ぼくはつい余計にツイッターを見るし、
ほとんどテレビを見ない老人も、ニュースを見るのです。
ということまでは、じぶんのなかではもう納得してました。
もともと、人(動物)に備わっている性質は、
いまの時代には隠されていることが多いけれど、
地下水脈のように広く深く存在していて、
知的だったりする人にも多大な影響を与えています。
それはたとえば、人の「皮膚」の露出は、
やっぱり人の目をひくことなんかもそうですよね。
「皮膚」というよりも、肌といったほうが近いですが、
隠されているはずと思っている部分が、露出されていると
どうしても目はそっちを見てしまいます。
大きな音が突然聞こえたら、そっちに耳と目が向きます。
ケンカや争いをしている声がしたら、どうしたって、
そこでどんなことが起こっているのか確かめたくなります。
びっくりするような「真相と称するもの」があったら、
驚いたりしながらも、それを知りたくなります。
いわゆる「扇情的」と言われているものには、
もともと人(動物)が注目しやすい性質があるのです。
好きか嫌いか、善か悪か、美か醜か、真か偽か、
そういうことには関係なく、意識が向かってしまう。
こういう、人のもともと持っている本能的な性質を、
うまく利用しようとした「炎上ねらい」のような方法が、
たくさん見られるようになってきてますよねー。
だから気をつけましょうなどと簡単には言えません。
ぼく(人・動物)も、見ちゃうことが多いのですから。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」は「やさしく、つよく、おもしろく」行きます。