糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

09月23日の「今日のダーリン」

・どうもやっぱり運動が足りてないような気がして、
 夜に散歩をしてみることにした。
 ほんとうは、散歩の好きな犬といっしょだったら、
 犬もたのしいし、ぼくにも都合がいいということになるが。
 うちのコはそうではないので、
 そのまま家で寝ていてもらって、ぼくだけが出かける。
 天井もない屋外を、早足で黙って歩いているだけだから、
 いちおうマスク付けては出かけるのだけれど、
 不織布のではなく、布製の呼吸しやすいやつにする。

 絵本作家でマンガ家でアニメーターのキューライスさんは、
 毎日、けっこうな長い時間を散歩に費やしているという。
 歩きながらマンガのネタを考えたりしているらしい。
 つまりそれはもう、道が仕事場だということだね。
 たしかに歩きながらものを考えるのは、とてもいい。
 それはぼくにも思い当たることなのである。
 だから、この夜中の散歩も、ちょっと実務的にね、
 この「今日のダーリン」を書くための助走にできるね、と。
 そういうやや欲ばりなことも考えて、外に出た。
 でも、そうそううまく行くものじゃないな。

 いまはAudibleで『失敗の本質』を聴いているので、
 ついつい、イヤホンからそれを流してしまうのだ。
 『失敗の本質』は、本でも読んだし、読み直したし、
 『「超」入門 失敗の本質』という入門書的な本も読んだ。
 それでも、朗読された文章を人の声で聴くと、
 やっぱりまたおもしろいというか、心に響くのだ。
 正直言って、この「日本軍の失敗」についての研究には、
 「日本人のわたしの失敗」の要素が多分に含まれている。
 だから、実は、聴いていて「痛い」ところが多いのだ。
 日本人が好む「物語」が、戦いの「失敗」につながる。
 そして、その「失敗」はたくさんの兵士や民の犠牲を生む。
 というようなことを、なんで散歩しながら考えるのか。
 そこに快感があるわけではないのだけれど、
 「創造性」につながる刺激があって、やめられないのだ。
 ということで、散歩はすっかりまじめになってしまった。
 1万歩近く歩いて、汗をかき、しごく真剣な表情で、
 のろのろと帰宅したのであった。
 あんまり健康にいいことをした実感がないなぁ。
 それでも、結局、この原稿にはなったから、いっか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんにせよ、散歩についてはもうちょっと続けてみたいね。