糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

04月02日の「今日のダーリン」

・「ほぼ日」も、仕事のやり方をやわらかく変えている。
 いわゆる在宅での仕事を基本にしてやっていく。
 いつも全員が集まってやっている水曜のミーティングも、
 それぞれの自宅で画面に向かって参加することになった。
 こういう新しい仕組みがスタートすると、
 ご祝儀相場のようにいいことばかりが語られるのだが、
 どんなものだって、いいところとわるいところがある。
 そのことを考えていて、まずはこれだ、と気づいた。

 リモートでの仕事は「一体感」を持つのがむつかしい。
 むろん、それがまったくなくなるわけではないけれど、
 「おれたちのチーム」という腹から感じられるものは、
 集まってはたらいているときに比べると少ない。
 おそらく、やっぱり人間は「群れ」で生きてきたもので、
 弱いものが集まって、互いに助けあったり、
 力を集めて獲得した食料を分け合ったりすることに、
 よろこびを見出してきたのではないかと想像する。
 「ほぼ日」にはそういう「群れ」の文化があったと思う。
 それぞれが自由にやっているようで、
 仲間の助けになりたいとか、共によろこびたいとか、
 そんなことが、はたらくことの「たのしみ」でもあった。
 群れのそれぞれが離れた場所で仕事をしていって、
 「一体感」が薄まっていくようなことがあったら、
 ぼくらの強みを失わせるようにも思えた。
 同じひとつのチームにいる、という感覚を失いたくない。

 ここで、この時期、全員がそろって、
 「ほぼ日手帳」に記録を書こう、ということを決めた。
 仕事のこと、やりたいこと、やったこと、考え、思い、
 見聞きしていることの感想、とにかく、すべて書く。
 毎日仕事として、20分や30分をそれを書くことにあてる。
 手帳に書くという同じことをしていながら、
 書いてあることは全部がばらばらになるはずだ。
 こんな、後々まで語られるであろう特別な時代に、
 ただの「ほぼ日」の乗組員たちが日々を記録する。
 100冊以上の「アンネの日記」ができていくとも言える。
 そして、これは、手帳を仕事にしている会社の全員が、
 ひろく深い商品知識を蓄えるという機会にもなるのだ。
 もしかしたら、あとでまとめて発表するかもしれない。
 個の人生のある断面であり、時代の記録ができるはずだ。 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
1日1ページをしっかり書くための、注意深い目も養われる。