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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-09-24

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いま『スポーツ報知』のための原稿を書き終えて、
 なんとなくその余韻が残っているので、
 そのまま、ここでホームランについて書くことにした。

 ぼくは、かつて「ホームランになりたい」と書いた。
 小さい子どもが、キリンさんになりたかったり、
 新幹線になりたかったりするのと同じように、
 ぼくは「ホームラン」になりたいなぁと思ったのだ。
 子どもとちがって、ぼくはオトナなので、
 ほんとうにホームランというものになれないことは、
 じゅうじゅう承知している。

 テレビ観戦でもわるくはないけれど、
 実際の野球場で、ホームランを見るのはすごいぞ。
 対戦相手のチームの放ったホームランは、
 心臓の奥がちょっと焦げ付いたような気持ちになる。
 当方のホームランは、もうただただうれしい。
 広い野球場のホームベースのあたりから、
 100メートル以上も打球が飛んでいって観客席に落ちる。
 短い時間だけれど、おお仕事そのものが、あの放物線だ。

 昔から、同じ野球の選手たちの間でも、
 ホームランをたくさん打つような打者は、
 そうでない選手たちから憧れの目で見られていたという。
 もともとプロ野球に入れるような人は、
 身体も大きいし筋肉などもよく発達しているのだろうが、
 それでも、長距離打者と呼ばれている、
 球を遠くに飛ばすことに特別にすぐれた選手たちがいる。
 そういう選手が、打席に立って、
 ピッチャーから投げられたボールを思いっきり叩く。
 そこで、ぼくが「ホームラン」だったら、
 ある速度で描かれる放物線になっているわけだ。
 打った選手はぼくじゃない別の人だ。
 飛んでいく球も、ぼくではない、野球の球だ。
 ぼくは「ボールのする旅」であり、その軌跡そのものだ。

 ま、こんなことを酔っ払ったように書いていると、
 精神分析好きの人から分析されちゃうかもしれない。
 こんなの、ただの短い詩ですって。
 ぼくが、ホームランになってみたいという詩ですってば。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ホームラン以外だと、絵本のなかの『エリック』も憧れだ。


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