TBSの『ニュースの森』のメインキャスター、
編集長、ニューヨーク支局長、
「NEWS23 X(クロス)」の
メインキャスターを経て、
現在BS−TBS『週刊報道LIFE』の
メインキャスターをつとめている、松原耕二さん。
いつもの仕事とはまた別に、
コラムニストとしての目で、いろんな人を観察したり、
いろんな人生に共振してきたようです。
誰も見ていなくても「ぼくは見ておこう」と、
松原さんが、心の奥の図書館に一冊ずつ集めてきた
さまざまな「人々の生き方」を、
「ほぼ日」に分けてもらうことにしました。

松原耕二さんのプロフィール

松原耕二さんのtwitter

2001年から2006年までのタイトルは
こちらからお読みいただけます。


おひさしぶりです。
きょうは84歳の老大家へのインタビュー。
平和学の父と呼ばれる人物にも
意外な一面がありました。



54歳の創造力

おでこに目が行った。
大きな絆創膏が貼られていたからだ。
しかもふたつ並んでいる。

「どうされたんですか?」

ガルトゥング博士が目の前に座るのを待って、
ぼくは尋ねた。
彼はよくぞ聞いてくれたとばかり、ニヤリと笑った。

「けがをしたんだ。
 日本が戦争をする国になる
 議論をしているから
 私が負傷してしまった。
 安保法案の最初の犠牲者ということになるね」

本当は、夜、レストランの階段を
踏み外したそうなのだが、
自分の冗談に口元を緩める様子は
いきなり茶目っ気たっぷりだった。


ノルウェイのヨハン・ガルトゥング博士は
前からインタビューしてみたいと
思っていた人物だった。
彼は武力に頼らずに争いごとを解決するには
どうしたらいいかを
人生をかけて考え続けてきた。

有名なのは、彼が唱えた平和の考え方。
まず戦争がない状態を
「消極的平和」と呼ぶ。
戦争がないなら、平和と呼べばいいじゃないか、
どうして「消極的」とつけなければならないの?
と突っ込みを入れたくなるが、
彼の真骨頂はここからだ。

社会にある貧困や差別などを
構造的な暴力ととらえ
これらもなくなった状態、
つまり紛争の種となる要素すらなくなった状態を
「積極的平和」と定義づけたのだ。
そして、こうした状態こそ
人類が目指すべき地平なのだと説く。
この結果、ガルトゥング博士は
平和学の父と呼ばれるようになった。

しかし、その彼もすでに84歳、
もうインタビューする機会はないかもしれないと
思っていた矢先のことだった。
映画配給会社の代表であり
プロデュサーでもある関根健次氏が
なんとクラウドファウンディングで資金を調達、
博士の来日を実現させたのだ。

当然のことながら
インタビューの申し込みは殺到した。
というのも、
同じ「積極的平和」という言葉を
使っている安倍総理を
「積極的平和の意味が違う」と批判していたからだ。
そのことについては多くの人が指摘しているので
ここで改めて話す必要はないだろう。
それよりも彼が平和学の父と言われる
本当の理由(とぼくが思ったこと)について
書いてみたい。


ぼくがインタビューする2日前、
印象的な場面があった。
田原聡一朗さんと博士の対談でのことだ。
ガルトゥング博士がアジアの平和のために
『東北アジア共同体』をつくるよう提案した。
その内容は、日本、中国、台湾、
北朝鮮、韓国、ロシアの6か国で
東北アジア共同体をつくってはどうか、
そして、その本部を沖縄に置くというものだった。

すぐに田原さんが疑問を呈した。
北朝鮮や中国は、政治と経済の体制が
日本と違いすぎる、そんなこと不可能だと。
たとえば、最近中国では、
人権派弁護士100人以上が拘束された、
そんなこと日本では起きようがない。
かくも異なる国々が一緒に共同体をつくれるだろうか。

ガルトゥング博士は反論した。
「あなたは相手の悪い面ばかり見ている」と。
いや、私だっていい面を見ようとしているが
それでも博士の提案は現実的ではない、と田原さん。
結局、議論は最後までかみあわないままで、
とうとうと持論を述べるガルトゥング博士に
最後は田原さんが黙り込んでしまう。

もしあなたがその会場にいたとしたらどうだろう。
博士の言うこともわかるけど、
北朝鮮や中国が乗ってくるはずもないし、
そんなの理想論だよなあ、と考える人が多いと思う。
実は、ぼくもそのひとりだった。
ところが、彼に直接インタビューして
博士と田原さんのズレ、その本当の意味が
少しだけ理解できたような気がした。

ぼくのインタビューの中でも、ガルトゥング博士は
『東北アジア共同体』について熱く語ったが、
その中でこう言ったのだ。

「ヨーロッパを見てください。
 800年から1000年の戦いのあとに
 EU(ヨーロッパ共同体)を持つことになりました。
 実際に、機能しているじゃありませんか」

確かにヨーロッパの国同士で
果てしない戦争を繰り返し、
第一次世界大戦、第二次世界大戦という
大量殺りくの戦争を経験したことで、
さすがに今度戦争をしたらもう終わりだ、
という切羽詰まった気持ちが
EUを生み出したと言ってもいい。


それにしても、とぼくは思った。
800年から1000年という時間軸で
博士は語っていたのだ。
ジャーナリストとして
目の前に広がる状況から判断する田原さんと
長い射程で国々を見渡している
ガルトゥング博士の話が
かみあわないのも無理はないだろう。

それだけではない。
ヨーロッパの共同体をつくることは
少し前の時代では理想論、
いや、それどころか夢物語として
一笑にふされていただろう。
でも今は、まがりなりにも
きちんと(問題はたくさんあるにしても)
機能している。
博士は「出来ないことなどないのだ、
あきらめてはいけない」と
言いたかったに違いない。

それにしても84歳にして、なぜ
これほどまでに未来を信じることができるのだろう。
インタビューのなかで、ぼくは尋ねた。

「どうしてあなたは、
 そこまでポジティブでいられるのですか?」

すると博士は答えた。

「私は今までに、35件の争いを
 解決してきた、その実績です。
 それに加えて、NGOの人間である私が
 紛争の解決のために
 世界の国々の外務大臣と
 ちゃんと渡り合ってきたのです」

博士の実績としてすぐにあげられるのが
ペルーとエクアドルの国境紛争だ。
エクアドルからアドバイスを求められた
ガルトゥング博士は
2か国が共同で土地を管理する方法を提案、
その時は理想的すぎると受け入れられなかったが、
後にその考え方を一部取り入れる形で
和平協定が結ばれる。

理論だけでは、ポジティブではいられない、
紛争解決に結びつけるアイディアを出した
実績があるから、理想を語れるんだ。
博士はこう言いたかったのだろう。
そういう意味では
日本が、中国、北朝鮮も含めて
東北アジア共同体をつくるべきだという持論も
彼の中では決して絵空事ではなく、
心から信じていることなのだ。


印象的だったのは、
彼がインタビューのなかで
『クリエイティヴ』という言葉を何度か使ったことだ。
日本の平和運動も憲法9条を守れと言うだけで
クリエイティヴではない。
平和を実現するには
クリエイティヴでなければならない。
実際、彼の提唱する解決法には想像力が要求される。
ふつう、争いを解決するには
両者が互いに譲って妥協することをうながす。
しかし彼は、妥協という道はとらない。
両者がともに協力し合えるような、
つまりウィン、ウィンの関係になれるような
アイディアを探ることで
対立を乗り越えようとするのだ。
ペルーとエクアドルの国境紛争の解決も
その創造力のたまものだと彼は言う。

平和とクリエイティヴィティ、
一見関係ないかに見えるふたつを
結びつけたことで
彼は紛争の調停者になりえたのだろう。
浮世離れしているように見える
平和主義者はたくさんいても
実際にどう世の中を平和にしていくかについて
アイディアを生み出せる人は少ない。
ガルトゥング博士が『平和学の父』と
敬意を持って呼ばれるようになったのは
理想をかかげるだけでなく、
理想と現実との間に、せっせと水路を
つくろうとしてきたからではないだろうか。

田原聡一朗さんとの対談の会場で
「実際の紛争を解決するために
 最も大事なことは何ですか?」という
会場の参加者の質問に、
博士がこんなふうに答えたのを覚えている。

「当事者それぞれに、
 まず理想を聞くことです。
 どうしたいのか、
 自分にとってどんな状態が理想なのかと。
 そこから解決するための現実のアイディアを
 探るのです」

すべての日程を終えて
ガルトゥング博士が日本を発ったあと、
博士を呼んだ関根健次さんがツイッターに
こんな文面をうっていた。

「84歳にして現役。
 世界中を飛び回るガルトゥング博士。
 4日アテンドして彼の知性と恐るべき精神力、
 プロフェショナリズムには驚いた。
 すぐ怒ることに度々閉口したが、
 それも若さを保つ秘訣なのかもしれない」
(傍点は筆者)

これを読んで、
そういえば、と思わず微笑んだ。
インタビューのとき
カメラの三脚の足が
自分の通路にかかっているだけで
「通れないじゃないか」と
博士が声を荒げたのだ。

怒りっぽい平和主義者。
浮世離れしない秘密は
意外とこのあたりにあるのかもしれない。

2015-09-14-MON
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こちらもぜひ。
初の長編小説『ここを出ろ、そして生きろ』を上梓した
松原耕二さんにインタビューしました。

松原耕二さんは、なぜ小説を書いたのだろう?



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チェリストから為替トレーダーに転身した田中雅さん、
そして、みずからの両親のこと、
日航ジャンボ機墜落事故の報道のことなど、
9つのエピソードを描くノンフィクションです。

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