こんにちは。
きょうは人々の思いがリレーされて
詩が生まれた、
奇跡のような物語です。


ミッション

それは偶然から始まった。
東京の広告制作会社で働く
坂井聖美(きよみ)さんは、
ガレキ処理のボランティアを志願した。
去年1月のことだ。

本当は南三陸町に行こうと思っていた。
ところがそのためには車が必要だとわかる。
ボランティアは、誰にも頼らず
現地に赴かなくてはならないからだ。
このため急きょ、駅から近い場所に変更、
結局、釜石市に落ち着いた。

印刷所に派遣されたのも、偶然だった。
当日の朝まで、どこを担当するのか
ボランティアには知らされない。
坂井さんが告げられたのは
『藤沢印刷所』という名前、
行ってみると、そこは海から
およそ400メートルの場所に立つ
こじんまりしたビルだった。

階段をのぼる。
二階まで津波がやってきていて
中は惨憺たるありさまだった。
そして三階まで来て、坂井さんは息を呑んだ。
津波はかぶっていなかったものの
床一面、活字が散乱していたのだ。




部屋にはいくつもの棚が置かれ
そこに順序だてて
並べられているはずの活字が
ほとんど下に落ちてしまっていた。
その数、6万本、
坂井さんは立ち尽くした。

「無残にばらまかれていて
 とても痛ましい状況でした」

活字と言われても、
イメージを結ぶことができないぼくに、
坂井さんが実物を見せてくれた。
鉛合金などでできた凸型の字型、
インクをつけて紙に押しつけ印刷する。
今はパソコンに押されているが
かつては印刷の主役であり続けた。




見ているうちに不思議な懐かしさを覚える。
ぼくでさえそうなのだから、
坂井さんとしては、とても
見過ごすわけにはいかなかったのだろう。
彼女は以前、製紙会社につとめていて
印刷に強い愛着を持っていたからだ。

「愛おしいという気持がこみ上げてきたんです。
 50年の歴史をもつ藤沢印刷所で
 昔から使われてきた味わい深い活字、
 それは釜石市の歴史も背負っているはずです。
 このままにしてはおけないと
 ひとつひとつ、夢中で拾い集めていきました」

廃棄されるはずの活字のうちから
坂井さんは5千本ほどを土嚢に詰め、
藤沢印刷所の許しを得て
東京に持って帰ることにした。
もちろん使い道など考えていない。
でもなにか役に立つことはできないか、
坂井さんはこの活字の存在を
いろいろなところで話して回った。

そこにまた偶然の出会いが生まれる。
たまたま紹介された
銅板画家の溝上幾久子(いくこ)さんが
中古の活版印刷機を購入したばかり、
しかし肝心の活字を持っていなかった。
それならば、と溝上さんは、
坂井さんが拾い集めた活字を使って
ポストカードを制作していった。




ところが、もうひとつの出会いが続く。
ギャラリーを主宰する武真理子さんが
このポストカードを見て
活字を詩人たちに託してみたらと思いつくのだ。
でも、そんなことしたら
彼らは困ってしまうのではないか、
坂井さんはそう心配した。
拾ってきた活字は、すべて
揃っているわけではないからだ。

たとえば「あ」は6つあるが、
「ぴ」「ぺ」「ぽ」などはひとつ、
「っ」「ょ」といった小さな文字はない。
足りない活字で詩を作れるのか。
そんな坂井さんの懸念をよそに
12人の詩人たちが作品をよせてくれた。
「谷川俊太郎さんが
 最初に送ってくださったんですが
 読んで涙が出ました。
 活字を拾ったことが、
 作家の方ひとりひとりの気持ちに影響を与えて
 新たな表現が生まれたんです。
 本当にぐっと来てしまいました」

廃棄されるはずだった被災地の活字たち。
偶然にも出会った坂井さんが拾い上げ、
溝上さん、武さんとリレーされ
12人の詩人たちが詩を編んだ。

「活字が繋いでくれた縁にただ感謝するだけです」

坂井さんは今でも信じられないといった様子で言った。

「奇跡のような気がしますね」

「はい、奇跡だと思います。
 藤沢印刷所の方が、こう言ってくださいました。
 活字も喜んでいるはずだと」

詩人たちは足りない活字とどう向き合ったのか。
谷川俊太郎さんがその思いを語ってくれた。

(続く)

2013-11-07-THU
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