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2018-01-22

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・親鸞について考えることの多かった吉本隆明さんに、
 「やっぱり親鸞は、特別にお好きだったんですか?」と、
 いかにも当たり前のことを訊いた。
 なんとなく想像される範囲の答えではない答えが、
 ごくごく自然に返ってきた。
 「‥‥ああ、それは、ぼくの家はもともと長崎のほうで、
 あのあたりは、浄土真宗の信仰が深いんでね。
 祖母だとかは、東京に来てからも本願寺なんかに、
 わりに熱心に通ったりしてました。
 こう、仏壇なんかもちょっと立派なもので。
 そういう家に育ったということが、あるでしょうねぇ」
 なにか思想的な深いところから話すのではなく、
 「代々、家に続いていた信仰があったから」という、
 ある意味、まことに身も蓋もないような答え。
 身の近くにあったものに影響されるということは、
 実際、大いにあることなのだけれど、
 吉本さんと親鸞のつながりを、そう説明されるとは、
 と、そのときは驚きにちかい感覚で受けとめた。
 あんなことを、例えば40代、50代の吉本さんなら、
 言っただろうかと思うと、いいことを聞いた気もした。
 吉本さんの考え至った思考の深みのことは別として、
 「親鸞のいる環境に育った」ということは、
 なにより先に言わねばならない大きな影響だろう。
 しかし、80歳を過ぎてからの吉本さんだからこそ、
 その影響の順番を正確に言えたのかもしれない。
 そこらへんのことを、もうちょっと突っ込んで訊くのは、
 その日のぼくには、ちょっと無理だった。

 近くにあるものや、いつもあるものによって、
 人の運命は大きく変わっていくものだ。
 末井昭さんの『素敵なダイナマイトスキャンダル』
 映画として完成して、それを観る機会があった。
 悶絶しつつ苦笑せざるをえないほど波乱に満ちた
 末井さんの人生が描かれているのだけれど、
 すべての展開は、「近くのもの」によって変っていく。
 もちろんたくさんの遠景や、中景もあるのだけれど、
 そのときどきに「近く」にあったものごとが、
 やっぱり主人公の「次の未来」を決定づけていくのだ。
 そんなことを考えながら映画を観ていて、
 吉本さんと親鸞のことを思い出したのだった。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
雪国の人には慣れた景色も、都会のニュースでは大騒ぎだ。


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