好評です!
ほぼ日のアプリあります。

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2018-05-20

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・日曜日に「ほぼ日」にきてくれる人、ありがとう。
 土曜と日曜は、昔のホームページの世界では、
 人が来ないので休みにすることが多かったのです。
 そこで、「ほぼ日」は土日もがんばる店ということで、
 努力で評判をとってやれと思い立ちまして、
 土日も休まず書くと決めたのがそもそもの出発点でした。

 さて、「高(たか)が知れる」という言い方を、
 いまは、あんまり聞かないような気がします。
 「最大だとしても、たいしたことない」という意味ね。
 「高をくくる」というのは、
 「せいぜいこんなものだろうと予想する」ということ。

 たいていの亭主は、女房に「高をくくられ」ています。
 いいことわるいこと言っても、数が重なっていくうちに、
 だいたいこんなものというのがバレるものです。
 そして、ことばで言ってきたこと以上に、
 どんなとき、どういうことをしてきたかも知られてる。
 円グラフのかたちのケーキの、味見程度の分量だけ
 「なにかがある」という可能性もあるけれど、
 おおむね、「この人はこんなもの」と高が知られてます。
 日常を長く共にしている人からの見られ方を、
 「女房リアリズム」と呼ぶと聞いたこともあります。
 よくもわるくも「これだけの人」になるのでしょう。

 そんなことを思うと、もうじき20年という長い時間、
 毎日、ぼくの書くものを読んだり、
 ぼくらのすることを見てきた人たちは、もう、
 すっかり、ぼくのことも「高が知れてる」と思ってます。
 すること、言ってること、これだけ長い日々のつきあい。
 隠しごとやら嘘やら美談があるにしても、
 夢やらビジョンやら大計画があるにしても、
 「せいぜいこんなもんだろう」と思われてて当然です。
 これだけつきあってきたら、どんなやつか、
 だいたいバレてて、それが当たり前だと思うのです。
 嘘をつき続けているとしても、とっくにネタも尽きてる。
 で、すっかりそういう関係でありながら、
 「夢も希望もないでもない」という気持ちも少々ある。
 このあたりのつきあいができてるとしたら、
 ぼくは、ほんとうに幸せ者だと思うんですよねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
やっぱり…長い間土日祝日も休まず…たがいにありがとう。


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