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2017-09-25

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いまだから正直に言いますが、ぼくは、
 なにかと「夢」を語りたがる人が苦手でした。
 「きみには夢はあるのか?」だとか、
 「若者だったら、夢があるだろう?」とか、
 「夢を棄てちゃだめだ!」とか、
 「夢に向かって走るんだ」とか、
 「夢があっていいわね」だとか、
 聞いていて、こころが苦しくなるような気がしました。

 「夢」というのは、とにかくよいものである、と。
 大人になると「夢」を失ってしまうけれど、
 子どもだとか若者だとかは、
 「夢」でいっぱいであるとか、
 何度もそういうことを言われていると、
 「夢」を持っていないじぶんは、まさしく
 「夢のない人間」だと思うしかなくて、
 じぶんを否定的に見るようなことになりかねない。
 でも、そうなりたくないから、
 「夢」そのものを否定したくなるわけです。

 ほんとうのことを言えば、
 ありきたりの、絵に描いたような、
 いかにも夢らしい夢を語りあってる人びとこそが、
 「夢」からいちばん遠い人たちなのだ、
 という気もするのですが、それはなかなか言いにくい。
 やがて、ぼくには、「夢」ってものは、ずいぶんと
 めんどくさいテーマだなぁという気持ちが残りました。
 考えたくもないのに、ずっと考えていたと思います。

 そうやって、なんかいやだなぁと思いつつも、
 ずっと考えていたら、ずいぶん年を取ってから、
 もしかしたら、これが「夢」なのか、と、
 思えるようなことを考えつくようになりました。
 「こういうふうになったらいいぞ」というイメージが、
 映画のポスターのように描けること。
 それが「夢」なんじゃないかと思うようになったのです。
 おそらく、多くの人が「夢」と言ってることのほとんどが
 「夢」じゃなくて「欲」だったりするんですよね。
 「夢」は、「あ、これか!」と思うようなものです。
 見つけただけで、勇気になるようなものだと思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『夢に手足を。』ということばは、本気で言っています。


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