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2018-01-21

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ほぼ日」を19年もやっているなかで、
 何度か同じことを書いているなぁと思いながら、
 あえて何度か書いていることがある。
 そのなかのひとつが、聖書(ヨハネ書)のなかにある
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、
 この女に石を投げなさい」というイエスのことばだ。
 姦淫をした女には罪がない、と主張したのではなく、
 石を投げている群衆に、問いかけたのだった。
 「人というのは、みんな罪を犯すものだろう?」と。
 裁くということの「重み」の元は、ここにある。

 時代によって、そう変わるわけではないのだろうが、
 「裁く」ということは、いつだって重いことのはずだ。
 それは、与える刑罰そのものの重い軽いによらず、
 裁かれた人の人生に大きな影響を与えるものになる。
 だから、日本に裁判員制度が導入されたときにも、
 「裁判員に選ばれる」ことへの緊張と責任を、
 おおぜいの人たちがあらためて考えることになった。
 アメリカの陪審員制度にしても、映画などで見るだけだが
 裁くことの厳しさや慎重さが、しばしば描かれている。
 「あいつは悪いから懲らしめてやろう」などという
 無責任な攻撃は、成熟した大人ならしないものだ。

 ただ、裁くことの重さや怖さを気づきにくい場面では、
 人はいくらでも、へっちゃらで裁いたりするものだ。
 近くの友人と、気軽な仲間と、酒場の片隅で、
 裁いても痛くも痒くもなさそうに見える人間を、
 常識やら正義やらの名の元に、裁きまくっている。
 (少なからず、ぼくもそういうことをしている)。
 「八百屋お七」の時代だって、同じようなことがあった。
 しかし、この無責任な密室の遊戯が、あっという間に、
 おおぜいの見える場所に流れて拡がってしまうのが、
 いまの時代の、これまでにない恐ろしさなのだ。
 瞬時にだれでもつながるソーシャルネットサービスは、
 ものすごい速度で「人気者」をつくり出し、
 さらにものすごい速度で「気にくわない人間」の人生を、
 取り返しのつかないものにしてしまう。
 裁くコストのほうは、無料で秒速、無限に安くなり、
 裁かれた者は、あっという間に泥沼に突き落とされる
 ‥‥イエスが生きていたら、どう諭すのだろうか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
かつての「東スポだろ?」みたいな共通理解がほしいよな。

土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。
昨日の「今日のダーリン」を読み逃した方はこちら。

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