・藤田元司さんのことを話すという仕事を、
お引き受けしました。
週刊誌の企画らしいのですが、取材されるというより、
記者の方と、藤田さんのことを話す時間を持てる
ということがうれしかったのです。
藤田さんのことを思い出そうと、
ひとりでネットを検索していました。
YouTubeではお葬式のもようもありました。
藤田さんのことが書いてあるページは、
それだけでうれしくて、読み込んでしまいました。
「ほぼ日」でも、インタビューをさせてもらって、
それは、いまでも読めます。
もっとお会いして、もっといろいろ聞きたかった。
亡くなってから、そういうことを思うものです。
そうして、さまざまな記事を読んでいるうちに、
あらためて発見したのが、
藤田さんが巨人の監督を辞めた年のことでした。
それは1992年のことだったのですが、
身体の限界もあってというかたちでの勇退でした。
ベンチにいるときにも、心臓の発作に備えて、
ニトログリセリンを持っていたくらいですから、
かなり厳しい状況で監督を続けておられたようです。
で、その勇退のときの藤田さんの年齢が、61歳。
今年のじぶんの年齢と同じだと知ったのです。
なんて大人だったんだろう。
ぼくが藤田さんと知りあったのは、1988年ですから、
そのときには、まだ57歳だったんですね。
「うわぁ!」と思うわけです。
大人って、かっこいいなぁと、子どもみたいに思います。
あのころの藤田さんと、いまのじぶんを比べたら、
ほんとに、申しわけないくらいにちがいます。
お会いできなくなってから、会いたいと思うのは、
まったく生きている者の勝手なのですが、
いまの年齢になって、ますます会いたくなりました。
「ほぼ日」の読者の皆さんにも、いまからでも、
藤田元司という人のことを知ってもらえたら、
とてもうれしいと思って、ここに書きました。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
また、いろいろはじまってますよ。
お引き受けしました。
週刊誌の企画らしいのですが、取材されるというより、
記者の方と、藤田さんのことを話す時間を持てる
ということがうれしかったのです。
藤田さんのことを思い出そうと、
ひとりでネットを検索していました。
YouTubeではお葬式のもようもありました。
藤田さんのことが書いてあるページは、
それだけでうれしくて、読み込んでしまいました。
「ほぼ日」でも、インタビューをさせてもらって、
それは、いまでも読めます。
もっとお会いして、もっといろいろ聞きたかった。
亡くなってから、そういうことを思うものです。
そうして、さまざまな記事を読んでいるうちに、
あらためて発見したのが、
藤田さんが巨人の監督を辞めた年のことでした。
それは1992年のことだったのですが、
身体の限界もあってというかたちでの勇退でした。
ベンチにいるときにも、心臓の発作に備えて、
ニトログリセリンを持っていたくらいですから、
かなり厳しい状況で監督を続けておられたようです。
で、その勇退のときの藤田さんの年齢が、61歳。
今年のじぶんの年齢と同じだと知ったのです。
なんて大人だったんだろう。
ぼくが藤田さんと知りあったのは、1988年ですから、
そのときには、まだ57歳だったんですね。
「うわぁ!」と思うわけです。
大人って、かっこいいなぁと、子どもみたいに思います。
あのころの藤田さんと、いまのじぶんを比べたら、
ほんとに、申しわけないくらいにちがいます。
お会いできなくなってから、会いたいと思うのは、
まったく生きている者の勝手なのですが、
いまの年齢になって、ますます会いたくなりました。
「ほぼ日」の読者の皆さんにも、いまからでも、
藤田元司という人のことを知ってもらえたら、
とてもうれしいと思って、ここに書きました。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
また、いろいろはじまってますよ。





