きのうに引き続き、
北島康介とブレンダン・ハンセンの
ライバル物語です。


アテネ、北京というふたつのオリンピックで
北島に敗れたブレンダン・ハンセンは
失意の中で、競技生活を離れる。
特に北京の敗北はハンセンの心に深い影を落とした。
母国アメリカで、ハンセンは
金メダルをとるのが当たり前と
みなされる存在になっていたからだ。

北京五輪のアメリカ代表を選ぶ選考会、
その200メートルの決勝、
ハンセンはふたりのチームメイトに破れ、
五輪出場すら逃す。
北島と戦う資格すら得られなかったのだ。
「ウォーミングアップに入る前から
 世界新記録を狙うどころか
 悪いことが起きそうな予感がしていたんだ。
 スタート台に登り、飛び込んだ。
 最初の100メートルはいい感じだった。
 でも最後の50メートルでふたりに抜かれた時、
 観客は声援をやめて
 何が起きたかを理解したんだ」

ひどく疲れていた、とハンセンは振り返る。
出場権を得た100メートルに出るため
北京に着いた時には、疲労のピークに達していた。
「正直、北京に来たくなかった」と告白する。
100メートルの決勝では
レース前にスタート台に座って水を眺めながら
26歳になってまで、なぜ自分は
変わらず水泳をやり続けているんだろう、
そんな思いすら心に浮かんだ。
決勝を迎える選手の精神状態としては
明らかに戦うモードになっていなかったのだ。
結果は4位、メダルには届かなかった。
すぐ近くでは世界新記録で金メダルを決めた
北島康介が雄叫びをあげていた。

敗北は、水泳以外のところで
自分が何者かわからなくなったからだ、と
ハンセンは言う。
「水泳は自分の人生の一部だが、全てではない
 水泳を取ったら何が残るんだ、と考えて
 不安定な気持ちになり始めたんだ」


ハンセンは北京からアメリカに戻って
スポーツドリンクを販売する会社の
マーケティングの職についた。
その仕事を1年やったあと、
水泳のコーチをしたり
トライアスロンに挑戦したりした。
トライアスロンをやったのは
200メートル平泳ぎよりも
自分を苦しめてみたいと思ったからだという。
北京五輪のあと、ハンセンはこんなふうに
やりたいことを何でもやってみた。

忘れてはならないのは彼が結婚をしたことだろう。
その妻の一言が
彼をもう一度、競技生活に戻すことになる。
妻がハンセンにこう問いかける。
「もし40歳になって振り返ったとき
 あなたは次の2012年のオリンピックに
 挑戦しなかったことを、後悔するんじゃないの?」
妻はハンセンの心の奥にあった思いに
気づいていたのだ。
ハンセンが「イエス」と答えると
妻はこう言ったという。
「そんな人とは一緒に暮らしたくないわ。
 ぐずぐずしないで水の中に戻りなさい」

それからのハンセンは
周りから見ても人が変わったようだった。
追い立てられるように競技に取り組んだ
かつての姿からは想像もできないほど
あらゆることを楽しんでいるように見えた。
ピラティスやヨガを練習に取り入れ
どうしたら早く泳げるかを
技術的に探求することにも喜びを見出した。
食生活を見直して、肉体改造に取り組んだ結果、
体脂肪率が7%から2〜3%にまで下がった。


さらに3年の空白の後の復帰レースで
勝利を飾ったことが
北京五輪前の悪夢からハンセンを解放したという。
「長い間、ぼくは怖かった。
 北京前の代表選考会の時のように
 誰かが最後の50メートルで
 ぼくを抜き去っていくのではという
 不安を拭い去ることができなかったんだ。
 でももう一度、車に乗り込み
 今ではバックミラーを眺めながら
 追っ手はいつ来るんだろう、と
 余裕を持って眺められるようになった。
 すごい泳ぎ、自分の泳ぎをして
 レースの最初から最後まで
 リードし続ければいいんだ」

北京以来の対戦で、北島を破ったことについて
ハンセンは
「タイムには満足していない。
 自分が最高と思うレースはまだまだ先にある」
と冷静なコメントを残しながらも、
ロンドン五輪では金メダルを狙うと語っている。
「この競技は、90%メンタルなスポーツだと
 今ははっきりわかる。
 自分が今までオリンピックで
 金メダルを取れなかったのは
 肉体の問題ではなく、精神的な理由なんだ。
 当時はいつも勝つことを期待され、
 世界新記録を狙わなければならなかった。
 でも今はそんなつまらないことに惑わされない。
 ぼくはそれをも楽しんでやるよ。
 ぼくのゴールは勝つこと、
 誰よりも早く壁に手を着くことだ」

本番で力を発揮できないという
イメージに溺れそうになったハンセンが
いわば回り道をしてたどり着いた境地。
ロンドン五輪の開催中に31歳になる彼は
生まれ変わった姿を
世界に見せることができるのだろうか。

それでは、北島康介は北京五輪のあと
どんな時間を過ごしているのだろうか。
ハンセンだけではない。
北島もこれまでのアテネ、北京への道のりとは
まったく異なる歩みを続けていた。

(続く)

2012-01-17-TUE
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