きょうは琉球料理の伝統を伝える
ひとりの女性の物語です。
2回に分けて連載しますね。



450年の記憶 【1】

沖縄のひとりの女性が、
この夏でひとつの区切りをつける。
山本彩香さん、74歳。
那覇市の繁華街から少し離れた住宅街の一角に、
彼女の料理店はある。
この10年、店にはひきも切らず客が訪れ、
まさに“予約の取れない店”であり続けた。

理由はふたつある。
ひとつは彩香さんがつくりだす琉球料理の奥深さ、
そしてもうひとつは彼女自身のえも言われぬ魅力だ。
要するに、彼女と会っておいしい料理を食べると
なんだか幸せな気持ちになるのだ。
そしてそこには、彼女の生きてきた道筋、
ひいては沖縄、琉球王国の複雑な歴史が、
深い河のように流れている。

この夏、久しぶりに彼女の店を訪ねた。
開店する午後6時半を少しだけ過ぎた頃、玄関を開ける。
靴を脱いであがると、
左手の2間にテーブルがゆったりと4つ配置され、
奥にはカウンター席がある。
木材の茶の色調が落ち着いた雰囲気を醸しだしている。
店内はしんとしていて、
一組の客が座ったばかりといった様子だった。

まだ彩香さんは来ていないようだ。
彼女は午後まだ浅い時間に、
店で料理の下ごしらえをする。
そしていったん自宅に戻り、
シャワーを浴びて支度を整え、
よき時間に顔を出すのが習慣だった。

私が通されたのは奥の座敷、
すぐに目に入ったのは、
熟成中の『豆腐よう』たちだった。
『豆腐よう』とは、硬めで水分が少ない地元の豆腐を、
沖縄の焼酎である泡盛などに
4ヶ月ものあいだ漬け込んで作る、
この島ならではの食べ物のひとつだ。
作るのに手間がかかるため、
自前で作る料理店は少なくなっているという。

豆腐ようたちと書いたのは、
サイコロのような形に切られた豆腐ようが、
おそらく300個以上はあっただろうか、
透明なプラスチックの容器に小分けされて紅色に輝き、
まるで息をしているように見えたからだ。

もちろんこうした舞台裏を、客に見せることはない。
そこは客間ではなく、店の私用の部屋だった。
山本彩香さんが
8月いっぱいでいったん店をたたむと発表するや、
あっという間に予約で埋まった。
もう一度、彩香さんのおまかせ料理を食べたいという、
私の電話の声がよほど切羽つまっていたのだろう。
なんとか用意してもらえたのが、
出番を待つ豆腐ようたちがひっそりと眠る
部屋の一角だったのだ。
見渡すと彩香さんがこよなく愛する陶芸家の器や、
友人たちの写真、
彼女が取材を受けた多くの雑誌が所狭しと並んでいた。

ビールを呑んでいると、最初の料理が運ばれてくる。
小さなグラスに入ったゴーヤジュースだ。
そして熟成を終えた『豆腐よう』、
上質なチーズのように濃厚、
それでいてまろやかな味が口の中に広がる。
酒飲みにはたまらない。

続いては、ミヌダル(黒ゴマをのせた豚の蒸しもの)、
ゴーヤの天ぷらなど4種類の料理が
漆の器に盛られている。

運んできてくれたのは彩香さんの右腕の由美子さん、
彼女は何を食べているとこんな風になれるんだろう、
と思わせるほど、いつも肌がつやつやしている
(ちなみに私より年上だ)。
「これからは時間ができるから、『豆腐よう』を
 1万個つくろうって話してるんですよ」と
由美子さんがはじけるように笑う。

次々と料理が出てくる。
ゆし豆腐(水を抜いて固くする前の、
やわらかい状態の豆腐)、
スーチキージン(豚ばらの塩漬け)を味わう。
すべてが少しずつ盛られているのも、
たくさんの食材をバランスよく
食べられるようにという彩香さんの心遣いだ。

そして登場したのが『どぅるわかしー』だ。

私が彩香さんの料理にはまったのは、
この『どぅるわかしー』が
きっかけだったと言ってもいい。

初めて彩香さんの店を訪れたのはもう6年前のこと、
知り合いの紹介で予約をとり、
ひとりカウンターで泡盛を呑んだ。
沖縄料理に何の知識もなく、ただ箸を進めていた。
そこに出てきたのが『どぅるわかしー』だった。
一口食べて「うまい」と思わず声を上げてしまった。
料理番組で、お約束事のように発せられる台詞ではない。
本当に声が漏れたのだ。
「すみません、おかわりできませんか‥‥」と
恐る恐る申し出ると、
彩香さんは笑いながら頷いてくれた。
この味に引き寄せられるように、
気がつくと翌日の夜もカウンターの隅に座っていた。

『どぅるわかしー』を言葉で説明するのは難しい。
何よりそれまで食べたことのない味だった。
もしかしたらそれが私にとって、
生まれて初めて琉球の味を
意識した瞬間だったのかもしれない。

この料理は里芋の一種であるターンム(田芋)と、
その根であるタームジ(田芋の茎)が
中心になる具だくさんの料理だ。
少々長くなるが彩香さんが書いた
レシピの一部を引用してみる。

「タームンは通常蒸されて売られていますから、
 簡単にあく抜きしておきます。
 タームジ(田芋の茎)もゆでてあく抜きし、
 ターンムと一緒につぶして繊維状にします。
 タームジは『どぅるわかしー』にとって
 とても大切です。
 ターンムだけだと、粘り気だけになってしまいます。
 繊維をたっぷり含むタームジが入ることによって、
 『どぅるわかしー』にさらっとした食感が加わります。

 豚のばら肉、シイタケ、キクラゲ、カステラかまぼこ、
 グリーンピースはそれぞれさいの目に切り、
 具にします。
 サラダ油で炒め、砂糖、塩、醤油、
 みりん、泡盛で味付けする。
 泡盛も沖縄の料理には欠かせません。
 具の準備ができたら、
 あく抜きしておいたターンム、タージムを入れ、
 かつおだしを加えていためます。
 水分が適度に飛んで、程よい硬さになるまで
 中火でじっくりいためる。
 練り物は腐りやすいので、
 うんと火を通すようにします」
(「てぃーあんだ」山本彩香 沖縄タイムス社より。
 *改行は「ほぼ日」でしました)

久しぶりの『どぅるわかしー』を口に入れる。
食べてしまうのがもったいないような気がして、
一口ずつ味わいながら箸を進めた。
続いてミミガーウェームン
(豚の耳の皮をピーナッツなどで和えたもの)、
沖縄の代表的な料理であるラフテー、
さらにゴーヤの白和えが、一品ずつ運ばれてくる。

「一緒に写真とってください」
ふすま越しに客の声がする。
彩香さんが姿を見せたのだろう。
しばくして、ふすまがあいた。
「こんばんは」
彩香さんがにこやかに入ってくる。
明るい青のシャツに花柄のエプロン姿だった。
小柄でエネルギッシュ、
瞳は子どもの頃のままのように輝いている。

「久しぶりの『どぅるわかしー』、おいしかったです」
と私が言うと、
「不思議と男の人のほうが
 『どぅるわかしー』に、はまるみたい。
 『どぅるわかしー』に餌づけされたって
 誰かが言ってたわ」
と彩香さんが笑いながら返す。
たぶん私も餌づけされてしまっているひとりに違いない。


▲これが『どぅるわかしー』です。
 ちょっとピンボケですが‥‥。

彼女は部屋に飾ってある器を見せてくれる。
沖縄の陶芸家、国吉清匠(せいしょう)さんの作品だ。
そばには国吉さんと一緒に写った写真も飾ってあった。
「呼んでます」
由美子さんが、少し開けたふすまの間から顔を出す。
客のにぎわいが聞こえる。
客たちは料理とともに、
彩香さんと話すのを楽しみにしているのだ。

ちょっと行って来るわ、と言って、
彩香さんが腰を上げる。
入れ代わるように、由美子さんが料理を運んでくる。
豚足を蒸して油を抜き、
巻いて丸い形に整えたものだという。
「なんていう名前なんですか」
「まだついてないんですよ。とりあえず、
 豚足のぐるぐる巻き、とでも呼んでおいてくさい」
と言って、由美子さんがいらずらっぽい表情を見せる。
彩香さんは今も新作に挑戦する。
来るたび新顔が、コース料理の中に加えられている。

続いてシャコ貝の豆腐ようあえ、
ソーミーたしやー
(そうめんを沖縄独特の味付けで炒めたもの)、
ジーマーミ豆腐
(ピーナッツの絞り汁でつくる豆腐のような料理)、
そして最後は、トゥンファン
(炊き込みご飯にかつおだしかけたもの)に
マンゴーの漬物が添えられていた。
さすがにこれだけ食べるとお腹いっぱいになった。
餌づけされている私はすっかり満足して、
あとは泡盛をちびちびと呑み続けた。

ふすま越しに、客たちが彩香さんと
別れを惜しむ声が聞こえる。
しばらくすると、彩香さんが再び顔を出した。
「毎日忙しいでしょう」
「そう、でもありがたい。全国から来てくれるのよ」
店を閉める8月いっぱいまで、こんな状態が続くという。
と言っても、完全に閉めてしまうわけではない。
今のやり方だと、
店を閉めて片付けて家に帰るのが夜中になってしまう。
74歳でこれを続けていくのが
体力的にかなり厳しいのは容易に想像がついた。

「終わりじゃない、長く続けるため、
 お客さんに長く料理を味わってもらうためなの」
それは、琉球料理の伝統を受け継いできた彼女の
密かな決意でもあった。

(来週に続きます)

2009-09-01-TUE
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