・気仙沼に来ています。
さっそく、久しぶりの人たちに会っててたのしいっす。
斉吉さんの「ばっぱ」、会ったとたんに、
たがいに「変わらないですね、お元気そう」と言いました。
たしか、ばっぱは、ぼくの10歳くらい年上です。
で、ぼくに「お元気そう」に続けて、
「それに、おもしろそうです」と言ってくれたのでした。
こんなにうれしいことばをかけられたのは初めてです。
これからは「おもしろそう」と言われるように生きます。
そして、もう一人、年上の人、北海道からのお客さん、
R亭のO田さんにも会えて、これがまたうれしかったです。
「朋あり遠方より来たる」そのものの時間が過ごせました。
ぼくは、いろんな人の影響を受けているのですが、
この先輩のやってきたこと、話してくれたことは、
いまの(特に最近の)考えの手本になっている気がします。
もう少し暖かくなったころ、絶対にまた会いに行きます。
・ある考え方があって、それはまことにその通りと思う。
例えば「急がば回れ」であるとかね、つくづくわかる。
だけど「善は急げ」についても、まったくそう思います。
急ぐのか、回るのか、どっちかにしろと言われても、
その都度どっちなのか「判断」するんですよね。
いろんなことを話していて、こういうことは多いなぁと。
ときには、「急がば回れ」なんですよ、ほんとにそれです。
あわてるんじゃない、そんなに急いではいけない。
近道をして失敗したことだって、あるでしょう?
でもね、しかしね、落ち着いている間に、
せっかくの機会を逃してしまうこともたくさんあります。
ぐずぐずしていて結局なんにもならないことだらけです。
「すぐにやるんだよ、善は急げだ!」ということは、
じぶんにも人にも、しょっちゅう言ってますよ。
だれでもどっちの体験もあるし、そういう気持ちがある。
いろんなことが、ほんとに「どっちも」なんだけど、
その状況やら境遇で「判断」をしているんですよね。
つまりその、人生は「判断」なんであると。
気仙沼のホテルで、そういうことなど書いて、寝ます。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
これで書き終えたということも、いま「判断」したのでした。