今日のダーリン

・なにか「新しいこと」をやろうとするとき、
 ついつい引っかかっちゃう罠がある。
 いや、「新しいこと」じゃなくてもいいや。
 なにか「やりたいこと」をはじめるとき、でいい。
 
 ついつい、前例を探しはじめてしまうのです。
 似たようなものがあったはずだとか、
 いま現在のその業界はどうなっているんだろうかとか、
 企業だったら競合他社の動向だとか、市場調査だとか。
 それもいいですよ、やりたきゃやればいいし、
 「それがうまくいくのは、こんなふうに、
 うまくいくための方法をちゃんと踏襲しているからです」
 なんてことを説明するためには、きっと必要なことだ。
 だけど、「かならずうまくいく理由」を揃えさせて、
 その上でオッケーを出そうとする責任者なんて、
 つまりは「いなくてもいい」とも言えるんじゃないか?
 とか、何度も思ったことがあるけれど、言わないでいる。
 
 で、最初の話に戻るんだけどね、
 「いまあることを、もっとじょうずにやります」
 というのは、実はいちばん困難な試合になるはずだ。
 だって、ねぇ、先にやってる人たちのほうが、
 うまいからうまくいってるんだもの。
 
 さて、「新しいこと」「やりたいこと」をはじめるとき、
 つい引っかかっちゃう罠というのは、 
 枠組みでも、スタイルでも、ムードでも、テーマでも、
 じぶんたちも「できる」ということを見せようとして、
 「ただのパロディ」をやっちゃうことなんだよね。

 パロディは、「批評」にはなるんだけれど、
 そこからなにかを生み出すということができない。
 もともとのなにかの容れ物を借りたままだからね。
 それより、もともとのなにかを無視するくらいの
 「バカ」になったほうが、新しいものが生まれんだ。
 新しい魚屋をやってみたいと思ったら、
 魚屋を研究して、魚屋のパロディをするのではなく、
 「え、魚屋ってそういうものだったの?」と、
 「わかってない」ほうがいいと、ぼくは思っている。
 じぶん自身の失敗と成功の例を考えた結果なんだけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
許しを得る方法と、じぶんで漕ぎ出す方法はちがうんです。