「いいなぁ」とか、「好きだ」とかを。

糸井重里

・人間が、機械になにかさせるときには、
 「もっと速く、もっと強く、もっと効率的に、もっと多く」
 というふうに進歩させてきた。
 これは、わかりやすいし、数字にも表しやすい。
 こんなに速くなった、強くなった、たくさんできた。
 
 「速い、強い、効率的、多い」は、数字などを使って、
 ある意味、だれにでもわかる比較ができる。
 そして、それはどんどん発達していって、
 人の目には見えない、追いきれないレベルになっている。
 さらに、そういう進化は物理的なものばかりでなく、
 脳のやることのほうにもおよんでいった。
 電子計算機という呼び方をしている時代から、
 いまの「生成AI」に至るまで、激しいまでの進化がある。
 しかし、それは、数字や記号で比較して、
 だれでもがはっきりと評価できることが中心である。
 「速い、強い、効率的、多い」が、
 世の中の「価値」のすべての基準になっていたとしたら、
 ややこしい判断など入る余地もない。
 これで万事うまくおさまっているはずだ。

 だが、世界のものごとを動かしている
 「主体」である人間は、もっとちがう価値観で判断し、
 選択し、そっちに命をかけたりもすることさえある。
 「いい」とか「美しい」とか「おもしろい」とか、
 「かわいい」とか「惹かれる」とか、
 数字や記号で比較できない定義さえもしにくい「価値」が、
 実際の世の中ではいつでも活発に問われているのである。
 いくら「言語化(記号化)」をしようとしても、
 それは価値に輪郭線をつける程度にしかならない。
 「よくわからないままで、すっごくステキ!」なのである。
 「アート」と名付けて別に囲い込んでいた「価値」だが、
 それは「粋」やら「かっけー」やらの領域でもある。
 わけわからんけど、おもしろくなってきてるぞー!

 ◆今日もあなたにインタビューです。
 no.006「はじめての嘘と、最後についた嘘は?」です。
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今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間が感じたり、思ったり、考えたりすることを大事にする。