今日のダーリン

 ・一般的に、どんぐりはしゃべらない。
 せいぜい、ころころ転がったり、
 お池にぽちゃんと落ちるくらいのことしかできない。
 こどものころから歌って憶えている
 「どんぐりころころ」という童謡は、
 おとなになってから、よく味わうとなかなかすごい。
 
 まず、だれもが認めそうな具体的描写からはじまる。
 「どんぐりころころ どんぐりこ」とね。
 ただ、ここで、なにげなくすでに、
 不思議の世界に入り込むカギが渡されている。
 「どんぐりこ」の「こ」である。
 メロディに乗せて、違和感なさそうに忍ばせているが、
 「こ」はどこからやってきてどんぐりにくっついたのか。
 おそらく、「どじょっこ」だの「ふなっこ」だのにつく
 「ちっちゃい」の意味も含んでいるのだろうけれどね。
 歌う人が「こ」を軽く受け入れてしまったところに、
 また、ふつうの具体的な描写が続く。
 「おいけにはまって さぁたいへん」である。
 転がって、池に落ちたのだ、なんの不思議もなさそうだ。
 ところが、これに続く歌詞が、
 「どじょうがでてきて こんにちは」である。
 どじょう、いくら出てきてもかまわない。
 この池に暮らしているのだろうから、
 落ちてきたどんぐりに出会うのはおかしくない。
 しかし、「こんにちは」と言うのはもう不思議だ。
 どじょうが、人間のことばであいさつするのだぞ。
 思えば、その伏線はあったと言わざるを得ない。
 お池にはまった際、「さぁたいへん」という声があった。
 どんぐりが池に落ちたことを、「たいへん」というのは、
 だれから見てのことだったのか、
 歌う人は、そこもそのまま受け入れてしまっていた。
 これをいったん認めてしまったら、もうもどれない。
 「ぼっちゃん いっしょに あそびましょう」になる。
 どう遊ぶのか、どうして遊びたいのかはわからない。
 しかし、人語を話すどじょうが、どんぐりの男のこに、
 なにかして遊ぼうという世界に、
 歌っているぼくらは、すでに沈みこんでいるのだ。
 …きりがないので、ここらでおしまいにする。
 実は、このあとどんぐりは泣いたりもするのだが…。 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
フィクションがあるっていいねという、日曜のお話でした。