今日のダーリン

・考えて、考えて、考えを寄せ集めて、調査もして、
 また考え直して、なんならテストもして、
 これで大丈夫と読めるようなデータも集めて、
 あたまいい人やその道の専門家の意見も聞いて、
 それで出した結論
 …だらけなんですよ、いまの世の中は。
 そういうことをできる企業や個人は、
 たぶんみんなそうしている。
 みんなが同じやり方、同じ道具、同じ場所で、
 釣りのトーナメントに出場しているみたいなものです。
 
 そういう手続きが大事なこともたくさんあると思います。
 精密な機械だとか、壊れては困るような乗り物だとか、
 高層ビルみたいな建物とかも、そうですよね。
 もちろん、スマートフォンにしても、自動車にしても、
 「なにをつくるのか?」決めてからは、
 慎重さや正確さ、間違いなさが必要になるんですけどね。
 でもその、そもそもの、元々のところで、
 「どんなもの」をつくろうかを決定づけるのは、
 そこが勝負じゃないことが多いんですよね。
 考えを積み上げて積み上げて出てきた結論に合わせて、
 なにかをやっていっても、だれもよろこばないことが多い。

 だいたい、おもしろいものごとというのは、
 結論が先に出ていたりするものなんじゃないかな。
 「こういうのいいな」「この人、すごい」「サイコー」
 「好きだなぁ」「いいね」「かっこいい」
 と、なんというか「あたまわるそう」なことばで、
 すっと出てきたものが強かったりする。
 そして、後でだんだんと説明もついてくる。
 「そういえば、そういうふうにも言えるね」なんて、
 どういうわけか理屈が後から追いかけてきてくれるんです。
 それは、おそらく「もともと当り!」だからでしょうね。

 「結論が先に出る」ってことが、
 いつもうまくいくわけじゃないのも承知のうえで、
 「そういうこともありうる」だとか、
 「それをねらってみよう」だとかいう方法に、
 もっとチャンスを与えてもいいと思ってるんですよね。
 昔、「知的から詩的へ」って言ったような記憶があるなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
世の中が「あたまよさそう体系」に偏りすぎなんだよねー。