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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-03-04

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・<じぶんが自由でないことに慣れていくうちに、
 人というものは、すでに自由になっている人を
 憎らしく思うようになるんだよね。>

 先日、清水ミチコさんが、自身と矢野顕子の音楽との
 出合いを文章にしていて、それがとてもよかった。
 清水ミチコさんは音楽を身につけていた少女だったから、
 矢野顕子のやっていることがスゴイことだと、
 率直に認められたし、こころから憧れることができた。
 こういう文章を読むと、ぼくは、
 昔のじぶんの恥ずかしい心根を思い出さざるを得ない。
 1976年9月だったという渋谷公会堂での
 矢野顕子のデビューコンサートの観客席に、ぼくはいた。
 天才が現れたということで、当時の、先物買いの好きな
 音楽関係者やら、編集者、写真家などが集まっていた。
 登場した矢野顕子という天才アーティスト(21)は、
 「新人です、これからどうぞよろしくお願いします」
 などという態度もそぶりもまっったく見せず、
 ぼくの知っているようなロックの音楽ではなく、
 民謡やら小学唱歌みたいな曲を、たのしそうに、
 妙なリズムで歌いまくっているのだった。
 自由すぎるように思えたし、自信たっぷりにも見えた。
 観客だったぼくは、たぶん、一瞬にして僻(ひが)んだ。
 この天才の、この自由さがよしとされるのなら、
 おれはぜんぜんダメなやつだという気がしてくる。
 そういうことが判断されそうで、怖かったのだと思う。
 現在なら、力も自信もない青年の虚栄心がよくわかるが、
 そのときの本人は、それを理解したくなかった。
 「天才かもしれないけど、おれは、嫌いだな」と決めた。
 これが、ぼくと矢野顕子の最初の出会いだった。
 この1976年に、彼女はデビューアルバムを出している。
 『JAPANESE GIRL』というタイトルで、
 A面の録音はアメリカ、あのリトル・フィートがバックだ。
 当時もすっごいことだったし、いまでもすごいことだ。
 21歳の矢野顕子が、どう感じていたのか、いま訊いた。
 「まったく緊張してなかったです。
 完全にバンマスやってたんですよね〜。
 はい、そこんとこ、もう一回やってみよう、とか。
 英語もできない小娘のくせして」と返事があった。
 この人は、ずっとこうで、ぼくのほうが変化したのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「自由ってのは、こういうことさ」、おれたちも自由だぜ。


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