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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-01-26

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・在庫の時代。

 仮説というものを、人はなんとなく持っていて、
 それを軸にしてものを考えることがある。
 「手の温かい人は、こころが冷たい」
 なんて仮説を持っている人は、そう思って生きている。
 こういう人とは、手を冷たくして握手しないとね。

 ぼくも、それなりに仮説を考えることが好きで、
 いくつもの仮説を思いついては、
 それが合ってるのかどうか気にしながら過ごしている。
 「これはダメだったかな」という仮説もあるし、
 「これは、けっこうイケるぞ」というものもある。 
 そういうなかで、ずっと通用してると思えるのが、
 「在庫の時代」という考え方である。
 高度に発達した資本主義の社会では、
 生産(供給)の方法やしくみはどんどん進歩して、
 「モノをつくるだけなら、いくらでもできるよ」
 という状態になっている。
 ときおり、ある種の原料やエネルギーに不足があっても、
 基本的には売れるあてさえあれば、生産はできる。
 しかし、人間の数には限りがあるし、
 人の欲望やそれを買うための資金も限られているので、
 生産されたモノは、消費されるところまで届かずに、
 どこかで「在庫」になってふくらんでいる。
 そういう時代は、かなり長く続いているものだから、
 「需要に見合った、ちょうどよい量の生産をする」だとか
 「在庫を始末するための別の流通」を考えることだとか、
 「在庫を上手に管理して、損をなくす」方法が発達する。
 それはあくまでも「管理(コントロール)」だから、
 価値や富を増やすことにはなってない場合が多い。
 そう言っている間にも、ITの「管理」のおかげで、
 「管理」ばかりが発達しているのが、現在というものだ。

 仮説だから、あえておまけのように言うと、
 健康で若い人間は「子孫をつくる能力」を持っていて、
 その能力はほとんど衰えてないはずだが、
 これも、残念ながら在庫になっていることが多い。
 少子化社会とは、実は生殖の「在庫の時代」とも言える。
 他にも、さまざまな場面で「在庫の時代」になっている。
 この仮説は、ぼくはまだしばらくは考え続けるつもりだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
在庫の時代には、消費を、受け手を、流れを、出合いを。


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