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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-01-17

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・先日は、バカおじいさんとして、
 娘の娘が「ことばをおぼえる」過程で、
 意味のないなにかを歌のように発語するということを、
 おもしろいものだなぁと書いた。

 生まれたてのこどもが、もし親たちも含めて
 だれもことばをしゃべらない世界にいたとしたら、
 きっと、ことばをおぼえたりはしないのだろうな。
 周りがことばをしゃべっているのを、きっと、
 わからないなりにまねて、ことばをおぼえていくのだ。
 というようなことを思っていたところに、
 こんどは、感情表現も、ことばのようなものだから、
 まねによっておぼえていくのかもしれないと、
 そんなことを考えることになった。

 娘の娘が、「かわいい」という表現をはじめたのだ。
 「ほぼ日手帳」のおまけについてきた
 テディベアの金属製の小さな人形を、
 じぶんのほっぺたに押しつけて、
 感極まったように首をかしげ、満面の笑みをたたえて、
 「ぁーわいぃー」と言うのだ。
 何度でも、これを繰り返している。
 たぶん、じぶんが言われたり、
 親が見せている「なにかをかわいがるしぐさ」を、
 まねすることからはじまっているのだろう。
 かわいがられているうちに、かわいがるの側に移行する。
 なにかとこういうことが、繰り返されていくのだろうな。

 それにしても、「かわいい」は感情である。
 感情は数式のように確かな意味を伝えられない。
 悲しいであろうが、腹が立つであろうが、
 だれかが「これが悲しいだよ、悲しがってごらん」
 なんてぐあいに練習させるわけにはいかない。
 おそらく、こどものほうが、
 「やがて悲しいと名付けられるような内臓的な感覚」を
 迷いながら表現することになるのだろう。
 そのときには、たぶん、親や近くにいる人の
 しぐさや表情などをまねることになるにちがいない。
 じぶんも、そうやってことばや感情や表現や考えを、
 すこしずつ身に着けてきたんだろうなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
思えば、じぶんというのは「他人のかたまり」なんだね。


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