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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-28

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・じぶんが歳をとると、不都合なことも出てくるけれど、
 かえってよかったなと思うことも増えてきます。
 たとえば、若いときには遠慮して言えなかったようなこと、
 人生であるとか、幸福であるとか、生や死だとかの、
 とても根本的なことについて、口にできるようになる。
 だってねぇ、22歳の青年とかが
 「人生って、こんなふうです」なんて言ったら、
 おまえどんだけ人生やってるんだよ、と、
 それこそ人生の先輩方から睨まれそうじゃないですか。
 睨まれなくても、本人の心づもりとして、
 「いまはまだ人生を語らず」くらいの謙遜な姿勢は
 持っていたかったんですよね。
 でも、実際ね、人生も、幸福も、生と死も、
 もちろん愛とか人間の尊厳とかについても、
 若いからといって考えてないわけでもないわけで、
 考えちゃいるけど言えなかった時期を、
 ずっと何十年も過ごしてきているわけです。
 しかしそれでも、いつごろからか、
 「もう、ちょっとくらいは言えるかもしれない」と、
 水道の蛇口を少しずつゆるめるように、言いはじめます。
 「それなりに人生みたいなことを」なんて、
 まだまだ遠慮して遠回りしながらだけど、口にも出す。
 これが、ねぇ、60歳くらいからだったかな。
 うまいこと「失敗談」なんかとからめたりね、
 もっと年上の人の発言の引用をしたりしながら、
 「人生」ということばに近寄って行くのでした。
 まぁ、それだけ「つらの皮が厚くなっている」
 ということでもあるのかもしれませんが、
 「人生」も「幸福」も「生と死」も
 思っているぶんだけ言えるというのは、
 本人からするとわりかし気持ちのいいものなんです。

 昨日なんて、これまで会ってなかった人に
 初めて会う機会をつくってもらって、
 「会ってないまま死んじゃうことになるし…」
 と、ふつうに言えちゃったじぶんに感心しました。
 でも、本気でそう思っているんですよねー。
 「遺言で言いたいようなことは、
 生きてるうちに、まずじぶんでもやろうよ」が、
 最近のぼくが「発明」したコンセプトです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いまみたいに元気なときに、なにかとやっておきたいです。


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