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ほぼ日刊イトイ新聞

2022-01-18

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・このごろはどうなっているか、知らないのだけれど、
 昔、「山の分校」というような教室があったようだ。
 ぼくはドキュメンタリー番組で見ただけなのだが、
 住人の少ない山の奥のほうでは、生徒の数も少ないので、
 学年ごとに分けて教室をつくるわけにもいかず、
 1年生から6年生まで、すべてがいっしょの場所にいて、
 ひとりの先生がぜんぶの生徒を教えていた。
 実際にすべてがそうだったのか知らないけれど、
 ぼくの印象に残っているのは、そんなようすだった。

 年長の生徒は、小さい子の面倒を見ることもして、
 しかも、じぶんの勉強もする。
 考えてみたらなかなか大変なことだと思うのだが、
 じぶんが年少の生徒だったときに、
 年上のお兄さんやお姉さんに世話をしたもらっているから、
 それを引き継ぐという感じなのだろう。
 ぼくは、なぜだかわからないが、
 そういう「山の分校」のことがちょっとうらやましかった。
 もともと学校というのは、
 試験とそのための勉強だけの場ではないわけで、
 ともだちどうしの遊びだとか、年上や年下との関係だとか、
 いろんな社会的なもろもろを学ぶ場所だ。
 「勉強は嫌いだったけど、学校は好きだった」という人も、
 たくさんいるのも知っているし、ぼくもそうだった。

 思えば、会社というのも「山の分校」のスタイルだ。
 年長さん、年少さん、新人、なんなら老人もいるぞ。
 仕事やらなにやらの経験のあるメンバーは、
 理想的には、新しい人に考え方ややり方を教えたりする。
 理想的には、背中でなにかを学んでもらったりする。
 まぁ、理想的には、なんだろうけどね。
 でも、うまくすれば、そういうことになる構造だ。
 老若男女に関係なく、時には同じテーマで、
 それぞれの立ち位置からの知恵を出し合って、
 それを共有したりもっとよくしていったりできる。
 若いから足りないこともあるだろうし、
 年を取ったせいで抜け落ちていることもあるだろう。
 そういうことを混ぜ合わせて、ものごとを考えられる。
 昨日も「ほぼ日の道場」をやっていて、
 これは「山の分校」みたいだなぁと、うれしかったんだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
会社って、けっこうおもしろくできる可能性があるよなぁ。


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