『明日の記憶』という映画の、
なにかしらの手伝いをしたい、と、ぼくは言いました。
この奇跡のような映画の、仲間になって
自分たちなりの汗をかきたいと思ったのです。
(同じころ、この映画の主演であり、
 エグゼクティブ・プロデューサーでもある
 渡辺謙さんは、糸井重里に手伝って欲しいと
 考えていたのだそうです。
 これは、あとでわかりました)

この映画の観客席に腰かけると、
自分が何を不安に思い、何をよろこびに思い、
何を価値として生きてきたのかが、
鏡のように映し出されます。
困ったりもしますし、うれしかったりもします。

『明日の記憶』という映画に、
「ほぼ日」は徹底的につきあってみます。
その理由は、連載を読んでくれているとわかると思います。
まずは、アメリカで次の映画の撮影をしている
「言い出しっぺ」の渡辺謙さんと、ぼくの、
メール交換からスタートします。
そして、堤幸彦監督との対談をやります。
さらに、女優の樋口可南子さんにインタビューをします。
ゴールデンウイークには、「ほぼ日」読者を招いて、
1000人規模の大きな試写会をやるつもりです。
これ以上はまだ考えていませんが、何かまだやりそうです。

公式サイトへ
※公式サイトは、終了いたしました。

『明日の記憶』DVDはこちら

2006-06-10更新


映画のストーリーがわかるような
内容が含まれていますので、
お読みになる前に、ご注意くださいね。





   
       





糸井 クリント・イーストウッドが
アカデミー賞の複数の部門で受賞したときに、
この映画の栄光を自分への賞賛と受けとめなかったら
これからも作品を取りつづけることができる、
というようなことを言いました。
それと同じように、渡辺さんも
作品を自分よりも上位概念としてとらえている。
そこがすごく似ているように思えます。
渡辺さんにとって「ああいうふうになりたい」という
人物がいるとしたら、クリント・イーストウッドは‥‥
渡辺 かなり、思ってますよ。
この次の映画は、クリントの監督作品ですが、
彼は、親父みたいなんです。
さっきから、肉親が多すぎるな(笑)。
つまり、クリントは、親父のように
超えられない存在なんです。
しっちゃかめっちゃかにぶつかっても
絶対に、はね返される。
そのはね返され方が、とっても気持ちいい。
糸井 きっと「映画とはなんぞや」という議論や思考から
あの人ができあがったのではないですね。
「こういうことをやったらおもしろいだろうな」
と自分で思ったことをしてみたり、
「おまえ、おもしろかったよ!」
とお客さんに言われる、
そういうことをただただくり返してきた。
そして巨木のようになり、
みんながえらく心打たれてしまうような
人になってしまった。

あの人のベースのところには、きっと
「たくさんの人の力を信じきっている」
ということがあると思います。
「ここまでなら大衆向けで、わかりやすいよ。
 でも、これはどうかな?」
「みんな、嫌いだよこんな映画」
なんていうことを周囲に言われても、
「いや、わかる」と、
断固としていって、信じきって
やってきたんだと思います。
渡辺 『許されざる者』も、
こんな暗い映画、誰が観るんだろうって
彼、思ったらしいですよ。
でも、クリントがこれをやりたい、
描きたいということに
すべてが集約していたんでしょう。
とはいえ、彼も映画人だから
躊躇はあっただろうと思います。

『明日の記憶』も、最初はそうでした。
でも「ぼくはそう思ったんだ」ということが
同じく勝っていたから。

堤さん自身も、
「自分にこの作品が撮れるだろうか」と
躊躇されたことと同時に、
この作品に向かうときのバネが
非常に強くあったんだと思います。
糸井 ぼくは堤さんと
性格的にちょっと似ているところがあって、
「ここだけをさわらないために
 ドーナツ型に仕事をしてきた」
というところがあると思います。
たぶん堤さんはぼく以上で、
「ここ」にみんなの目がいかないように、
ドーナツの部分で
思いっきり大騒ぎしたり技巧的だったりしておいて
真ん中のところには
一生触らないでいるつもりだったんじゃないかな。
でもそこには空間があるから、
「俺が生きた」という証は残ります。
「あの隙間が俺だよ?」
そう言って死にたい、という願望が
おそらく堤さんにはあったと思うんです。
そしたら、こじあけられてしまって(笑)。
渡辺 こじあけたというより
「堤さん、入ろうよぉ!」
と、いっしょに入り込んじゃったんですね。
ほかの、可南ちゃんふくめたキャスト、
スタッフ、みんな同じでしたし、
ぼくにとってもそうでした。
ほんとに、そういう作品でした。
「これ、俺にとって大切なとこだから」
と言って、見せなくてよかったものを
「隠さなくてもいいよね」
「はい、わかりました」
「ドッボーン」
って、飛び込まざるを得ない瞬間が
それぞれにあったと思います。
糸井 だからでしょう、すべてのキャストの人たちが
自分の考えで自分の芝居をやっている、ということが
すごくよくわかりました。
どの人からも、飛び込んだあとのあぶくが
プクプクと出ていますね。
自分も、このコンテンツに
「『明日の記憶』とつきあう。」
というタイトルをつけまして。
渡辺 はい(笑)。
糸井 自分でも何かを出ちゃうんだろうな、という
予感はしていました。
「こんなメールを書くつもりじゃなかったのに」
そんなのの連続で。
渡辺 いつも、ふーーーっと
長いひと息をついてから
PCに向かっていました。
糸井 ぼくもそうです。
ふたりとも、メールを書くのは
たいがい休日でしたよね。
渡辺 また、糸井さんから返ってきてくるメールが
ちゃーんと読まなきゃいけない内容のものだから(笑)!
だって、こんな、面識のないぼくに、
あそこまで書いてくださっているんですよ?
たとえ3時間の濃厚な取材をされたとしても
ここまでぼくのことをわかってくださる方はいない、
というくらい、自分を見られた感じがしたんです。
糸井 いちばん守んなきゃなんないのは、
解説者になることはやめよう、ということでした。
この映画につきあう、という以上は、
研究者じゃなくて
どっかでいっしょに手をつないでいたかったんです。
渡辺 「向き合う」じゃなくて「隣り合う」ですね。
向き合ってたら、疲れますもんね。
糸井さんからベンチという言葉をいただいたときに、
ぼくはこの映画を
どうお客さまに届けたらいいのか、
道筋がわかったような気がします。
糸井 向き合って、どちらが正しいかを論じると
負けるか勝つかしかないですからね。
渡辺 この映画の取材を受けているとき、
「あのシーンはこうなんですけど」
とぼくが言っているうちに、
話を聞く立場の記者の方が
涙ぐまれたりなさるんです。
ぼくが最初にこの映画を撮りたいと言って
映画会社を巻き込んで、監督を巻き込んで
可南ちゃんを巻き込んで、キャストを巻き込んだ、
その同じ軸の上に、今度は
お客さんや記者の方や糸井さんや、
「ほぼ日」でメール交換を読んでくれたみなさんが
いてくださっている、そんな気がするんです。
糸井 「ほぼ日」のスローガンのようなものに
Only is not lonelyという言葉があります。
「人はつながりたい、
 つながろうと思えばつながれる」
いまの時代はこのことについて、
いろんな人がいろんなところで
考えているんじゃないかな、と思います。
渡辺 この映画の前にいるから、
「つながってしまう」があった、
というふうにぼくは感じています。
糸井 ベンチに座ることで
謙さんをはだかにしちゃいましたし、
ぼくもはだかになっちゃいました。
みんながこれをやるといいですね。
渡辺 ぼく自身、豊かになれたなあって
とてもうれしいです。
こうやって、お話しさせていただいたり
ふだんはつながれない方たちとも
つながれたわけだし。
いつでも、折りたたみ式の
心のベンチを持ち歩きたいと思います。
糸井 今日はありがとうございました。
渡辺 ありがとうございました。

映画『明日の記憶』の上映劇場などは、
公式サイトでご確認ください。



映画をごらんになったみなさんの感想をご紹介します。


「病の種類は違いますが、
 体をこわして会社を49歳でリタイアしたので
 身につまされて、ドキドキしました。
 渡辺さんも熱演していらっしゃるし
 香川照之さんの役がすばらしかった。
 仕事仲間の、最後の相棒でしょう。
 ああいうふうに在りたいです」
「どんなかたちであれ
 ちゃんと生きていきたいな、ということを
 主人にも私にも伝えたくて観にきました」




「『明日の記憶』前売りチケット買いました。
 誰かに観てもらいたいな、と思ったし
 自分でももういちど観たくなるかもしれないから。
 正直言って、映画を観たあとの
 感激のあまりの行動です。
 今日は始発で来て、ホールの前で並んで、
 初対面の人とたくさんおしゃべりして、
 お友達ができました」




重いテーマの映画だとは思いますが、
「明るい」と思います。
希望に満ちているわけではありませんが、
明るい映画だと思います。
(アフロ)



しばらく時間が経ちましたが、
今でも、ふとしたときに涙が出てきてしまいます。
でも、悲しい涙ではないと思うのです。
ずーっと、『明日の記憶』とつきあう、を
拝読していたのですが、
どうやらとても素晴らしい映画のようだ、
という感じはしていても、
結局、何がなぜそんなにスゴイ人たちを
そんなに惹きつけるのかは
今日、映画を観るまでよくはわかってませんでした。
映画を観たあとで、あらためて読み返したら、
書いてある言葉のひとつひとつが、
心の、それこそドーナツの内側にある部分にぐさぐさと
届いてきて、また涙が出てしまいます。
でも、悲しい涙ではないのです。
ドーナツの内側を、
いろんな人がいろんな方法で表現していますが、
本当にこの映画に出会えてよかったです。
(せおまり)


渡辺謙さんが自分について綴った本
『誰? ーWHO AM I?』が5月24日に発売。

『明日の記憶』に出会い、突き動かされるように
作品をかたちにしていく軌跡を
渡辺謙さん自身が、一冊の本に綴りました。
撮影を通して、役者であることや自分自身について
その本質を考えていくようすが描かれています。
『明日の記憶』を映画化する衝動を生んだ、
自分のバックグラウンドにも迫っていく一冊です。

『誰? ーWHO AM I?』
ブックマン社)
渡辺謙 著
1500円(税込)
2006年5月24日発売 
ISBN:4-89308-627-8


いままでの渡辺謙さんとのメール交換
1通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-04-TUE
2通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-04-TUE
3通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-05-WED
4通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-06-THU
5通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-07-FRI
6通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-08-SAT
7通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-09-SUN
8通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-10-MON
9通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-11-TUE
10通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-15-SAT
11通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-20-THU
12通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-22-SAT
13通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-23-SUN
14通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-04-26-WED
15通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-04-27-THU
16通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-05-01-MON
17通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-05-01-MON
18通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-05-03-WED
19通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-05-08-MON
20通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-05-09-TUE
21通目 渡辺謙さん→糸井重里 2006-05-10-WED
22通目 糸井重里→渡辺謙さん 2006-05-11-THU
メールの続きを話します その1 2006-05-12-FRI
メールの続きを話します その2 2006-05-13-SAT

2006-05-14-SUN


いままでの樋口可南子さんとの対談
いままでの樋口可南子さんとの対談 第1回 なにしろはじめてのことなので。 2006-04-21-FRI
いままでの樋口可南子さんとの対談 第2回 「ただいま」のあとの、樋口さん。 2006-04-24-MON
いままでの樋口可南子さんとの対談 第3回 みんなのまなざしが、高い。 2006-04-25-TUE
いままでの樋口可南子さんとの対談 第4回 描くのは、堤監督。 2006-04-28-FRI
いままでの樋口可南子さんとの対談 第5回 いったいこれが何なのかは、わからない。 2006-05-02-TUE

いままでの堤幸彦監督との対談
第1回 『明日の記憶』は自分にとってのデビュー作 2006-04-12-WED
第2回 はだかの渡辺謙さん 2006-04-13-THU
第3回 順撮りでつくったから、忘れられない。 2006-04-14-FRI
第4回 胸を張れる、ファンタジー。 2006-04-16-SUN
第5回 やっと出会えた「人間を描く仕事」 2006-04-17-MON
第6回 ラストシーン。 2006-04-18-TUE
最終回 降りなくていい船に乗っている。 2006-04-19-WED




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