『明日の記憶』とつきあう。糸井重里、樋口可南子さんへのインタビュー。




第5回 いったいこれが何なのかは、わからない。
樋口 順撮り(物語の順序どおりに撮影すること)
だったせいもあるけど、
謙さんは、ほんとうに変わっていきました。
役の「佐伯」が変わっていくことについて、
謙さんは、そうとう考えていたと思う。
メイクや衣装のせいもあるけど、
すごい人だな、と思った。
糸井 いま、渡辺謙さんと
メールの交換をしてるんだけど、
この人は特別だなと
思うことがあるよ。
樋口 第一通目のメールは、私、
読ませてもらって、泣きましたよ。
ああ、こんな想いで
謙さんはやってたのか、
ということがわかったから。
糸井 あのメールのやり取りで、
俺ははじめて役者さんとつきあった、
という気がする。
演技の技術のことでははい、
役者という「人」の居かたについて
知った気がした。
役者って、いいね。
自分が全部出ちゃう仕事でしょう。
瞬間に飛び込んでいくスリルがあるし、
鍛えられるだろうし。
ちゃんと役者をやってると、もしかしたら
どんどん性格がよくなっちゃうんじゃないかな。
樋口 たしかに、役者さんには
いい人が多いよ。
糸井 それに、今回は渡辺謙さんを媒介にして
樋口さんを知った、という気分でもあります。
ほぼ日 謙さんとのメール交換のなかで
“『明日の記憶』を観たときには、
 「あ、オレがいる」と思えた瞬間が、
 何度かあった”
と書かれていましたが。
糸井 うん。結局、役者も
経験の蓄積を表現に持っていくしかないわけだから、
この表現はどこから来ているのか、
本人にもわからないことがあるわけです。
でも俺には、画面にいる女優から
「あれは、あれだ!」「ああ、ああいう人だよな」
というのが見えるわけです。
ほぼ日 映画に出てくるメモの字は、
実際に樋口さんが書かれたそうですね。
そういうことも、
糸井さんしかわからないから、
映画を見終わったあとに聞いて、
へぇ、と思いました。
樋口 そう、あれはぜんぶ私の字です。
スケジュールが合わなくて
謙さんだけが撮影することになっちゃった日にも、
「可南ちゃんの字じゃないと気持ちが入らないから、
 こういう内容のメモを書いてくれる?」
って、謙さんから連絡が来て。
そうかそうか、と思って
私は文房具屋さんに走って、
どんな紙がいいかな、どうしようかなって
迷って、用意したんです。
そんなことも、私はやったことがなかった。
いつも小道具さんが用意してくれていたから。
自分で文房具屋さんに行って、
「この役だったらどんな紙を選ぶだろうか」
そこまで考えるのは、
すごく気持ちよかったですよ。
こんなことも、謙さんに
教えてもらったんだと思います。
糸井 信頼されてるって、思えるよね。
樋口 うん。
そうか、ここまで私は任されたんだ、うれしい、
と思う。
糸井 役者さんって、そのあたりの悩みを
ほんとうはみんな持ってるんだね。
顔がよくてちゃんと話せるから、
「このセリフでみんなを泣かせてください」
なんて言われてしまうけど、
もっと全体で勝負したい、という気持ちが
きっとどこかにあるんでしょう。
謙さんは、今回、
エグゼクティブ・プロデューサーとして、
どんなことにでも口を出していい、
という立場でいられた。
それは、ほんとうに、よかったね。
樋口 プロデューサーとしての名刺もお持ちでしたよ。
私ね、20代のころに、いちど
謙さんにお会いしてるんだけど、
わりと静かにしてらっしゃる方でした。
もともと役者として大きい人ではありましたが、
この十何年でまったく変わられたと思います。
ここまでみんなを
「行こうぜ!」と
引っぱっていく人ではなかった。
今回の映画は、
謙さんが原作を読んで
これを映画として世の中に出したい、
ということからはじまったそうです。
謙さんは、宣伝の会議にも熱心に参加していたし、
スタッフみんなが
ほんとうに謙さんに巻き込まれてた。
この映画、人が入る映画になるといいなぁ。
糸井 『明日の記憶』をみなさんがどう見てくださるかは、
ちょっと自信があるよ。
だから、「ほぼ日」の試写会も、
大きい規模でやりたかったんです。
大きな空間に埋まる何かを
この映画に感じたから。
樋口 この映画について取材に来てくれる記者の方も、
目の輝きがちがいます。
「これ、ほんっと、あたるといいですね」って
みんなが言ってくれる。
ほぼ日 映画を観た人が、
渡辺謙エグゼクティブ・プロデューサーの
チームの一員になってしまうのかもしれませんね。
樋口 そうかもしれない、ほんとに。
糸井 この「ほぼ日」での連載だって、
雇われるんじゃなくて、
「俺がやりたいから」という形でやりたかった。
まわりのみなさんも、
そうだったんじゃないかな。
堤監督をはじめとして。
樋口 でもね、この映画のもとにあるものが、
いったい何なのかを
ほんと言うと、わかってないの。
謙さんも、
「試写を100回観ても、いつも感想がちがう」
って言うんですよ。
「どうして自分がこれに魅かれたのか、
 たくさん要素があるんだろうけど、
 ほんと言うとまだわかってない気がする、
 でも魅かれる、ものすごく」
って。
謙さんでさえ、
まだわかってない。
糸井 わかったら
映画撮る必要なんてないんだからさ。
それは、わかんないと思うよ。
樋口 うん、それでいいのかな。
ほぼ日 ‥‥では、こんなところで
このご夫婦を解放いたしましょうか。
樋口 ありがとうございました。
お騒がせいたしました。
糸井 ああ、終わった。
ほぼ日 ご夫婦で、ふだん、
お茶を飲んでお話とか、
なさらないんですか?
樋口 するよ。
ただし、実のない話をね(笑)。
糸井 それぞれの分野で「実」を出すのは
ちょっと得意なんだけどなぁ。
ほぼ日 今日はご夫婦で「実」を(笑)。
こんなことはもう
めったにないことかもしれないです。
ありがとうございました。

(おわりです)

2006-05-02-TUE



(C) 2006 Hobo Nikkan Itoi Shinbun