From: 渡辺 謙
To: 糸井 重里
Subject: Re: 体温・匂い・子どもっぽさ。

「子供っぽい」・・・まさにそんな仕事を
自分はしてるのかなあって思います。
よく、「何か違うんだなあ・・・」っていうところから
発想することあります。
全く論理的じゃなく、上手く説明もつかないのですが
「何か違うんだよなあ・・」って考えていく。

以前、恩師が(ハワイ大学の演劇科の教授だった)
アインシュタインを描いた一人芝居を
やられたときの話を聞いた事を思い出しました。
アインシュタインは相対性理論を
一瞬にして閃いたそうです。
でも、それを論理として数式に表すのに
何十年もかかったらしいのです。
もし、具体的な年数の間違いをしていたら、お許しください。
感覚的な話しです。
仏陀もそんな風だったと記憶しています。
「悟り」は一瞬にして閃いたが、
それを自分の中で形にするのに、
これも年数を費やした。
これって、「子供っぽい」発想ですよね、きっと。
凡人はその閃きを
具体的に数式や科学的に証明できないだけで、
子供っぽい発想は
きっとすべての人の頭の中に渦巻いているんでしょうね。

数式で表さなくても良いから、
僕は仕事として成立しているのだとも思いますけど・・・。
実生活はまじめに、仕事はいい加減に・・・
これが僕のモットーです。
しっかりリサーチした上で、
いい加減に考えないと遊べないんです。
役が自分の発想を超えてくれない。
自分の観念や、自分の人生観や、人間観を越えられない。
もっと言えば、自分の体を越えられない・・・。
ジレンマであり、モットーなのかもしれません。
カメラが回っている途中で、
ふと自分の想像を超えてしまった瞬間を感じた時
子供が、何かいたずらを思いついたときのような
くすぐったさがあります。

よく、「役と同化する」と言いますが、
そんなことあり得ない気がします。
それよりも自分の前に一歩進んだ役に、引っ張られていく。
犬に散歩の主導権を握られた、
哀れな飼い主のような状態が一番好い気がします。

あああ、ようやく佐伯さんの背中が見えてきた。

佐伯さんと散歩している時、よく引きずられました。
通常の散歩道を通っていると、
急に藪の中に入っていくような・・・。
堤さんはそれを楽しそうに、そして冷酷に見ていてくれました。
僕はその堤さんの冷酷な目というのがとても好きでした。
人の人生を切り取っていく監督という職業はとても熱く、
篤く、冷酷なものだと思います。
作家に近いものかもしれません。
また、自分の話に戻ってしまいますが、
「監督はされないのですか」という
質問をされるのですが、
僕はそういう客観性が足りないと思っています。

「堤さんに監督を」とお願いしたのは、直感でした。
まさに、誰と遊んだらよいのかを探している子供でした。
撮影中、毎朝質問、提案攻めの僕を、
ある日から監督がセットで待ち受けていました。
それはまるで「公園にどっちが先に着くか」の
攻防だったような気がします。
勿論次の日は僕が先に行きました。
その冷酷な目と同じサイズで、
子供の目を輝かせているのが堤さんでした。

「はあ〜、そうきましたか・・・」
僕が何かいたずらを思いついたのを感じた時
堤さんは決まってそう言われました。
または、おそらくモニターの前で
ほくそ笑んでいたと確信しています。
それはスクリーンの中に残ろうと残るまいと、
公園の砂地には跡が残りました。
映画の完成後にお目にかかっても、
同窓会のような雰囲気になるのは
そういうことかも知れません。
糸井さんと監督の対談、楽しみだなあ。
早く見てみたいなあ、と言うより
陰からこっそりのぞきたかったなあ・・・。

音楽に関しても、話が合いました。
僕には4つ年上の兄が居て、
音楽の影響はすべて兄が家に持ち帰るものでした。
だから、監督が聞いていたころと、
ほぼ同じものを耳にしてました。
「ジョイ・ツー・ザ・ワールド」「悲しき鉄道員」は
僕らの選曲でした。
40代、50代の人たちが、
一瞬にして同時代感を持てるのは
音楽しかない、そう思ったからです。
とまあ、書いていても気になって、
気になって仕方がありません。
あとは対談を見させて貰おうっと・・・。
また、明日から砂漠って来ます。

渡辺 謙

2006-04-27-THU



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