From: 糸井 重里
To: 渡辺 謙
Subject: Re: しぶとく、梅の続き・・・。

渡辺謙さま

お風呂に入って、パジャマに着替えて、
最後のメールチェックをした日本時間の午前3時30分。

読みましたとも。

「もう少し言いたかったこと」、
それはもう、絶対聞きたいことに決まっています。

線で区切る、「こっち」と「あっち」。
おそらく、「こっち」は、くるっと「あっち」になるし、
「あっち」が「こっち」になることだって、
いくらでもある。
だけど、ぼくも含めてなんでしょうが、ほとんどの人が、
いつまでも同じ「こっち」や「あっち」にいると
思いこんでいるんでしょうね。

時間の概念が、すっぽり抜け落ちているんです。

変わるんですよね。
「あっち」が「こっち」に、「こっち」が「あっち」に、
「そっち」に、「どっち」に。
変わるんですが、変わるものを止めて考えないと、
世界が描けないような「考え方」に
なっているのだと思うんです。

目に見えるものを、止めて、
虫ピンで固定して、「これは、ナニナニである」と
名付けて、お終いにする。
こういう方法から、ぼくらはなかなか抜け出られません。

とにかく、「あっち」には行きたくない。
そういう思いが、境界線をつくるんだろうなぁ。
で、その線がないと世界への視線が安定しないんですね。

そして、前回の渡辺さんのメールにもありましたが、
線が見えなくなる、ということがあるらしい、と。
その懇談会の場でも、線が見えなくなったということですよね。
読んでいて、ぼくは、思ったんです。
線がなくなるということは、きっとありえないのですが、
「線の上にいたら、線は見えない」のかもしれないな、って。

よくよく冷静に考えると、線の存在は、なくなるとは思えません。
「それ」は「それ以外」の世界と、区切られているから、
「それ」としていられるわけですから。
でも、線の「あっち」や「こっち」に
ひょいひょいと移動したり変化したりする可能性は、
いくらでもある。
それは、時間というものがあるからだ。
で、線上にいれば、線は見えない。

夜中にひとりでいるせいか、
話が飛んじゃってもうしわけないです。

山人と海人が、たがいの獲物を交換しあった場所も、線の上です。
男と女も、愛し合うとき、
どちらか見えない線の上に立とうとします。
お寺や教会、深い山、岬、そういう場所は、
「あの世」と「この世」の線の上にあるのでしょう。

会うのは、いっそ、線の上。
と、みんなが決めてしまったらいいんでね。

渡辺さんがかけられた「お大事に」という
「優しい言葉」は、やっぱり、「あっち」と「こっち」を、
固定する言葉だったから、痛みを感じさせたのではなかったか。
それは、線の上に歩いてきてくれて、そこで語られたら、
もうちょっと隣り人っぽく「どうよ?調子?」くらいに
なっていたような気がするんです。
いや、それも言わずにふつうに
「お疲れさまでした」になりそうだな。

なんだか、渡辺さんの思いと密着した言葉に対して、
ぼくは、自分の言葉が
ふわふわしているような気がしてならないのですが、
これも、そのまんまの自分だということで、
放っておくことにします。

遊びか、仕事か? どっちでもない、どっちもです。
勝ちか、負けか? どっちでもない、どっちもです。
敵か、味方か? どっちでもない、どっちもです。
善か、悪か? どっちでもない、どっちもです。

「線も見えない深い闇にしばらく息を潜めていました」
という闇こそが、線の上で、
一瞬でどっちにも行けてしまうような
不安定な場所だったのかなと、想像してみました。
ぼく自身が、いま、限りある想像力で、
想像することしかできないのですが、

しょうがない! 

わかります、なんて簡単に言えやしないけれど、
「こっち」から「あっち」へ、
前の方向に話しかけるのでなく、
隣りに向けて、横を向いてしゃべればいいや、
と、決めたみたいです。
線の上の「身振り」、線の上の「視線」とは、
隣り人に向けてのものだと、考えるのはどうでしょうか。

そういえば、ぼくはベンチという椅子が大好きです。
いまのオフィスにも、ベンチをあちこちに置いています。
思えば、ありゃぁ、線の上だ。
横を向いて、隣の人としゃべるようにできています。
(敵味方に分かれて縁台将棋をするときには、
 向かい合わせに向き直しますね)

歴史的に、誰が考えた言葉なのかは知りませんが、
たしか、イエスキリストさんが、
自分の教えの中でいちばん大事なのは
「汝の隣人を愛せよ」だと言ったとか、聞きましたっけ。

隣りに座る。
隣りを愛す。

線の上で会う、ということは、
結局、そういうことなのかな。
少なくとも、その間、線はないことになりますものね。

わ、もう朝の5時になります。
わけのわからんことを言いっぱなしにして、
送信ボタンを押すことにします。
読み直しも、しないで送ろう。
隣りに座って、そこからしゃべっていたような
気はしているのですが、
なんだか、軽くて、恐縮です。

さて、メールよ、
国境をすっと超えて、
亜米利加へ飛べ!

2006-04-09-SUN



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