From: 糸井 重里
To: 渡辺 謙
Subject: 糸井です。

渡辺謙さま

糸井重里です。

「当事者として参加してもらおうよ」、
と、思いついてもらえたのは、ほんとに光栄です。
家のなかでは、仕事だの演技だのについては、
まったくしゃべらない夫婦なのですが、
当然、なんらかのかたちで、自分が
妻の「演技のボキャブラリー」のなかに
投影されることはあるのでしょうね。
しかし、そんなことはいままで
考えたこともなかったのですが、
今回の『明日の記憶』を観たときには、
「あ、オレがいる」と思えた瞬間が、
何度かあったのです。
それがどこの場面にどんなふうにあるのか、
具体的なことについては
ぼくだけの秘密ですけどね。

しかし、近しい人間が出演しているから、というだけでなく、
何度も、映画のなかに「オレ」やら「あいつ」やらが、
登場してきていました。
たぶん、ぼくがこの映画の宣伝を引き受けたとしたら、
白い紙の真ん中に、

「負けること」

と、書き記して、考えはじめることでしょう。

勝て、負けるな、負けたらおしまいだ、
負けから学べ(そして勝て)、負けないぞ。

誰もが、「負けない」ために生きているような現在です。
勝ちも負けもない時間のほうが、いっぱいあったのに、
負けることへの恐怖が、多くの人の燃料になって、
みんなで走っているという印象があります。
むろん、ぼくのなかにも、それがあります。
「勝ち組・負け組」という分類は、ほんとにイヤだなぁ、
とは思うものの、やっぱり、注意深く
「負け」というクジを引かないように
生きているような気がします。
でも、注意していても、怖がっていても、
努力しても、がんばっても、無理しても、

負けるときは、負けるんですよねー。

じゃ、負けるのは、そんなにオソロシイことなのか。
負けた人間は、生きている価値がないのか、
といえば、そんなことは絶対にないはずだ。
でも、負けたくない、負けるのが怖い。
主人公の佐伯さんの気持ちは、おそらく
いまの時代を生きている多くの人間と共通するものです。
とにかく、怖いばっかりなのです。

最初に、その怖がってばかりいる観客に、
若い医師が、真剣に言いますよね。
最初に、胸が震えるのが、あのシーンでした。
がんばって勝ち続けてきた佐伯部長には、
負けの後の人生は、ただただ真っ暗なだけに
思えたかも知れないけれど、
本人が、自分を、「見捨てるわけにはいかない」。
第一、すぐそばにいる家族が、
先に「見捨てない!」と、
身体を震わせているのですからね。
たぶん、そこから
「負けてのち見る夢」が始まるんですね。

この次に、渡辺さんからいただくメールの
「とっかかり」として、ぼくから
ひとつ質問を投げかけて終わりにします。

「負け」ということを意識した経験がありますか?
 あったとしたら、その「負け」と、
 どうつきあいましたか?

すいません。はなから、明るからぬ質問で。

おじゃましましたー。

あ、梅のこと。
梅、おもしろいですよね。
ぼくの「知りあいの梅」が、正月に一輪だけ咲いていて、
先日見たら、まだあんまり咲いてないんです。
たぶん、今日あたりも、まだだと思います。
梅ってやつは、ずっと毎日毎日、
「まだまだ」と言われながら、
桃や桜がやってくるまでずうっと咲き続けるんですよね。
なかなかしぶといやつです。
品があるのに、しぶといって、もう、愉快でさえあります。

2006-04-05-WED



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