恋したように、生きたいものだ。
サノ
思えば、恋は「冒険」だった。

その人を好きになってしまった瞬間、
強制的に「冒険」ははじまる。
報われる旅になろうが、報われない旅になろうが、
じぶん以外誰も知ることのない旅になろうが、
一度はじまってしまったら最後、
どこかに向かって旅を始めなければいけない。

じぶんのなかできちんと
「これは恋だった」と言えるものは全て、
「この先どうなるか」なんて
わからないまま走り出していた。

互いのきもちが一度はめでたく結ばれたって、
そのあと幸せな結末が待っていないことが
ほとんどわかっているような恋でさえ、
じぶんでもなにをどうすればいいのかわからないまま、
ただぼんやりと奇跡みたいな一筋を信じて
手を伸ばしていったこともあった。

これは、じぶんの人生において明らかに特殊なことだった。

ぼくは普段、石橋を叩いて渡るタイプである。
叩かずに渡るなどあり得ない。
渡ったときに壊れてしまうのが怖くて、
叩いて、叩いて、叩きまくる。
状況を、全体像を、なるべく隙間なく把握したがり、
考えうる限りのリスクを洗い出し、次の一手を指す。
詰め将棋みたいにいろんな可能性の隙間を縫って、
向こう岸にたどり着けそうな答えを探そうとする。
それがぼくの基本姿勢だった。

そういうじぶんが、
おそらくいちばん石橋を叩かずに渡ってきたのが恋だった。
恋だけは唯一、
「答えのない時間を豊かに過ごす」ということが、
できていた気がする。

この先どうなるかわからないけど、手を伸ばしてみる。
この先どうなるかわからないけど、隣りにいる。
この先どうなるかわからないけど、
不安で、あやふやで、怖いけど、
それでもいまは答えを出さずに、
とにかく、このまま、一緒にいる。

1つを除く全ての恋にやっぱり終わりが待っていたけれど、
一つひとつの恋がいまでも人生とともにあるのは、
この先どうなるかわからないけど、
いつかことばにならない答えがこころでわかるその日まで、
なんの根拠もない、ほとんど「願い」みたいな、
頼りない光を一緒に見つめて過ごした時間が、
あまりに「いきていることそのもの」みたいな、
特別な時間だったからだと思う。

そして思えば、生きることは「冒険」だった。

この世に生まれ落ちた瞬間、
強制的に「冒険」ははじまる。
報われる旅になろうが、報われない旅になろうが、
じぶん以外誰も知ることのない旅になろうが、
一度はじまってしまったら最後、
どこかに向かって旅を始めなければいけない。

この、宇宙そのものみたいに可能性が広がっている
「生きること」に対して、「この先どうなるか」だとか、
将棋のように隙間なく未来を埋めていこうとすることの、
なんと「リアル」でないことか。

目の前の、捉えようもない、
複雑で、グラデーションだらけの現実に対して、
なにかわかりやすい
「答え」や「正解」みたいなものをほしがったり、
それで安心できた気になったりしていることの全てが、
いかに「本物」でないことか。
ぼくは前職でたくさんのインタビューをしてきたけど、
読む人にとってわかりやすく、
今日持ち帰られるサイズにしたいがために
「これって、つまり、こういうことですよね?」
とまとめてきたとき、
ほんとうにたくさんのことを取りこぼしていた気がする。
ぼく自身もじぶんの人生に対して、
ずいぶんそういうことをやってきた気がする。

まあ、いまこんなコラムを書いているのも、
ここしばらく社長のイトイに、
「定義をするなよ」
というぼくの根底を揺らすようなアドバイスを
いただいているおかげなのだけど、
32歳にしてぼくも、
やっとこういうことを考えはじめることができた。

こびりついた癖だ。
この怖がりなじぶんをどうしたら変えていけるだろう?
とウンウン唸っていたけど、
説明できないことや、曖昧なことや、
正解がないことや、どうなるかわからないようなことを、
不安で、あやふやで、怖いままちゃんと受けとめて、
それでも「光」を見ながら生きていくことが、
いかに豊かで、「いきていることそのもの」であるか、
そういえば、恋のおかげで知っていた。
変わっていかずとも、思い出せばよかったのだ。

生きることは、冒険だった。
恋したように、生きたいものだ。
今日の一枚
3歳になった娘に久しぶりにアースボールを渡してみたら、激ハマりしています。「娘ちゃんが住んでるのは〜、ここ〜!」と日本を指さしたり、アプリで恐竜を見上げたりしています。

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