思えば遠く来たもんだけど、
それがどうなんだろ?
糸井重里
・ぼくら個人の感覚からすると、とてつもなく長いけれど、
地球の歴史からしたらものすごく短い「人類史」だけど。
文字という記号を使って、
ものを考えたり伝えたりするって
ほんとうにすげぇことだったんだなぁと思う。
いまそこにいない人が、石に刻んだメッセージを、
あとからそこに来た人が読み取ることができるんだ。
しゃべったことばは、そのときだけのものだけど、
それを文字のかたちにしたら、別の時間にまで行ける。
文字にしたことばや画を、そっくりに書き写したら、
メッセージは増殖して、より多くの人に伝わる。
その書き写しが、石に刻んだものではなくて、
葉っぱとか紙とかの「媒体」だったら、
メッセージが足を持って、遠くまで旅することができる。
人の手で書き写す手間を、木や金属に彫りつけて、
それにインクを付けて紙に写すようにしたら、
ひとつのメッセージは何倍にも何百倍にも増殖する。
つまりは印刷という技術だけれど、
この方法はとにかくたくさん広まったし、
ずっといまも生き続けている。
そういうなかに、聖書の世界的な普及もあったし、
新聞というかたちの媒体も大流行していった。
世界中のものごとが、新聞に印刷されていった。
知らない遠い世界のどこかで起こったことに、
知らない人が心を傷めたり怒ったりすることにもなった。
知らないことが知ってることのなかに入ってきて、
そういう状態のほうが「ふつう」になった。
これは、「文字」という記号をつかってする
「印刷」という方法の発展のあらましだけど、
この長めの歴史を、デジタルのメディアは、
あっというまに広く速く走り抜けてしまった。
「映像」も「データ」も今も昔も遠くも近くもない。
ほんとうは、そんな「ふつう」は魔法ですらなかった。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
わしの人間ドックの日じゃ。修理修繕の目安を調べるのじゃ。
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