ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第19回
記憶は創造の源泉
糸井 ぼくは前に
「保存と運搬をしやすい言葉」
という言い方をしたことがあるんです。
新聞記事というのは、基本的に
保存と運搬をしやすい言葉でつくられている。

それをやりとりしている限りは、
基本的にはおもしろくないんだ、
と思うんです。

「おもしろいことっていうのは
 保存と運搬ができないと思う。
 でも、保存と運搬のできないおもしろさを
 追求すると、いつでも保存と運搬が
 できるようになるからおもしろい」

そういう説明をしたことがあるので、
今のお話はすごいよくわかるんですけれども。
米原 本当に論理と物語というのは、
記憶力のためにあるんだと私は思います。

琵琶法師っていますでしょう?
あの人たちは盲ですし、目が見えないですよね。
で、膨大な「平家物語」を丸暗記しているわけです。

それに、プラトンは、
「ソクラテスがこう言っていた」
といって引用しているんだけれども、
「結局、世界にたくさんいた吟遊詩人たち
 (詩をたくさん暗記している人たち)は、
 文字が出てきたときには、
 みんないなくなってしまった」と。

文字が記憶の役割を果たしてしまい、
記憶を頭の中じゃなく外で外在化して
保存することができるようになったら、
知能を使わなくてよくなったんですよ。

これは物語ですけど、論理にも
そんなことが言えるのではないかと思います。
糸井 プラトンの時代にもうそんなことが‥‥。
米原 と、ソクラテスは言っているわけ。
それで、実際に目の当たりにしたんじゃないですか。
糸井 でしょうね。
米原 人々が、文字ができた途端に、
どんどん忘れていくという。
人間って基本的に怠け者だから、脳も含めて。

いろんな負担を、
どんどん軽減しようとするんですよ。
記憶力みたいな負担も、どんどん軽減しようとして、
文字を発明して、計算みたいなことも、
今、コンピュータがどんどん
やってくれるようになって‥‥。
糸井 外部化ですよね、どんどんどんどん。
米原 本当は脳がやっていた、いわゆる
雑用部分をぜんぶ機械に任せてしまって、
最も創造的なクリエイティブなところだけを
脳がやる‥‥おいしいところだけ‥‥というふうに
人間は、していますよね。
だから、肉体労働だけじゃなくて、
脳の雑用もぜんぶ、何かに任せてしまう。

でも、おそらく創造的な力って
記憶力と、すごく関係していると思うんですよ。
糸井 そういう本を出したばっかりです。
米原 ああ、海馬の。
糸井 はい。
あれは見事に、そういうことを言っています。
米原 そうですよね。

いろんな情報処理の雑用とか計算能力とか、
そういったいろんな筋肉を使っていて、
そのベースの上に創造力って花開くんです。

今、どんどんどんどんそれをそぎ落として、
創造力だけを残そうとすると、
ちょうどキャベツか玉ねぎみたいな感じ、
まんなかに、何が残るの?ということに
なっていくんじゃないかという気がしますね。
糸井 まったくそうです。
方法の記憶と、名詞であらわされる記憶に分けて、
名詞であらわせる記憶をすらすらいえる人は
「博学」だとかいわれるわけですね。

それは本当はあんまり意味がなくて、
外在化できるんですね。
だけど、その材料を
方法として使う記憶というのは
外在化できないんです。

自転車に乗るだとかというのは。
そういうことをつなげると、
無限に脳は発展していきますよ、
という話なんですけど、まったく記憶なんですね。
米原 それで、ギリシャ神話のミューズっていますよね。
文学・芸術の女神たち。
これは、ゼウスという万能神と
ムネモシュネという記憶の女神との
子どもたちなんですよ。
糸井 見事だなあ‥‥。
米原 だから、音楽とか学芸とか、
それぞれが受け持つ神様が
9人ぐらいいるんですね、ミューズって。

クリエイティブな能力というのは
記憶力と非常に関係してるって、
ギリシャ人は既に知っていたわけね。

ところが、我々、それをどんどん
コンピュータにあげちゃっているわけ。
糸井 だから、いわば「モノの記憶」は、
外在化しても引き出せればいいんですけれども、
記憶として非常に保存しにくい
不定形な記憶みたいなものというのは、
もっと増えないとつまんないんですよね。
米原 ただ、不定形な記憶すらも、
モノの記憶に乗っかってあるから、
モノの記憶をなくすと「ない」んですよ。
記憶というのは、入れ物というか、
乗りものみたいなものなんですよね。
糸井 さっきの通訳の話に戻すと、
1回は人のせりふでも覚えない限り
訳せないですもんね。
そこのところを通過してないで、
誰かに渡すわけにいかないということだね。
米原 そうそう。
きちんと本人が言葉を出した時の
プロセスをもう一度経なくちゃいけなくて、
面倒くさいようですが、
その方が実は早いんですよ。

翻訳も、一字一句表現だけ拾っていくよりも、
きちんと中に入れて出した方が、なぜか早い。
糸井 それはすごいよくわかる。
だけど、米原さんは両側にすごい広いですねえ。
米原 何が?
糸井 おっしゃっていることの
ロジック至上主義者のほうと、
そうではないほうとの。
米原 ああ、そうですか。
糸井さんの反応もすごいですね。
この話をしておもしろがる人は、
はじめてですよ、私。
糸井 おもしろいですもん!
米原 そうですか。
糸井 つまり、ぼく、落語がものすごく好きなんです。
米原 声にした、文字にならない芸術ね。
糸井 そこではまったく内容がないものでも、
ある感情なり、ある感覚なりを、
まずは一気に共有してしまって、
あとは忘れてしまってもいいという、
時間の流れそのものを楽しむわけですね。

筋を知っていても、
もう一回聞くというのは音楽と同じで。
あの言語の使い方というのは
ものすごく魅力があって。

で、これを否定するもの、
というのは嫌なんですよ。
ぼくの中にそれはいちばん
強くある気持ちなのかもしれません。

同時に、感情でものが
どんどん動いていっちゃって、
論理のふりをして
実は感情で動いているものに対して、
とても嫌だなあと思っているんです。

ぼくは「嫌だなぁ」から出発する人間なので、
「勘弁してくれよ」
「居心地わるいなぁ」と、
寝ている時の「寝がえり」みたいな感じで
自分の興味があるんです。

今のお話なんかは、
どっちかじゃだめなんだという話が
絶えず流れているんで、僕が時々
「そうですね」というと、
必ず米原さんの方からもう一つ
違う方向の話が出てくる‥‥この循環性みたいな、
楕円の構造みたいな世界観が、おもしろいですね。

ぼく、ああした楕円の構造で物をとらえていて、
2つ軸がないと個性って出ないんだと思うんです。
中心点が1個だけだと‥‥。
そこがわかり合えると、すごく気持ちいいんです。
米原 ああ、なるほどね。
私はどちらかというと3つ点がないと不安で。
2つだと逃れようがないんですよ。

2つの関係というのは直線で。
三角形だと、ちょっと
ずれることができていいんですよ。
糸井 それ、改めてまた考えてみます。
米原 三角形が一番いいんです。
糸井 今まで、2つの中心点で
世界観を持つというのを
ずうっと僕のメソッドにしてきちゃったんで、
3つを考えてみます。
米原 トライアングルがねえ。
糸井 もしかしたら、自分も2つと思って
3つを考えていた可能性もあるんですよね。
米原 そうです。
自分が1つめで、あとの2つを
見ているんじゃないでしょうか。
(米原万里さんと糸井重里の対談は
 これで終わりです。
 お読みいただきまして、ありがとうございました)
 
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉