ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第10回
オクテの方が、完成度は高い
米原 私が通った学校は
だいたい50か国ぐらいの
子どもたちが学んでいました。
ロシア人が半分、
ロシア語をできる人が半分で、あと半分は
まったくできない子ばっかりだったんですけど、
私も含め、半年後には
全員が、できるようになっちゃうんですよ。
それは外国語の才能とは、関係ないんです。
糸井 カリキュラムというのは、
1日何時間で毎日、みたいな‥‥?
米原 低学年は、45分の授業が4時限。
4年ぐらいから6時限になるのね。
それで、1クラス20人ぐらいで。
糸井 で、理科だ、社会だみたいなことを
教えるわけですよね。
米原 ええ。
だいたい、3年までは国語と数学しかない。
毎日国語の時間がたくさんあって、
国語でぜんぶ教えちゃうのね。
理科も社会も歴史も地理も、ぜんぶ国語で。
糸井 つまり、読みものとして、
例題として、社会があるわけだ。
米原 そうそう。
読みものの内容が
社会的なものだったりするんだけれども。

ロシアは、とにかく
「言葉があらゆる学問の基礎体力だ」
という考え方なのね。
だから、これを徹底的にやるんです。
国語といっても文法と文学に分けて、
文法はむしろ、本当は母国語なのに、
徹底的に外国語として
突き放して勉強していましたね。
糸井 そのメソッドは、
今、考えても、いいものだった?
米原 非常にいいですね。
日本人が外国語を勉強する時に苦労するのは、
結局、私たちは日本語の、自分の国の言葉の
文法を、ちゃんとやってないからなんですよ。
糸井 そうです。
米原 つまり、客観的に一つの体系を、
自分の国の言葉を持ってないんです。
だから、もう一つの体系をやるときに
ゼロからやらなくちゃいけないんですね。

でも、ひとつの体系をきちんと把握していれば、
次の体系を身につけるのは、
はるかに楽になるはずなんです。
だから、母国語でそれをやる方がいいんです。
母国語を、きちんとやった方がいいんです。

‥‥と、私は思うんですけど、
まあ、それはそれとして。
とにかく50か国の子供たち、ロシア語を
半年後にはみんな自由にしゃべれるように、
また、書いたり読んだりできるようになるんですね。

ただ、おもしろいことに、
ロシア語と親戚関係にあるスラブ語の、
例えばチェコ語とかポーランド語、
そういう国から来た子は、大体2〜3カ月で
ロシア語ができるようになります。近いから。

スラブ系ではなくても、
同じインド・ヨーロッパ語族、
フランスとかドイツから来た子は4〜5カ月かかる。
で、日本なんて遠いじゃないですか。
言葉としての親戚関係は全然ない言葉ですね。

アラブとか、モンゴルとか、朝鮮とか、
そういうところから来た子は
やっぱり6カ月ぐらいかかる。時間がかかる。
糸井 でも、2カ月しか違わないですね。
米原 まぁ、そうです。
でも、大きいですよ、
子供にとっての時間というのは。

ただ、身につけたロシア語を見ると、
言語的に離れた国のほうが、完璧に身につけるの。
糸井 え?
それはどういう‥‥?
米原 私も電話で話すとロシア人に間違えられる。
これは自慢じゃなくて、日本人はみんなそうです。
モンゴル人とか、離れている子はみんなそうなの。

言葉の選択とか、文法とか教科書では
明示されない言葉の相性とか、いろいろ細かい
文章化されない規則がありますでしょう?
そういったものも正確に身につけるんですよ。
それからイントネーションとか発音なども完璧に、
本国人と変わらないものを。

ところが、とても近い言葉を母国語にして、
実際にロシアで生活してゆくような子、
この子たちは永遠に自分の国の
なまりを引きずったまま、
ロシア語を、しゃべるんですよ。

その後もそのままロシアに留学して、
大学へ行って出て、
大人になってロシア語で生活してるのに、
自国語なまりそのまま丸出し。何年やっても。
糸井 何かわかる気がしますね。
米原 結局、よくわかったのは、本人が
努力家だとかまじめだとかというのとは
まったく関係なく、
脳には省エネ装置がついてるの、サボり装置が。

だから、自分が既に持っている
言葉のパターンがあって、
それが似ているロシア語があったとすると、
新しいものを身につけないで、
もう既に持っているもので
間にあわせようとします。
糸井 そうできているんだ?
米原 だから、近隣国の子は、覚えが早いんです。
ところが、日本語みたいに離れていると、
使える引きだしがないんですよ。

だから、最初のまっさらから
身につけなくてはいけないから、
そうすると完璧に身につくんですよ。
糸井 そうだ。
米原 だから、何かに関して、
すごく習熟が遅い子とかいるじゃないですか。
それは別に言葉に限らず、そういう子って、
逆に完璧に身につく可能性があるんですよね。
糸井 ということは、回り道をした方がいい、
ともいえますねえ。
米原 そう。
だから、すごく器用で、
すごく早く身につける子というのは、
優秀ではあるんだけれども、
表面的だったりするんですよ、身につき方がね。
言葉については本当に私自身の体験で、
これは確信を持っていえますね。
糸井 一番遠い語族だったからよかったと。
米原 遠いから、うまくなる。
(つづきます)
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉