ほぼ日WEB新書シリーズ
1970年、ハイジャックされた飛行機、
「よど号」に乗り合わせ、
無事に日本に帰ってきてから、
日野原さんの「第二の人生」がはじまった。
聖路加病院の名誉院長として、
いまなお多忙な日々を送る日野原さんの
「教育論」について、
「人との接し方」について、
「生き方」について、うかがいます。
きっと、たくさんの人が、
日野原さんに元気をもらえるはず。
第1回
自分の葬式を見た
日野原 ここ(聖路加病院)は、
もう80年ぐらい前の建物で、
4、5年前に再建したんですよ。
隅田川のそばにあったところを床だけ変えて。
カーテンは、違うんですが。
糸井 移築なんですか?
日野原 ぜんぶ階段も80年前のもの。
同じものを再現したんです。屋根も。
糸井 そういうものなんですか?
日野原 それで、再現するのに、
大地震が東京に起こったことも想定した。
阪神大震災の時には、
水が非常に足りなかったと聞いていたので、
そういうことのないようにこの下に
20メートルのプールをつくって、
水道水を昼間流しているんですよ、循環させて。
糸井 あ、そういう仕組みになっているんですか。
日野原 それで、もういざというときにも、
大丈夫だというように。
糸井 はぁ。
一見何でもなさそうだけれども、
そんな仕掛けが、あったんですか。
じゃ、この建物は、全部もともとは
この場所にはなかったものですか?
日野原 川のそばの芝生にあったんです。
今、四十何階のビルが建っているところですよ。
糸井 あぁ、ずうっとここにあったんだろうなぁ、
と思いこんでいましたよ。
日野原 このブロックは3つあって、
それが聖路加で、合計15000坪あって……。
糸井 日野原先生はここにいらっしゃって
何年ぐらいになるんですか?
この病院に関わったのは。
日野原 戦争が始まった年、昭和16年です。
糸井 ずうっとここですか。
日野原 ええ、まだ現役でやっています。
糸井 すっごいなあー!
日野原 だから、もう90は越えているんですよ。
糸井 ええ、そう聞いてはいますけれども、
自分でそんなこと想像なさってましたか。
日野原 いやいやいや、
僕、カラダ弱かったから、
もう、60歳ぐらいで、
リタイアするだろうと思っててね。

しかも、59歳のときに、
よど号でハイジャックされて、
あぁだめだと思ったら、
またよど号も助かったから、残りはもう
みんなのボランティアで、何でもやろうと。
糸井 じゃ、やっぱりあれは
ご自分にとっては、大きかったんですね。
日野原 ええ。
もうそれからの私は第二の人生で、
与えられた命だから、できるだけ、
何かのために奉仕しようという気持ちになってね。
それからボランティア活動を非常に熱心にやって、
ここの理事長もボランティアだし、
ほかの6つの理事長も、全部ボランティアです。

そして今のような21世紀はもう大変な世紀だから、
それはもう、基本的に考え直さないと、
というような運動を、今、起こしてたんですよ。
糸井 じゃあ、よど号の前というのは、
先生はこういう方ではなかったんですか。
日野原 いやいや、それは一生懸命やっていたですよ。
病院のために、それから、学界のためには研究も。
世話になった人にお礼とか、
返すということは、昔から当たり前だけどね。

あのときに、うちに帰ったら、
もうお葬式以上に、
家の中は花束でいっぱいだったの。
白じゃないけどね。
よど号では4日間拘束されたんだからね。
今でいえば、同時多発テロは、
それはもちろん大きなショックでしょう。
よど号は、当時、
あれに負けないショックだったですよ。
糸井 そうですね。
日野原 ああいうかたちのテロの、最初だったからね。
だから私は、こんなに私のことを心配して、
皆さん、本当に自分のことのように考えてくだすった。
で、どうしたらいいかと思って、
「そうだねえ、この人たちのために、
 あなたたちに本当にいろいろご心配、同情やら
 何かいただいたそのお返しは、どこかでだれかに……」
と、思ったんです。
糸井 あぁ、「どこかでだれかに」なんですね。
日野原 うん。
あなたに返すんでなしに、でも、
どこかでだれかに、かならず私は
お返ししたいような気持ちだから、
それを受け取ってくださいと挨拶状を出したんです。
糸井 その言葉はいいですね。
「どこかでだれかに」って。
日野原 そうですよ、
だから南半球の人でも誰でも含んで、
「私はそれを返すような気持ちで、
 第二の人生を始めます」
ということを、みんなに伝えてしまった。
それだから、私の生きる雰囲気が
すっかり変わって……。
で、いつ死んでもいいという気持ちになった、逆に。
糸井 よくそんなふうなことを
ご本でもお書きになっていて、
リアリティーがあるものですから、
こちらは、つい引きずられて読んじゃうんです。
「日野原さんは、もともとそういう人なんだ」と。

だけど、やっぱり、
変化を意識したことは、あるのでしょうか?
「前と今とは全然違うんだ」という
何か区切り目みたいな感覚は、あったんですか。
……お花を見た瞬間みたいなもの、と言いますか。
日野原 いや、帰ってきたらびっくりしたですよ。
「あ、これはお葬式だな」と思ったんだよ。
糸井 自分の……。
日野原 うん。
かなり、これぐらいに
広い部屋があるんですけども、全部お花でね。
ひとつずつに、人の名前が書いてあるでしょう?
この気持ちを、皆さんにどうお返しをすればいいか、
というように思った瞬間に、もう……。
(つづきます)
 
2014-08-14-THU
(対談収録日/2002年9月)


第1回
自分の葬式を見た
第2回
一粒の麦
第3回
死を考えるエクササイズ
第4回
禁止はおもしろくない
第5回
レッツの教育
第6回
19時間、もう労働ではない
第7回
失われた1年間
第8回
終わりに向けてのクレッシェンド