ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第4回
無難な翻訳=誤訳
米原 誤訳というのを見ていくと、
だいたいは官僚のやる通訳です。

いちばん大事な首脳同士の会談では、
ほとんどフリーの通訳は雇われないんです。
糸井 そうなんですか。
米原 だって、国家機密になるから。
基本的には、フリーの通訳は、
記者会見とか学会みたいに、みんなに開かれていて、
みんなに知ってもらいたいときに雇われるだけ。

誰にも知らせたくないときには、
商社でも、自分の通訳を雇いますし、
外務省とか各省庁でも、自分の通訳を雇うんです。
そのときに誤訳がよく出てくるの。なぜか。

お役人は責任とりたくないんです。
基本的に、あれは、
「責任とりたくない仕事」なんですね。
糸井 そうですね。
「黙っていれば安全なんだったら、黙っている」
というケースですね。
米原 そうそう。

で、無難にしたいんです。
無難にしようとしたら、基本的には
字句どおり訳すのが、いちばん無難なんですよ。

でも、日本とほかの国とは
ぜんぜん字句の意味が違うから、
字句どおり訳すと、かならず誤訳になるんですよ。

だから、無難にしようとするがために
誤訳になっちゃう。最終的に責任をとらない、
「庶務課係長の訳」っていっているんだけどね。
糸井 じゃあ、あれを
「旗を見せろ」って訳したわけですね。
米原 いや、わからないですけどね。
恐らくそうでしょうと。
糸井 恐らくそうでしょう。
米原 そうだと思います。
つまり、
「旗幟を鮮明にせよ」と訳したとなると、
もう1つ別の解釈が入るわけです。
解釈するということは、
「訳した人の責任」が伴うわけですね。
糸井 なるほどね。
「俺は旗を見せろといったつもりなのに」
と、あとでいわれちゃ困るということですね。
米原 そうそう。
でも、「旗を見せろ」って
そのまま訳しておけば、両方あり得る。
例えとしていったというふうに
逃げることもできるし、具体的に
旗を見せろといったという言い方もできる。
糸井 直訳すると危ない言葉というのは、
相当その言語を知らないとわからないですね。
米原 そうですね。
糸井 ロシアならではの言いまわしとか、
山ほどあるわけでしょう?
米原 そうですね、山ほどありますね。
私、ABCD(匿名)さんが外務大臣になった時、
ソ連からロシアになった直後に公式訪問した際に、
記者会見用の通訳として雇われていったんです。

その時、恐らく何にも
会談の成果がなかったんですよ。

でも、政治家ってそういう時も
記者会見をしなくてはいけないわけね。
で、日本とロシアの記者が
会場を埋め尽くしているところで記者会見をする、
ということで、記者会見の原稿を
2〜3時間前に、渡されたんです。

それを見たら、結局本当に
成果がなかったものだから、
「2人はサウナに一緒に入った」
というぐらいしかないんですよ。

で、私に言わせる言葉に、
「文字どおり裸のつき合いをした」とある。
「裸のつき合い」って、日本の比喩でしょう?
肝胆相照らしたとか、つまり、
率直に飾らないで心からの交流をした、
という意味ですよね。
糸井 それ‥‥直訳はまずいですね。
米原 文字どおりとすると、
ロシア語には裸のつき合いという
比喩がないんですよね。だから、
「これは肝胆相照らしたみたいな、
 そういう意味の
 ロシアの慣用句を使ってもいいですか」
と言ったら、
「いや、だめだ、米原さん。
 大臣も文字どおりと
 おっしゃっているじゃないか。
 ここのところが大事なんだから、
 ちゃんと文字どおり裸のつき合いと
 訳してくれなきゃ困るよ、君」
って外務省の報道官がいうわけですよ。

私としては、記者会見場で
失笑、爆笑の風景が浮かぶんですけど、
「まあ、いいか。本人がいいたいんだから」
と思った。

30分前になってやっぱり心配になって、
報道官に申し上げたんですよ。
「さっきの裸のつき合いなんですけど」
「米原さん、いったでしょう。
 大臣がおっしゃっているんだから、
 文字どおり訳してくれなくちゃ困るよ、君」
「でも、真実かどうかはわからないけれど、
 ロシアではコズイレフ外相というのは
 ゲイっていううわさなんですよ」
そう言って。
糸井 とんちを使ったわけ?
米原 本当にそういうウワサがあったんです。
そういったら報道官はぱっと青ざめて、
「うん、わかった、わかった」
電話をとってすぐ大臣の秘書官に電話を入れて、
変わりましたけどね。
糸井 それは、例えば
「裸の心と裸の心のつきあい」ぐらいに
ニュアンスを変えても、
やっぱり官僚としては嫌なんですかね。
サウナに入ったという事実があるから。
米原 つまり、サウナに入ったという事実と
かけ言葉にしたかったのね。
でも、日本語ではかけ言葉になっても、
ロシア語ではかけ言葉にならないわけですよね。
糸井 違うかけ言葉になっちゃう。
結局のところは、事実を訳す仕事と、
心を訳す仕事と、本当は両方を
重ねながらやっているわけですよね。
米原 こういう1回限りの記者会見みたいに、
ほとんど15分か20分ぐらいの会見で、
会見が終わったらすぐ飛行場に直行して
飛んで帰るというようなところだと、
本当は通訳が介入しちゃいけないんですけどね。

本当はそのまま訳して笑われればいいわけです。
通訳がクッションになってしまうと、
最後まで本当のつき合いにならないわけですよね。

ああ、日本にはそういうことわざがあるのかとか、
ああ、それをかけておかしかったんだなあとか、
いろいろ笑ったり失笑されたりして
印象に残るつき合いができるから。
糸井 本当に透明になるって、そういうことですね。
米原 本当に透明になるなら、その方がいいんですよ。
(つづきます)
 
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉