ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第5回
真意をごまかさない方がいい
米原 ソ連邦が崩壊した直後、
政治家のWXYZ(匿名)さんが、大統領とか
その国の閣僚全部の前で演説したの。
そのときに、
「貴国は非常に貧しい。これからは
 日本が大型円借款をするので期待してほしい」
と言っちゃったわけ。

言った言葉は日本語だから、
そこにいた商社の人たちから何から、
みんな並んでいて真っ青になったんです。

でも、おそらく通訳官が
何かごまかしてくれるだろうと思っていたら、
通訳官が、そのまま「プアカントリー」と、
ロシア語でそれに相当することを
言っちゃったわけです。

もう大統領も首相もみんな顔がこわばったって。

ロシアからしたら、
そうとう悔しい言葉だと思う。
つまり、援助される身になってみれば、
すごく屈辱的なんですよ。

本当は援助なんてしてもらいたくないんだから。
ひがみみたいな傷があるところに、
塩を塗りこむみたいな感じじゃないですか。
糸井 事実、言った言葉なんですよね。
米原 言って、そして通訳官は
ロシア語にそのまま「貧しい国」と訳して、
それであとからその原稿の英語版を渡したけれど、
そこにも「プアカントリー」って書いてあったのね。
糸井 だめ押しですね。
米原 だめ押し。
「米原さんなら、あそこ、
 ちゃんとごまかしてくれるよなぁ」
って言われたんだけれども、
「うーん」って唸ってしまった。

考えてみたら、やっぱりその時に、
「ああ、日本はそういうふうに
 我々のことを考えているんだ」
と相手が思って、そのあとに、
できればやりとりがあったほうが、
いいのではないか、とも感じるんです。

通訳がクッションを入れて
ごまかしてしまうと、
永遠にお互い錯覚したままでいるわけですから。

ですから、ちゃんと真意として、本当に
相手のことをどう思っているかということを
交換した方がいいんですよ。
糸井 「ガン宣告」みたいですね。

ガンだと告げられたとしても、
例えば1年なら1年生きられるということを
知っておいた方がいいですという人もいるから。

だけど、それは事実だけれども、
言わない方がいい場合もあるし‥‥。
米原 そうそう。
そういうことは、たくさんありますよ。

私は、その場かぎりで
帰ってしまう仕事の場合には
やっぱり、誤解を生みそうな言葉を
通訳としてその都度ごまかしますけれど、
たとえば2週間ぐらい
一緒に過ごす相手の場合には、
ぜんぶ、そのまま訳しますね。
糸井 ある意味でいちばん誠意のある形というのは、
「プアー」を訳すこと、なんでしょうねえ。
米原 そうなの。
透明になった方がいいですよね。
そう思いません?
糸井 つまり、エディターじゃなくて、
トランスレーターだということの意味ですよね。
米原 そうなんです。
トランスファラントになった方がいい。
糸井 でも、それは、若げの至りで
エディターになりたがっちゃいますね、
それが素人だったら。
米原 そこは、トルシエの通訳が‥‥(笑)
糸井 あれも、おもしろかったなあ。
米原 おもしろかったですね。
トルシエって、
選手をすごい傷つけるじゃないですか、
それをそのまままた増幅してやるでしょう?
糸井 ボディーランゲージまで使って。
米原 そう。
日本人の通訳を雇ったら、
あれを、やわらかくするでしょうね。
糸井 スポーツなんかの場合には、
その方がよかったかもしれないですね。
米原 そうなんだろうと思いますね。
糸井 ぼくらが小学生のとき見てた
阪神の通訳というのに、有名な人がいて。
米原 関西弁でやるのね。
糸井 そうなの。
どんなに長くしゃべっても、
「まあ、よう頑張ったねえ‥‥」って(笑)。

聞いているこちら側としては、
「今まであの人が一生懸命に
 説明していたことは、何だったんだ」
という‥‥。

「まあ、一生懸命やったよ」
いつも、そんなことを言うんです。

ほほえましいという人もいるかもしれないけど、
客を、たかくくっていることでもある。
どちらにしても、本当のつもりがないから。
米原 そうですね。
でも、映画の字幕なんかも
けっこう、そんな感じじゃないですか。
糸井 たまにわかるときがありますよ。
「‥‥あ、字幕と実際はずいぶん違う」って。
米原 そうそう。
で、それでけっこうちゃんと全体として
映画の内容は伝わっていたりして。

逆に、ぜんぶ訳すと、短い時間では
読み切れなくなったりするでしょう?
糸井 映画の場合には、そこでエディターとしての
腕を見せるみたいな、そういう商売ですよね。
米原 ええ。
ですから、同時通訳中は
時間という制約があるから、
おのずと編集しちゃうわけです。

編集するというか、
とにかく言いたいことをつかんで、
それを伝えるということをするんですね。
糸井 エディターになったり
トランスレーターになったり、
両方の立場をきっととっているんだと思うんです。
米原 そうでしょうね。
(つづきます)
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉