ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第3回
大事なところを掴めばいい
米原 私、本当にはじめて
同時通訳をやったときには
向かないと思って、
ブースを飛び出ちゃったんですよ。

「ああ、私には向かない、こんなの」
‥‥10分もやれなかったんじゃないかなぁ。

でも、師匠の徳永さんという人が
追いかけてきて、
「万里ちゃん、全部訳そうとするから
 できないんだよ。わかったことだけ訳しなさい」
そう言われて、わかったことだけ
訳していたら、やっぱり伝わった。
糸井 いま、米原さんは割に
簡単におっしゃったけど、
「わかる」と「わからない」の
その違いって、わかるんですか?

「わかったことだけ訳していても大丈夫」
とまで思えるには、明らかに、
壁を1つ乗り越えていますよね‥‥。
米原 人間は、情報としては、
例えばAということを伝えるのに、
A、B、C、D、E、Fぐらい、
いろんな言葉を使ってしゃべるんです。

その中の一番いいたい「A」だけをつかんで
伝えればいいんですよ。

たとえば、会議の時に議長が
「では、次は壇上にインドの代表に
 上がっていただいて発言してもらいましょう」
というふうに言ったとしたら、その場においては
もう、「インド」というのだけを訳せば大丈夫。

通訳はそれを
ぜんぶ一字一句違わないように
訳そうとしちゃうわけですね。
「壇上」だとか、「発言」だとかを。

しかし、役割としては、通訳は
いちばん大事なところをつかむことに
集中すればいい。

もしも、すこし時間があったら、
「インド」だけではなくて、
「では、次はインドの代表の方、どうぞ」
とか言えばいいわけです。
糸井 オフィシャルな場所の翻訳のほうが、
逆に意味の順列がはっきりしているから楽ですね。

仮にロシアのだれかさんと日本のだれかさん、
偉い人同士でもいいけど、
「ここはケーキでも食べながら」
という話しあいのほうが、通訳はむずかしい?
米原 それでも対話形式の話はやりやすい。
すでに文脈があるから、
こちらもその場にふさわしい、
適当なことをいえばいいわけですよ。
糸井 言外に、おれはおまえに
好感を持ってないというようなことを言ったり、
「俺はとても好きだ」みたいなことを混ぜて、
ほかの言葉との変化球で進む会話も、
あるじゃないですか。
ああいうときは、どうなりますか?
米原 それはやっぱり結構むずかしいです。
つまり、そこまで本人のことを
知らない場合が多いですからね。
いきなりその場で通訳するということが多いので、
わからないですけど、
でも、やりとりがある限り、
通訳がわからないことは
聞き手にも、おそらくわからないことだから、
相手に聞いてくれますよね。

「それはどういう意味ですか」とか。
そこから怒ったり、いろいろな反応があるから、
軌道修正をしていけるんですよ。

だから、最初はちょっと通訳として
ブレていても、少しずつ対話の中で
軌道修正して何かまとまるという‥‥。
糸井 つまり、対話そのものの構造が
やっぱりベースで、
間に通訳がいるということは関係ない、
と思っちゃった方がいいわけですね。
ゼロである、と。
米原 そうですね。

むしろモノローグで
誰か偉い人が演説なんかをする時、
たとえばアメリカとかロシアから
大統領かなんかの演説が流れてきて、
これを一方的に通訳する場合は、
誰も問い返しもしないから、
わからないんですよ。

例えば大統領が間違った発言をしちゃって、
「クリントン」ていわなくちゃいけないのに
「フォード」っていったりしたときに、
普通の対話関係なら
「あ、それ、クリントンじゃないですか」
と聞き返せるけれど、聞き返せないでしょう?
それをそのまま私が「フォード」といったのを
「フォード」というと、
絶対通訳が間違っていると思われるから、
そういうときには
「クリントン」と修正しちゃったりすることもある。
糸井 明らかにわかっているときですね。
米原 明らかに違うってわかっているときにはね。
糸井 最近だと、「ショー・ザ・フラッグ」というのが
何かえらい話題でしたけど、
いろんな説が何種類も出たような気がします。
米原さんなんかもああいうとき、
興味がおありですよね。
米原 そうですね。
でも、あれは
「旗幟を鮮明にせよ」
という意味ですよね。
糸井 解釈によっては、
本当に「旗を見せろ」というのもあったし、
いろいろで、自説を皆曲げないものだから、
本当のことはもう、
わからなくなっちゃっているんだけど‥‥。
米原 そうですね。
でも、もうそうなると
通訳のせいにできないですね。
政治的な立場がいろいろ変わってきてね。
糸井 ブッシュみたいに失言と間違いが
多そうな人との間で
通訳を任されるって、つらいでしょうね。
米原 そうですね。
(つづきます)
 
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉