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おいしい何かが待っている

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子どもの頃、学校から帰ってくると、
台所からなにやらいいにおいが漂ってくる。

あ、もしかしてクッキー焼いてる?

急いで手を洗って、
母のお手伝い。
抜き型はどれにしよう?
ハートにお星様、クッキー坊や‥‥

早く焼けないかなぁ。
わくわくした気持ちで、
オーブンをのぞいたものでした。

できあがったクッキーは缶の中へ。
それから数日、
おやつの時にその缶を開けてパクパク食べる。
それはなんともいえずしあわせな時間。

そんな記憶が刷り込まれているからでしょうか、
缶入りのクッキーには特別の思いがあるのです。

「缶を開けると中にはおいしい何かが待っている」

子どもの頃の記憶をそのままに、
でも味と見た目は新しい、
クッキー缶を作りました。
ご協力いただいたのは、
DEAN & DELUCAのチーム。
weeksdaysでははじめて、
「食べるもの」のご紹介となります。

代表の横川正紀さんとの対談と合わせて
お楽しみくださいね。

伊藤まさこさんの 5つのコーディネート。

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コーディネートによって
シックにもカジュアルにもなるブラウスの、
こちらはカジュアル版。

デニムの裾はロールアップしてくるぶしを少しだけ見せ、
軽い感じにするとバランスがいい。
春から初夏にかけて、
ぺたんこのサンダルとかごで涼しげに。
スカーフやリップで
ほんの少し色を足すといいと思います。

シックな印象のリネンコートですが、
ボーダー柄も意外に合うのです。
デニムのスカート、
コンバースのスニーカーという
定番のコーディネートを
ぐっと大人っぽくしてくれる、その威力はすごい。
肩にさっとかけてもかっこいいですよ。

黒いワンピースの上にさっと羽織ってみました。
前開きのワンピースは
こんな風にコート風にも着られるところがうれしい。
キャミソールワンピースや、
Tシャツにデニムなども合いそうです。

首に巻いたスカーフと靴をコートと同色にした、
コートが主役のコーディネートです。
形も素材も抜群にいい服は、
こんなシンプルな着こなしが一番。
ソックスを合わせて、
ちょっとかわいらしくするのがポイント。
髪はすっきりまとめてバランスよく。

とろりとした素材のシルクには、
やさしい感触のパンツを合わせます。
黒い小さなバッグに、黒い靴だと
ちょっとおとなしめなので、思い切ってゴールドの靴を。
第一ボタンをきゅっとしめて、
きりりと着こなしてください。

saquiの春夏のトップスは、 ぜんぶ家で洗える生地なんです。

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岸山沙代子さんにききました。2

これは、ストライプの生地を使って
つくったトップスです。
コットン78%、ポリエステル27%、
洗いっぱなしで大丈夫で、
まるで形状記憶みたいに張りがある。
伊藤さんが生地見本を見て「これを使いたい!」、
そこから何を作るか、考えました。

すごく張りのある生地なので、
やっぱり立体感のある服がかわいいな、と思い、
ワンピースにしようかな? それとも‥‥、
といろいろ考えたんですけど、
ほのかな透け感があるので、
ワンピースやパンツは難しい。
慣れているかたは下着をじょうずに選んで
着こなせると思うんですけれど、
気軽に着てほしいし、
かといって裏地をつけると
洗濯表示が「ドライ」になっちゃう。
家で洗える便利さをもったまま、
この生地のかわいさが出る立体感のある服をと、
こんなふうに袖の太いブラウスができました。

袖は六分。
バルーンといっていいのかな、
生地の張りとパターンのくふうで、
そのかたちが着ているときも保たれるように考えました。
身頃から袖まで切り替えずに裁断をしているんです。

袖周りもたっぷり、身幅もかなり太め。
体型を気にせずにいられます。
丈は短め。スカートにも合うし、
パンツもいけます。
後ろがちょっと長めになっているので、
たとえばワイドパンツで、
前身ごろだけインしてもいいですよね。

そうそう、ディテールといえば、
ひとつだけアクセントのようにつけたボタン。
これ、パリのクリニャンクールの骨董店で求めたもので、
60年代のヴィンテージボタンなんですよ。

このワンピースは、昨年つくったネイビーの、
シルクのワンピースが原型になっています。
これよりも少し丈が短めで、襟なしでVネック。
伊藤さんもすごく気に入ってくださっていました。
とても人気があったんですが、
愛用してくださっている幾人かのかたから、
「もうすこし丈が長かったら」
という声をいただいたんですね。
たしかにそのほうがちょっと大人っぽく、
エレガントなんですね。それに素材は軽いシルクですし、
サラサラしているので、長くても重さを感じない。
そこで、昨年のパターンから、
12センチくらい、丈を長くしました。

このシルクの生地は日本製で、
「家庭で洗える」ことが特徴です。
そして、生地には表・裏があるんですが、
ふつうは裏にする面を、表地にしているんです。
それは、表だとツヤツヤすぎて、
面積が大きいので、かなり派手になる。
裏地だとマットになっているので、ちょうどいいんです。
このチラッと見えるところに光沢があるのも、
いいでしょう?

着方は、全部ボタンを留め、ワンピースとして着るもよし、
すこし開けてコートっぽくも着るもよし、
ふわっと羽織るのもよし。
また、本当に軽いので、
パンツの中に入れちゃうこともできます。
ワイドパンツのときなど、いいですよ。
「えっ、入るの?」と思われるでしょうけれど、
ウエストから腰回りにかけて
ゆったりめのパンツなら入ります。
この薄さは、そんなふうにも活用できるんです。

ワンピースと同じ、
家庭で洗えるシルクを使ったブラウスです。
デザインのベースも同じ。
パンツに入れても、出しても着られるよう、
サイドにスリットを入れました。
前だけ入れて、後ろを出すような着方もいいですね。

ボタンはいちばん上が、
パリのクリニャンクールで見つけた
1960年代のヴィンテージ。
それを生かしたくて、第2ボタンから下は
比翼(生地でボタンが隠れる)デザインにしています。

色は上質感のあるアイボリー。
ジャケットを合わせてもかわいいですし、
もちろん1枚で着ていただいても。

色の選びかた? そんなに独特でしょうか。
たしかに思い切った色を選んでいるかもしれません。
じぶんではあまり意識をしていないんですが、
フランスに服づくりの勉強をしに行ったことが、
色彩の勉強にもなったのかもしれません。
そして伊藤さんも、わりとはっきりした色を
ポンと使いますよね。
私もその伊藤さんに影響されているのかもしれません。

saquiのあたらしいふたつの春夏のコート。 麻のかっこよさを、全面に。

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岸山沙代子さんにききました。1

今回つくるsaquiのコートは、2着とも、
伊藤さんが「この生地、かわいい!」と
たくさんのサンプルのなかから
真っ先に反応してくださったリネンを使ったものです。
いずれも、春夏ものとはいえ、わりと地厚。
まずこちらの生成りの無地の素材については、
伊藤さん、すかさず
「これのトレンチが欲しい」って
おっしゃったんですよ。

伊藤さんからは、
それ以上のこまかな要望はなし。
そこからデザインをはじめたんですが、
実は、最初、デザイン画で描いていたのは襟付き。
じっさいにそれでパターンまで起こしました。

でもいざサンプルを仕立てようというとき、
「これじゃ地厚過ぎるぞ」と思い、
襟なしのデザインに変更をしたんです。

かなりの試行錯誤がありました。
なにしろ今回は、
このしっかりした生地を使うことが前提。
重ねて使う部分が増えて、厚くなれば、全体が重くなる。
かといって軽いリネンを使うと「ちゃち」に見えます。
そうは言っても、じっさいに着たとき、
重さを感じることはないと思うんですが、
長く気持ちよく着ていただくため、
すこしでも軽くしたいですし、
また、この生地は、ほんとうに価格が高いものなので、
じょうずに節約をして、
販売価格をおさえる必要もありました。
だから、端になる部分は切りっ放しにしたら?
と、いろいろ考えたんです。
袖の先や襟などは織り込んで縫うため、
厚い部分は4枚重ねになりますから、
どうしても厚く重くなってしまうんですね。
でも、その「切りっ放し」という選択は、
とてもファッショナブルな服ができあがり、
モードが好きな人にはきっと受け入れられても、
本当に幅広い年代の人に長く着てもらえるだろうか?
と考えました。
やはり、普通にちゃんと仕立てたほうがいい、
やっぱり縫い代は中に入れよう。
その解決策が「襟なし」というアイデアでした。

トレンチで襟がないということに
ちょっとびっくりされるかもしれませんが、
伊藤さんもノーカラーの服がお好きだし、
トレンチって、ちょっと暑い時期、
汗ばみはじめる5月、6月あたりにも着る。
そんなときに襟が汚れるのは嫌だなと思っていたので、
「そうだ、襟、取っちゃおう!」って。

そうしてできあがったこのコートは、
前身ごろはダブルの合わせ、共布のベルトつきと、
一見してトレンチとわかるスタイルでありながら、
襟がないこと、袖がボタンではなく
リボンになっていることなど、
saquiらしいデザイン、あそびのディテールを
たくさん入れた1着に仕上がりました。

このリボン、かわいいでしょう?
腰のベルトとあわせて3つのポイントがうまれるので、
襟元のすっきりした印象とバランスをとって、
トレンチといってもマニッシュではない、
上品なかわいらしさが演出できたと思います。

ボタンも、ふつうのトレンチだったら
第1ボタンをもっと下につけるところなんですが、
やや上に、そして第2ボタンよりも
ふたつのボタンの左右の間隔を広めにつけています。
素材は水牛で、マット仕上げの日本製のボタンです。
このコートは襟がないデザインなので、
あえて、ボタンに目を行かせることで、
バランスをとっているんですよ。

そして、首周りから胸へのふくらみ。
ここもこまかく調整をしました。
saquiの服はすべて立体裁断なのですけれど、
このコートは、かわいらしさだけではなく、
トレンチらしい「かっこよさ」が出るように、
ボタンを留めても、あけても、
さまになるようにパターンを引いています。
そして背中は、
いわゆるトレンチのベンチレーションではなく、
ちょっと長めのセンターベントを入れました。
裏地は背裏と袖につけていますから、
着やすく、脱ぎやすい。
シンプルに見えますけれど、
たくさんの工夫をこらしているコートなんです。

着方としては、もちろん全部留める着方もあれば、
上のボタンを2つぐらい外してもいいし、
全部外したままベルトだけを結ぶのもかわいいです。
そして、もう、何にでも合いますよ。
冬から春にかけては、
ウールのニットの上に着てもいい。
麻がオールシーズン着られる素材だということは
ずいぶん浸透してきましたから、
季節を問わず活用いただけたらと思います。

そして、このコート、これだけ厚地の麻なのに、
最初から硬い感じがしないのもうれしい特徴。
やはり、生地がいいからなんですね。
そして着ていくうちにますます柔らかくなって、
いい感じに育ちます。

この生地はイタリアの「Faliero Sarti」
(ファリエロ・サルティ)社のもの。
わたしはここの生地がとても好きで、
日本では使っているブランドが
たいへん少ないと聞きますが、
いま、saquiの服は8割方がサルティです。
この麻も、色の雰囲気、ちょっとネップがある感じ、
そして全体の上質感、いずれもサルティ社ならでは。
日本の生地屋さんが
「どうしたらこんな生地がつくれるんだろう?」と
驚くほどのものなんですよ。

立体裁断で、コートとしてのゆとりを入れ、
長めのつくりになっています。
サイズは36と38のふたつ。
えらぶときはご自身のお持ちのコートと
裄丈(首の下のタグ中央から、片袖までの長さ)で
比べていただければと思います。

コートは、もう1着あります。
こちらは、リネン81%、コットン19%、
撚りが目で見えるような質感のある太い糸を使い、
ランダムな波形のボーダー柄の入った、
たいへんニュアンスのある織物でつくった、
saquiの定番のかたちのコートです。

これも、サンプルの段階で、わたしと伊藤さんが
「一目ぼれ」をした「Faliero Sarti」社の生地。
これもまた「どうやってつくったんだろう?」と
不思議になるくらいのクオリティです。
Sarti社のいちばん得意とする
高級カジュアルという分野のもので、
こういうニュアンスのものって
日本にはないものなんですね。

生地からかたちを考えるのが
saquiのやりかたなんですけれど、
この服に関しては、この厚さをいかすには、
ジャケットかコートだな、と、まず、思いました。
そして波形のボーダーがすごく強い印象の生地なので、
シンプルなコートにしよう、と決めました。

定番、と言いましたが、
これはsaquiでとても好評をいただいていて、
もう何百着つくったかわからない、
ウールのコートのパターンをもとにしています。
もちろんそのままではなく、
ポッケを箱ポッケにしたり、
前はスナップではなくジップにしたりと
アレンジをしています。

パターンですが、一見なんでもないようでいて、
こまかく切り替えてダーツを入れた立体裁断です。
ダーツを入れることで、
たとえば裾がちょっとだけスリムになって、
着た時の印象がうつくしい。
紺の総裏をつけていますから、
するりと着られてきもちがいいですよ。
この生地、本当にシワが出ないので、
旅行にもとてもべんりです。

ジップはスイスの
「riri」(リリ)社のものを使っています。
光沢、色、かたちのうつくしさ、
どれをとってもすばらしいジップで、
パリ・コレクションのメゾンが
こぞって使うほどのメーカー。
ririのジップだと、「あえて、見せる」ことができる、
そのくらいきれいなんですよ。
実用品でありながらアクセサリーといってもいい
レベルのものだと思っています。

saqui 春の服

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春の服。

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もうすぐ2月。

毎年、この時期になると
少しずつ気になってくるのが春の服。
寒い日々にもちょっぴり飽きて、
気持ちだけでも春に向きたい。
重いコートを脱いで、
軽やかに歩きたい。
そんな気分になるのです。

今週のweeksdaysは、
お待ちかね、saquiの春の服を紹介します。

デザイナーの岸山さんが惚れ込んでいる
Faliero Sartiの生地を使ったコートが2着。
シルクのブラウスとワンピース、
それからハリのある素材で作られたブラウスの全部で5着。

シンプルでありながら、
じつはパターンや素材使いに、
saquiらしい小技がたっぷり効いていて、
袖を通すと、さすがだなと思わせるものばかり。

お届けは3月下旬~4月上旬頃。
明日からの商品説明をじっくり読んで、
春の洋服計画を練ってくださいね。

あたためたい。

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からだをあたためる。
そう、私も断固あたためたい。
と常日頃思っている、冷え性の女だ。
そんでもって、女だてらにコーヒーの焙煎家である。
コーヒーの専門家である以上、
コーヒーがあたためる方向で書きたいのだが、
残念ながらコーヒーはからだをあたためたりしない。

30歳を過ぎるまでの自分は不死身だと思っていた。
会社役員という立場にありながら、
仕事はチャランポラン、部屋は廃墟、
宵越しの銭は持たない。
そう株式会社オオカミのスチャラカ社員の名を
欲しいままにしてきたにもかかわらず、
今日まで会社に置いてもらえているのは、
弊社社長の慈悲と、
案外、身体が丈夫だったことに尽きる。
それが、厄年を終えた頃から、まったく頑張れない。
いつもと変わらない毎日が辛くて仕方ない。
お客さんに笑顔で接することができない。
年中風邪をひき、鎮痛剤を毎日飲んでいた。
埃だらけの部屋でその埃とよろしく、
いつの間にか死んでいる自分を、想像してぞっとした。

何よりも健康が欲しい。
そういえば、体が冷たい。
あたためたい。
と願って、私財をなげうってきた。
もうぜーんぶ今話題のなんとか健康法は
すべてやってきたけれど、私の体温は低いままだ。
なんて不幸なんだ。
何もかも上手くいかないのは全部体が冷えてるせいだ。
そんな時、お客さんから薦められた本で、
「毎日、朝、運動をし、
ご飯1たんぱく質1野菜2を食べて12時までに寝る」
とあった。
なんだか普通過ぎるけど、
どんな健康法より効果的だった。
まず、わけのわからない情緒不安定がなくなり、
快活になった。
遅刻もあんまりしなくなった。

フランス映画に代表されるような、
ミステリアスなぶっ飛んだ女
(主にジュリエット・ビノシュの演じるような)は、
絶対、野菜食ってないし、寝ていない。
実際、映画のどこを観ても、
彼女は規則正しい生活なんか送っていない。
突然泣きながら夜中のパリを走り出すという奇怪な行動は、
慢性的な野菜不足、不眠、
運動不足によるヒステリーである。
彼女はミステリアスな女じゃない。
ただの冷え性の女である。

思春期の頃「女子は、冷やしてはならぬ。畑なんだから。」
という、スーパー差別的な田舎の言い伝えを、
「L.A.M.F.‥‥」(注▶意味はお調べください)
と書かれたTシャツを着て、
中指を立てながら聞き流していた。
無論、ヘソも出していた。
時代錯誤な性差別に抗うように冷やしまくった。
私の身体及び子宮は私だけのものだ。
誰かに用途を指図される覚えはない。
くだらない時代錯誤を一蹴し、
充実した毎日を送り、自分の人生を獲得したかった。
そうか、わたしは要するにしあわせになりたい。
ということなんだな。
ロックンロールに、うつつを抜かしていたころから
ずっとしあわせになりたかった。
他の誰のものでもないしあわせ。
というやつは、驚くほど素朴で
地道なものによって支えられている。

そして、今日も毎日激しく
自分の身体をあたためまくっている、
日本のたくさんの女性たちもまた、
そのために冷えと闘っているのかもしれない。

露天風呂

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我が家の風呂場は、狭い庭を降りた軒下に
洗い場があるだけの露天で、
Sちゃんが引越しのとき譲ってくれた、
排水栓のついた金盥を深くしたようなものを、
湯槽に代用している。
三年前、生家の寺に家族(妻と息子二人)で帰り、
ずっと空屋で傷んでいた築百年余りの借家を
住めるように改装した。
シロアリが柱という柱に巣食っていたので、
基礎を直すのに予想外の出費があった。
だから、浴室を設ける予算が尽きてしまったのだ。

余談だが、駆除業者のお兄さんから、
シロアリは家に振動があると
寄りつかないのだと教えられた。
どおりで老父母だけで暮らしていた寺は、
本堂や庫裡にシロアリ被害が見られ、
日常の振動が少なかったと見える。
われわれ家族が、寺へ戻る決意を固めたのは
シロアリのためだった。
一家四人が帰れば、六歳と二歳の兄弟が、
建物の隅々まで振動を与えてくれることは間違いない。
つまり、子どもが走り回れば
シロアリたちも退散するだろう。

金盥のようなものと書いたが、
じつは農家で使うブリキの米櫃で、
Sちゃんがアパート暮らしで、
すでに湯槽として使っていた。
アパートを引き払うとき、
もう不要だというので妻がもらってきた。
露天の洗い場に置いたら、ちょうどいいサイズで、
はじめの頃は、六歳と二歳の兄弟と
わたしが湯槽に浸かることができた。
小さな兄弟が入ったところに、
わたしが浸かるのだから座るのもやっとのこと、
座ると同時に湯が溢れでた。
露天に身体を屈して湯に浸り、
子どもの声と雨の音を聞いたりしていた。

秋が深まると、洗い場で体を洗っているともう肌寒く、
泡を流して少しでも長く湯槽に浸っていたい。
子も同じと見えて、体もろくすっぽ洗わず、
わたしがゆったり座った膝の上に割り込んでくる。
父子三人が湯槽に身を寄せる写真を
妻に撮ってもらったが、
温泉に浸かった下北のニホンザルのような塩梅であった。

最初の冬がやってきたのは、三年前の十二月下旬だったか。
おそらく冬にかけて、この露天風呂は寒くて使えまい、
というのがわれわれ家族の予測であった。
ところが、ある寒い朝、
どうしても早起きをして仕事をしなければならず、
起きてすぐに体を温めたかった。
ふと、風呂に湯を張って浸かろうと考えた。
蛇口をひねって五分もあれば、
体を沈めて溢れないほどに湯は満たされる。
狭い庭にもうもうと湯煙が立つ。
裸電球の下、ひとり湯槽に浸かって、
屋根と板塀に区切られた三角形の空をのぞくと、
次第に紫紺という色に夜が明けはじめていた。
街中に住むというのに、
遠い山里へ湯治にでも来たような気分がして、
体も温まった。

露天風呂も四年目を迎えようとして、
新たに浴室を作る兆しは一向にない。
さすがに三人一緒に浸かることは出来なくなった。
今では、九歳になった長男が、冬の朝など、
眠い目をこすって朝風呂しているときがある。
息子は三角形の寒空を眺めて、
さて何を思っているのだろう。

チェコのカムナ。

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チェコというと、「寒いんでしょう?」と
まるで極寒の地のように勘違いされることがあるけれど、
わたしの住むプラハにかぎって言えば、そんなことはない。

もちろん凍ったブルタヴァ川越しに見るプラハ城の眺めは
寒さを忘れるほどの美しさではあるのだけれど、
そんなことも最近ではごく稀。
プラハでは、雪が積もっても
根雪になることは滅多にないのだ。

25年ほど前、ここに暮らし始めた当初は、
冬の石畳は冷たく、
寒がりのわたしは紐靴の穴からすら冷気を感じたりもした。
最低気温がマイナス10度を下回る日もあり、
街ではマダムたちが毛皮のコートに身を包んでいる。
わたしも下着をすべてシルクで
揃えたりしたこともあったけれど、
やがて慣れてくるにつれ、
湿気のない寒さは防寒しやすいことを理解し、
今では湿気の多い日本の冬より
格段に過ごしやすいと思うほどだ。

なにより家の中は24時間いつでもポカポカ。
さすがに石炭によるセントラルヒーティングは
環境問題から廃止の方向にあるとはいえ、
温水をラジエーターに送り住まい全体を暖めるという
暖房システムが主流なことに変わりはなく、
この方式だと、居室も全体の空気がじんわりと暖まり、
局所的に寒かったり、暑すぎるということはない。
この快適な暖のとり方を経験して以来、
送風系の暖房はすっかり苦手になってしまった。

ただ、残念なことに今のアパートはこれではなく、
古いタイプのガスヒーターである。
それでも冬の部屋をいつも暖かに保つことはできるし、
ドライフルーツをつくるのには最適だ。
ヒーターのそばに、厚めにカットしたフルーツ
(たとえば、りんご)をざるに並べて置いておくと、
1週間もすればみごとなドライフルーツができる。
これをガラス瓶や友人のつくった器に盛って
食卓に置いておくのがわたしの冬の楽しみだ。

と、いまのチェコはそんなふうだけれど、
じつはこの国では「カムナ」という竃(かまど)が
長い歴史のなかで使われてきた。
家の中にしつらえて、調理から暖房まで、
必要な火力をこれでまかなうおおきな器具である。
竃だから一年中使うものなのだけれど、
冬には竃・兼・暖炉にもなる。
いや、冬はむしろ
暖炉・兼・竃と言ったほうがいいかもしれない。

わたしがカムナと出会ったのは、
プラハに住み始めて間もない頃。
友人の誘いで
モラビアの田舎家で夏休みを過ごしたときのことだ。

列車を乗り継いで着いたのは南モラビアの小さな村。
普段は誰も住んでいないという一軒家はとても古く、
まずは窓を開けてホコリを払い、井戸で水を汲み、
ロウソクを用意して‥‥。
そう、ここの家には電気もガスも、水道もない。
水は井戸から、照明はランプかロウソク、
そして料理はカムナを使ってつくるのだという。
お伽話にでてくるようなこんな家では、
冬はカムナのすぐ脇に寝床をつくったり、
煙突の這わせ方で家中の暖房を担ったりと、
その役割は様々だと知った。

竃には、薪をくべる口、灰をためる引き出し、
そして調理用のオーブンのドアがあった。
トップ(天板)は鉄製の一枚板で、
どこに鍋を置くもよし。
薪をくべるところに近ければ火力が強く、
遠ければ弱火での調理が可能。
この時は、夏とはいえ夜になると冷え込んだので、
一日中弱めに火を炊いて、
洗濯できるくらいの大鍋
(チェコではシーツを洗ったり、保存食をつくるための
巨大な鍋が各家庭に必ず常備されている)に
お湯を常に沸かし、ついでに暖もとるという使い方だった。
薄暗いキッチンに入ると、大鍋から湯気がたち、
焚き口の窓からはチラチラと炎が揺れて見えた。

完全に一目惚れだった。

「いいな、いいな」と思いつつ、
街のアパート暮らしではカムナを使うのは夢のまた夢。
カムナを使うにはそれなりの規模の部屋、
というか一軒家が必要である。
‥‥と、あきらめていたのだけれど、
昨年、ひょんなご縁でカムナをつくる会社から取材を受け、
またしても自分の中の
カムナへの想いが強くなってしまった。
そう、わたしにとってカムナは
まるで望郷のような憧れなのである。

そういえば、昔から薪をくべるのが好きだった。
アウトドアの焚き火やバーベキューではなく、
家の中の薪ストーブである。
子供の頃から実家のお風呂が薪窯だったことが
そもそもの始まりで、
東京で借り住まいをしていたころは
火鉢を使っていたこともある。
ガラスや焼きものに惹かれたのも
窯を使う仕事だったからなのか。

今でもストーブを見たら、
薪をくべたくてうずうずしてしまう。
なーんて言うとちょっと危ない人のようだけれど、
わたしのこの趣味は、
仲の良かった父親が消防士だったということと、
今となっては
不思議と繋がっているような気もするのである。

cohanのウールのはらまき

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スープにブランケット、それから──。

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冬本番。
自分を取りまくものすべてが、
キーンと冷たくなったよう。
自然と体も縮こまりがちになります。

時おり感じるあたたかい日差しに、
少しだけ春を感じるものの、
まだまだ寒い日は続きます。
この時期、油断は大敵。
きちんと体をあたためて、
体をのびのびさせてあげないといけません。

スープにブランケット、それからはらまき。
私の冬の寒さ対策はこの3つ。
今回、weeksdaysは、
しっとりとやわらか、
肌にすいつくような着心地の
ウールのはらまきを紹介します。

不思議なことに、
お腹まわりに、このはらまきがあるとないのとでは
あたたかさは段違い。
上に着るものが一枚減るくらいの威力です。

薄手でしなやか。
つけると体がゆるまっていく。
春が来るまで、
毎日一緒にいたい、
外でも、家でぬくぬくしている時も、
眠る時も。
そんなはらまきです。

再入荷のおしらせ

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完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
1月17日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。

シルバーバッグ



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販売開始後、あっという間に完売した
weeksdaysオリジナルの
シルバーのトートバッグ、
ようやく追加生産のはこびとなりました。

このトートは、「weeksdays」で紹介している
「おおきな革のトートバッグ」の、
底辺の面積はかえずに、
背をぎゅっとちぢめたようなかたち。
バゲットや、ワインの瓶がすっぽり入りそうな、
ちょっとふしぎな横長です。

使っているのは牛革。
表面に銀色の箔を貼る加工を施しています。
最初はピカピカに光っていますが、
徐々に光沢がよわく、
箔には傷がすこしずつ付いていきます。

「ファスナーがないので、
『中に入れるものが見えてしまうのでは?』
と思われる方もいるかもしれませんが、
そこは腕の見せどころ。
スカーフなどを目隠しにして、
コーディネートをたのしんでみてください」
(伊藤まさこさん)

150個の入荷です。どうぞご検討くださいね。

ガラスのうつわ(大・中・小)



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いちばん最初に考えたのは、3つのうちで
いちばん小さな「小」のかたち。
これは、フランス・スペイン国境にひろがるバスク地方で、
チャコリというお酒を飲んだり、
ワインを入れたりと日常的に使われている
「ボデガ」というグラスのかたちをモチーフに、
伊藤まさこさんがプロデュースしたものでした。

これをもとに、高さをかえず、底の面積を拡げることで
つくったのが「中」と「大」のかたち。
「小」は、薄手ですが、「中」と「大」は
耐久性を考慮して、ほんのすこし厚手につくっています。

「小はグラスとしても器としても。
中・大はサラダやフルーツ、
ヨーグルトにグラノーラ‥‥と
いろいろ活躍しそうです」
(伊藤まさこさん)

製作を担当したのは、
大正11年創業のガラス工場である
松徳(しょうとく)硝子。
成形のため最初に金型を使いますが、
その工程のほとんどが手作業。
熟練の職人さんが1点ずつ仕上げている、
手づくりガラスなんです。

スタッキングして収納できるところも優秀!
ぜひ、揃いでつかっていただきたいうつわです。

ガラスのコップ



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この「ガラスのコップ」は、
「weeksdays」のための、松徳硝子のオリジナル。
伊藤まさこさんから、食事の前にちょっとだけ
ビールをたしなむようなちっちゃなコップがほしい、
というリクエストでつくられたものです。
原型となったのは、松徳硝子の大ヒット商品である
「うすはり」。ふちだけでなく、底までうすい、
とくべつな技術をつかってつくられたものです。

かたちは、いかにも「コップ」という語感にふさわしい、
かわいい印象。

「もちろんビールだけにかぎらず、
入れるものはあなたの自由。
水でも、ジュースでも、つめたいお茶でも。
いつもの飲みものも、
グラスが変わると味わいも変わって感じるもの。
器ってすごいなぁと思うのは、
こんな瞬間です」
(伊藤まさこさん)

ニューヨークに住むということ。

未分類

伊藤
ニューヨークでの暮らしのこと、
もうすこしお聞きしてもいいですか。
この集合住宅、とても住みやすそうですね。
あっ、いま、上階でなにか音がしました。
矢野
上の階の人、かなりのお年のカップルです。
このへんの歴史を全部知っているような、
タウンヒストリアンって人なんです。
私がここに来た頃はまだバリバリ現役な感じだったのが、
だいぶ年を取ってきて、
おばあちゃんがウォーカーでないと歩けないので
カーペットを全部取っちゃったんです。
だからすごく音が聞こえるの。
でも音が聞こえると、
あ、今日もお元気なんだな、って思える。
このアパートは、当時からは半分くらい
住人が入れ替わっちゃったけれど、
いろんな人たちがいるから、
交流会があるんです。
掲示板に貼ってありますけど、
年に2回ね、みんなでご飯持ち寄って、
中庭でテーブル出して、ごはんを食べる。
3分の1ぐらいがゲイのカップルかな。
男性よりも女性のカップルが多い。
いちばん仲が良かった女性のカップルは、
この前引っ越ししちゃったけれど。
伊藤
皆さん楽しく参加されるんですか?
矢野
そうですね。
伊藤
へえー。とってもいいですね。
矢野
ここは70年代からのアパートなんですが、
ビルディング自体は1900年に建ってるんです、
もともと工場だったのかな。
その後、倉庫になり、
75年に住宅用に改造して、
その当時から住んでる人もいます。
やっぱりそういう古い人がいると、
ビルディングのキャラクターっていうのかな、
そういうのが出ますよね。
年寄りたちはみんなで
「どこのユニットの下の子は今度小学校だ」
とか、よく知ってるんです。
伊藤
素敵。
時差以外は、お仕事、しやすいですか?
ニューヨーク。
矢野
ものをつくる人間には、
とてもいいところだと思いますね。
やっぱり厳しいから。
伊藤
厳しいから。
矢野
誰も甘やかさないし。
日本だったら荷物を誰かが持ってくれるし、
とかあるけれど、
ここは全然そういうのないでしょう?
「はじめまして」って言ったら
「キミ、何してるの?」
「ピアノ弾いて、歌を歌ってます」
「ああ、ほんと。へえ。‥‥それで?」
という感じでしょ?
それでいいわけだし、
結局どういう人間かっていうのは、
どういうものをつくってるかっていうので
判断されるので。
伊藤
たしかに厳しい。
矢野
街にもね、娘(美雨さん)が、
あの子はニューヨークで育ってるので、
「次の角曲がったら何があるかなっていう、
期待というか、ワクワクする何かが、
東京には全然ないんだよ」って。
それに、日本で仕事をし出したとき、
着るものをみんながきれいにしてるなかで、
自分だけGAPのジーンズとTシャツで
いいってわけにいかないって。
でもニューヨークに来ると全然それでいいし、
それで街を歩きたいと思う、って。
伊藤
確かにいろんな肌の人がいますし、
街並みもおっしゃるとおりですね。
「あの角の先何があるかな」って思います。
矢野
行ってみたいな、って、ね。
伊藤
こちらの友人が「よく歩くよ」って。
矢野
そう、歩きます!
東京にはニューヨークのような
歩く楽しみは少ないと思います。
伊藤
歩くのは移動のためか、健康のためかで、
街と街は面白いけど、
その間は、確かにそうですね。
矢野
ひとつひとつの地域が
あるキャラクターを持っている街、
っていうのも、少ないですしね。
東京では、高いお店とかカッコいいお店が
並んでる街なら、
ウインドウを眺めるには楽しいだろうし、
暇つぶしにはいいかもしれないけども、
「今日は時間があるからあそこを歩いてみよう」
っていうことを、東京ではあんまり思わないですね。
たとえばグリニッジ・ヴィレッジなんかには、
古くからやってる、おじいちゃんのお店とか、
昔からあるレストランとかが残っている。
ソーホーなんかも、朝早くが、すごくいいんですよ。
随分少なくなりましたけど、7時とか8時、
おばあちゃんたちが打ち水してたりとか、
そういうのが残ってるんですね。
伊藤
なんだかいいな、
「角を曲がるのが楽しくなる」。
東京は大きな商業施設が多くなり、
またビルができたんだと思うと、
同じような店が入っていたりします。
矢野
それは、マンハッタンも同じですけどね。
新しくできるものは奇をてらったビルディングか、
ドラッグストアがまたできたとか、
またネイルショップだね、みたいな(笑)。
それでも、まだ、
歴史を楽しむっていう感覚はありますね。
伊藤
今回も、ぶらぶらしていたら、
ジューイッシュの人たちが、
お祭りだからって正装して歩いているとか、
そんな風景に出くわしたりしました。
──
いろんな人がいるから、
オランダみたいに「みんなでっかい!」
っていう感じでもないですし。
矢野
いろんな人種がニューヨークにいて、
みんなが共存できる街です。
その人たちがみんな違う考え方を持っていて、
でも「ああ、そうなんだ」って
お互いを尊重し合う人たちが
それぞれ地下鉄に乗っている。
その面白さっていうのはありますね。
‥‥ふう、おなかいっぱいになりました。
とっても美味しかった!
ありがとうございます。
伊藤
こちらこそありがとうございました。
あの、残った食材、置いていってもいいですか?
矢野
もちろん!
残ったスープももらっていい?
冷凍して、少しずつ食べます。
伊藤
わあ、うれしい。ぜひそうしてください。
また東京か、ニューヨークか、
どこかでお目にかかれますように。
矢野
ほんとうにありがとう。
ニューヨーク、楽しんでいってくださいね。

お会いして。

伊藤まさこ

メニューは、
茹で鶏のねぎソース、
香菜サラダ、
きくらげの和えもの、
鶏スープの煮麺。

きっと緊張するだろうから、
作り慣れていて、
でもしみじみおいしいものにしようと、
日本を出る前から思っていたのでした。

それにしてもすばらしかったのは、
グリーンマーケットで買った鶏で取ったスープ。
すっきりしていて滋味深い。
お腹の底からあったまる。
煮麺にしてもまだたっぷりあまっていたので、
さてどうしようかと思っていたら、
「これ、冷凍しておく」と言って、
ふたつの保存容器にささっと分けた矢野さん。

後日、おいしそうな写真とともに
こんなメッセージが届きました。

「チキンの茹で汁でリークを煮ました。
いつもはパックになっている
スープストックを使っているのですが、
これは香りからして違います!
本当においしい。
ここまで命をしっかりいただけてうれしいです」

好きな人に、
自分の作ったごはんを「おいしい」と言ってもらえるのは、
とてもうれしいこと。
食べることも好きだけれど、
そうか私は、
おいしいって言ってもらえるのが大好きなんだ。
おいしいねって言い合える人たちと、
いつもおいしいものを食べていたい。
それは豪華じゃなくてよくって、
ふつうのもの。
お腹の底からあったまる、
たとえば湯気の立ったスープのようなものを。

はじめてのアッコちゃん。

未分類

伊藤
矢野さんは、基本的にピアノと歌ですよね。
ピアノだけの矢野さんって、
ライブとかだと聴けたりするけれども。
ピアノだけのCDはないんですね。
矢野
1枚だけ、昔、QUEENというバンドの曲を
インストゥルメンタルで演奏するというアルバムで
ピアノを弾きました。私名義じゃないけれど。
それはその当時結婚していた
矢野誠っていう夫が依頼された仕事なんです。
彼は天才的にオーケストレーションがうまいのね。
いまは、コンサートで、
1曲ぐらいはインストゥルメンタルで
やることもなくはないですけれどね。
伊藤
でもやっぱり私は、
「はじめての矢野顕子」が
『春咲小紅』だったから、
歌の印象が強いかな。
みんなそうじゃないかしら。
武井さんもファンだということですが、
「はじめてのアッコちゃん」は何でした?
──
ぼくは『ごはんができたよ』のシングルです。
中学生だったかな、
ラジオでチラッとさわりだけ聴いて、衝撃を受けて、
何だか分からないけどすごいものだと思って、
音楽雑誌で調べたんです。
でも「顕子」が読めなくて、
顕微鏡の顕だからケンコ? って、
河合楽器に行って
「矢野ケンコありますか」
「ああ、それはアキコですね」って。
矢野
(笑)清水のミッちゃんは、
矢野顕子のLPを注文したら、
和田アキ子さんのLPが来たって(笑)。  

                 

一同
(笑)
伊藤
面白い人には面白いことが起こるんですね(笑)。
矢野
自分の歌とどこで誰が
どういう出会いをしてるかっていうのは、
もうかなり膨大にあると思うのだけれど、
長くやってると、
それが私のところに届くことは、ほとんどないんです。
志の輔さんが「相馬で気仙沼さんま寄席」のとき、
私が行きたくて行くことにしたら、
シークレットゲストで登場することになって、
本番前に志の輔さんにご挨拶をしたんですね。
私も落語を生で聞くのが初めてだったから
すごく期待して。
最初、志の輔さんの創作落語で
現代のお話みたいのがあって、
それから休憩があって、
糸井さんと志の輔さんがお話をして、
「そう言えばさ、客席に矢野顕子がいるらしいよ」
というので私が客席から出ていったんです。
そこになぜかシンセサイザーが用意されていて(笑)、
『ひとつだけ』と『ごはんができたよ』、
2曲をやったんですね。
その時は、もちろん落語に来ているお客さまだから、
「はじめての矢野顕子」ですよね。
だから分かりやすい曲を。
そのあいだに志の輔さんには次の準備をしていただいて、
出てきたら、何だかヨロヨロしてる。
おっしゃるのは、
「もう今どうしていいか分からないですよ、
次、何をやるかも結局決められないで、
今、私は出てきちゃったんですよ」って。
みんな、それもネタだと思うじゃない?
私もそう思ってたんですけど、違ってて、
『ごはんができたよ』を私がやって、
それが楽屋でスピーカーから流れた時、
「あっ」と手が止まっちゃったんだそうです。
35年前ですか、彼がサラリーマンを続けるか、
思い切って辞めて落語家になるか、
すごく迷っていた時期に、
私の『ごはんができたよ』のLPを、
家で毎日毎日聴いてたんですって。
一同
へえー!
矢野
それが流れてきちゃったものだから、
予期せず、その頃の自分に返っちゃったんですって。
でもそのあと『柳田格之進』という、
大ネタをなさったんですが、
ほんとうに素晴らしかった。
私が初めてというのもあるんですけど、
その日はやっぱりすごかったって、糸井さんも言ってた。
そんなふうにね、どこでどういうふうに
人が経験しているかっていうのを、
知る機会があるというのは、嬉しいんですよ。
「志の輔さん、そんな出会いをしてくださってたのね」と、
すごくそれが印象的でした。
伊藤
みんな、マイ・アッコちゃん・ストーリーを、
持っていると思うんですよ。
矢野
ファンの方はね、それぞれね。
伊藤
もう、みんなで語りたいもの(笑)、
さきほどおっしゃったような、
ご自身が変わったなって自覚されたのは、
いつごろですか?
矢野
ターニングポイントは、
『ごはんができたよ』のレコードですね。
あのあたりで、何が原因だったのか、
すごく変わりました。
自分の音楽が、ちゃんと外を向いたっていうか。
それまではほんとにただの音楽オタクみたいな感じで。
伊藤
そうか。自分の中だけで完結してるのと、
外に向くのって、全然違いますよね。
矢野
違いますね。
それこそ自分で美味しい料理をつくって
「ああ、美味しい」って言った時、
自分はいたって満足だけども、
お腹を空かせてる人たちの中で
「はい、どうぞ」って出して、
みんなが美味しいって言ってくれたら、
その時はたとえ自分が食べなくても、
嬉しいですもんね。
伊藤
確かに、つくったものを喜んでもらえる、
っていうのは嬉しいですね。ご飯にしても。
矢野
自分でつくって自分で食べてるっていうのは、
確かにそこで完結してるけれども、
次の日も自分でつくらなくたって別にいいし、
まずいものつくっちゃったらそれはそれでしょうがない、
みたいなところもあるものね。
でも他の人のために、
あるいは他の人と一緒に
食べるためにつくるっていうことは、
「美味しかったね、ご馳走様」って言われたら、
次またつくろうって、次に繋がっていく、
そういう原動力を持っている。
伊藤
ほんとうに、そうです。
矢野
音楽も自分1人でやってて、
たまにものすごーく、よくて、
1時間ぐらい続けてバーッと演奏して、
ああ面白かった! ってまわりを見たら、
「あら? お客さんいないんだわ」。
一同
(笑)
矢野
みたいな時もあれば、
ステージであまりに集中しすぎて、
「あら? お客さんいたの?」みたいなことも。
伊藤
すごーい(笑)。
矢野
どちらも、基本はやっぱり
自分の中から出てくるものであって、
自分が面白くなければ、
つまり自分が美味しいと思わないものは、
人には出せないですよね。
同じことじゃないかな。
伊藤
そうですね。
その「あれ? お客さんいない」っていう時と、
「あっ、お客さんがいるんだった」いう時、
どう違うんですか。
どっちがいいとかではなくて?
矢野
うーんとね、
どっちがいい、じゃなくて、
基本は同じですけれども、
そこにやっぱり食べさせる人がいる、
つまり、聴く人がいるならば、
そこに親切っていうかね、
食べやすいようにするとか、
大きなお肉はほぐしておくとか、
ありますよね。
音楽も、何らかの点で
聴きやすい要素みたいなのが
あるかもしれないと思います。
自分1人の場合は、そういうことはお構いなしなので、
中から出てくるものだけで十分楽しい、みたいなね。
伊藤
自分がすごく美味しいと思う味は、
人にも食べさせたい。
ところが自分が美味しいと思ってるのに、
それを美味しいと思わない人も当然いる。
音楽でも同じことがあると思うんですが、
そういう時ってどうしますか?
矢野
「気にしない」ですね。
伊藤
気にしない!
矢野
私、基本はそれなんですよ。
売れない、そして人に受け入れられない、
そういう音楽なんです。
そこから出発してるから、
そういうことがあっても、全然平気ですよ。
伊藤
先日、糸井さんと話してて
すごく印象的だったのが、
「伊藤さん、とらやでね、
伊藤さんが考えたすっごい特別なお菓子を
特注でつくるのは、おそらく『できる』よね。
でも、それじゃなくて、
みんなが食べる安い
チューインガムをつくるっていうことも、
考えてみれば?」という言葉でした。
わたしは「とらや」方向だったので、
なるほど! と思って。
──
インスタントラーメンや
チューインガムは難しいですよね。
伊藤
いろんな人に好まれて、
かつ安い値段で、
しかも売れ続けないとダメだし。

活火山。

未分類

伊藤
以前、奥田民生さんの歌を歌っていても、
矢野さんは、矢野さんの歌になるんだなあ、
って思ったことがあります。
その“何をやってもアッコちゃんになる”
っていうのはどうしてなんだろう、と、
矢野さんにお訊ねしたことがありました。
そしたら「私、活火山なの」って。
山だから、誰が登ってきても一緒にできる、
というようなことをおっしゃってて。
矢野
(笑)山だから、いろんなものが出てきちゃう。
伊藤
マグマが?
矢野
そうそう。
伊藤
そのマグマに、いっそ埋もれたい、みたいにして、
せめて熱をあびるように、
私たちは矢野さんの曲にふれているんですね。
でも同じように音楽で表現する人たちは、
その活火山に登ったらどうなるんだろう?
と思うんじゃないかしら。
マグマは危険だけど、登ってみたい、みたいな。
──
あまたの冒険家たちが。
伊藤
(笑)そうそう、最後に矢野山脈に登りたいって。
矢野
あたらしいアルバムがね、
ぜんぶの曲、どなたかと一緒に歌っているんです。
いろんな方と組んでいるんですが、
その人、その曲によって、
私のほうから、アプローチを変えているんですよ。
活火山に登ってきてもらう人もいれば、
「私はいいです」っておっしゃるかたもいるから(笑)。
伊藤
「いいです」とおっしゃる方は、
どのくらいの距離感なんですか?
矢野
登りはしないけれど、側にいます、
みたいなかたもいれば、いろいろですね。
そのアプローチの仕方は、私が決めているんですけどね。
ある場合は、活火山を一瞬とめて、休火山のふりをしたり。
伊藤
(笑)いつ爆発するか!
矢野
爆発しないようにしてる、とか。
──
上原ひろみさんと矢野さんが組むときは、
上原さんの活火山を、
矢野さんが活かすほうに行く印象があります。
矢野
そうですね、両方活火山だからね。
伊藤
そうですね。
ともに活火山ぶりを発揮したら、
破壊力がすごくなっちゃう。
そこで2人だけで楽しくなっちゃうと、
お客さまが置いていかれるのかな。
いっそ、それも見てみたいです。
矢野
私たちがどういうふうにやってるのかっていうのを、
お客さまが眺めて楽しむっていうことなので、
基本的には、そうですよね。
そして、相当音楽に詳しくなければ、
私たちがどのように面白いかっていうことは、
おそらく分析はできないと思う。
だけれどもできるものがあまりにも巨大なものならば、
それはそれで、それ自体が面白いわけです。
伊藤
音楽の素養がなくても楽しめる。
矢野
そうですね、それはありますね。
伊藤
ブルーノート東京の公演に行った時に、
その場にいたお客さまがみんな、
良い大人のマナーを持った人だったし、
とてもくつろいでいるのがわかるんです。
みんな、ほんとうに楽しそう。
とても良い空間で、良い時間を
一緒に過ごさせてもらったなと思いました。
生きてて良かった、みたいな。
矢野
ありがとうございます。
──
ブルーノート公演が始まった頃は、
お酒や食事をたのしみながらライブを観る、
というスタイルがどうにもなじめず、
矢野顕子の演奏の前で食器の音などさせてなるものか、
と、そう思う客も多かったですよ、自分も含めて。
でも、今ではお客さんの意識も
変わってきたように思います。
音楽をたのしむってそういうことばかりじゃない、
ってわかってきたのかもしれないし、
そういう年齢になってきた人が
増えているのかもしれないし。
伊藤
それは、矢野さんから見て、どうですか?
矢野
うん、私たちの演奏に適した態度を
皆さんとってくださる、
そういうお客さんがほとんどですから、
全然心配はないですね。
伊藤
矢野さん、フェスに出られたりとかすると、
そういうお客さんばかりではないですよね。
矢野
フェスの時はもう、いつどこでやっても、
「はじめての矢野顕子」でやってますね。
皆さんに分かりやすい、
いちばんお見せしやすい部分で。
伊藤
そうか「はじめての矢野顕子」ね。
緊張させちゃうといけないし。
矢野
私は自分が他の人を
緊張させているっていうことを、
長年知らなかったんですよ。
伊藤
お客さまを緊張させるということですか。
矢野
ううん、どんな人でも。
伊藤
へえー!
矢野
「矢野顕子ってさ、怖いじゃん?」
「何か、すごいんでしょ」
みたいなふうに言われることが多かった。
いや全然、私、普通に、
今日はもうインスタントラーメンでいいか、
みたいな人間なのに、
どうしてみんな恐怖を感じたりするんだろう、
って思ってたの。
でもだんだん年を取ってきたら、
あ、そうか、私が見ている自分と、
他の人から見える自分は違うんだ、
って、ようやく気が付いたんですよ。
伊藤
ふむふむ。
矢野
それでそういうフェスとかね、
はじめてのお客さまの時には分かりやすくあるように
心がけるようになりました。
でも昔は全然そういうことがなかった。
「今日、わたしが歌いたい曲をやります」
「はい、次は」みたいな。
伊藤
それは糸井さんがおっしゃる、
「アッコちゃんは生意気だったんだよ」
という時代ですね(笑)。
矢野
(笑)そういう時期もあった!
伊藤
矢野さんはステージで
横向きにピアノに向かいながら、
顔は客席を向いて歌われますけれど、
当時はちがっていたんですか。
矢野
客席を向いてはいましたけど、
心が向いてなかった。
それがだんだんと、お客さんがみんな
自分の音楽を聴きに来てくれているんだ、
お金まで払って来てくださっているんだ、
ということがわかるようになるわけです。
なかにはほんとに残業しなくちゃいけないのを、
誰かに代わってもらって来た人もいるだろうし、
今日だけは、子ども、
おばあちゃん、お願い見ててね、とか、
いろんな立場の人たちが来てくださっている。
その機会を、
自分が今日やりたい音楽のために使うのは、
ないだろう、って思って。
そしてだんだん、皆さんとちゃんと
会話をする気持ちになってきました。
そして今となってはもう、
「皆さんが喜んでくださる曲なら何でもやりますよ」
みたいな気持ちなんです。
私がやりたい曲が、ないわけじゃないんだけど、
それより皆さんのほうが大切って、
今、ようやくなりましたね。

猫について。料理について。

未分類

伊藤
矢野さんはずっと猫がいる暮らしですよね?
いない時期もあったんでしょうか。
矢野
いない時期は4か月ぐらいありました。
4匹いたのが次々死んでしまい、
最後の子が死んだ時、
もう猫と暮らすのは諦めようかなと思ってたんです。
でも家に帰ってきても生き物がいないと、
もう全然ここは家じゃないっていう感じで。

そしたらご近所で
「捨てられちゃった猫がいるんだけど」
「えー、じゃあ見るだけ」
‥‥次の日にはもう、籠持って引き取りに。
それがいまここにいる、タイタスです。
伊藤
とっても人懐っこい、いい子ですね。
美雨さんは、
あんまりニューヨークに来ないんですか?
矢野
来ないですねえ。
来るって言ってたんですけど、
やっぱり小っちゃい子がいるとね。
そうだ、「ほぼ日」でも猫を飼えばいいのに。
──
ビルの規約で、どうぶつは立ち入り禁止なんです。
矢野
ああ、そうなの。
──
オフィス猫って、
夜、どうするんでしょ。ほっとけばいいのかな。
矢野
夜はいいんですよ、
食べ物と水とトイレさえ置いておけば。
猫はそれができるからいいんです。
ニューヨークのレストランでも、
猫を飼ってるところ、けっこうありますよ。
ネズミ除けにすごく効果があるんですって。
伊藤
スタッフのひとりですね。
矢野
昔はそのへんのデリとかでも、
看板猫がよくいました。
でもずいぶん減ってしまった。
ネズミ除けの役割も、
衛生管理がよくなってるからね、今は。
伊藤
(お皿がからっぽなのを見て)
あ、矢野さん、おかわりありますので。
矢野
はい、ありがとうございます。幸せです。
伊藤
良かった。ご飯つくるのって楽しいです。
仕事を集中してしているときなど、
たまに「何か刻みたい!」みたいになるんです。
あんまりいろんなことを考えないから、
料理っていいなって。
過去の心配とか未来の心配とか、
過去の後悔とか、関係ないから。
──
料理は未来に向かった前向きな作業ですね。
伊藤
手を動かせば進むから。
原稿書きとかと違って。
矢野
清水ミチコさんもね、よく夜中に
料理をしているみたいですよ。
伊藤
へえー!
矢野さんと清水さんが
プライベートで一緒にいるところって、
どんな感じなんだろう。
矢野
ん? 普通だよ。
伊藤
普通じゃないです(笑)。
さて、そろそろ、にゅうめんにしましょうか。
矢野
いただきます。
いまちょっと風邪気味だから、
とっても嬉しい。
伊藤
矢野さん、啜らないんですね。
その音が苦手ということですか。
矢野
ううん、そういうわけではないんですが、
アメリカ生活が長いと、
人前で麺をすすらなくなるんです。
音は全然大丈夫。
伊藤
そうか、啜っているひと、いないですよね。
ニューヨークってずいぶん
ラーメン屋さんが多いけれど。
矢野
日本通で「俺は日本食をよく知ってるぜ」
みたいな人が、
頑張ってズズッてやってたりもするのね(笑)。
伊藤
トレーニングしないと、できないかも。
矢野
そう、最初ね、できないの。
伊藤
そうなんですよ!
それにしても‥‥目の前ににゅうめんを食べる
矢野さんがいるというのが、あらためて不思議です。
私たちにとって矢野さんは、
あのステージの矢野さんなんです。
──
あこがれのミュージシャンが
どこでどう生活してるか、
ほとんど知りようがないわけですものね。
でもキッチンの戸棚には
布巾が重なって置いてあるし、
お鍋もお皿もある‥‥。
矢野
そうなの、
「ご飯、自分でつくるんですか?」って、
実によく聞かれるんです(笑)。
「だって、他につくってくれる人いないんだから」って。
主婦を40年もやってきたわけだし、
私としては、ご飯をつくるってことは、
当たり前の生活の中のこととして
占めてるんです。ただ──、
そこに楽しさは見出していないんですよね。
伊藤
そうなんですね。
矢野
お料理が好きな人たちは、
次は何をつくろうかとか、
美味しいもの食べたら、
これどうやってつくるんだろう、
自分でもやってみようとか、
そこにつくる喜びっていうのかな、
そういうものがあると思うんです。
私の場合は、たぶん、つくる喜びが
全部音楽のほうに行っている。
もちろん、どうせ食べるなら
美味しいものが好きですよ。
だから自分で精一杯ベストを尽くして
美味しいものをつくりたいとは思うけれども、
そこに「つくる喜び」はないですね。
むしろ、人が来た時につくって、
美味しかったって言ってもらえたら、
満足と、与える喜びはあるけれどもね。
伊藤
じゃ、私がみじん切りするために
「よっしゃ」って、包丁研いで、
ガンガンガンってやってる時の幸せは‥‥。
矢野
ないない。微塵もない!
伊藤
でもそれが音楽に込められている。
矢野
そうなんです。
伊藤
私、最初に買ったレコードが矢野さんで、
それは印刷されたジャケットに、
プレスされたビニール盤だったわけで、
その向こうに生身の人がいるということを、
わかってはいても、
うまく処理ができなかった。
そう、初めて買ったシングルは『春咲小紅』で、
LPはYMOでした。
矢野
そっか、ありがとうございます。
伊藤
音楽もいろんな積み重ねというか、
足し算で曲ができるわけですよね。
料理なら鶏肉があってシャンツァイあって、
それを組み立てる。
でも音楽って、目に見えない音というものを
組み立てるわけですよね。
そこには共通性があるのか、
想像もつかないから、
どうやって曲ってできていくのか、
それがすごく不思議なんです。
矢野
そうですね、言われるとそうね。
ここにある料理ををつくるために、
材料を刻んで、タレを入れて、
みたいに考えるデータっていうのは、
音楽の場合、頭の中にあるわけです。
そこには音楽の素養をはじめとして、
いろんな部分がしっかり入っている。
今までたくさん、いろんな音楽を聴いてきた蓄えもあるし、
自分でつくりたい音のイメージもあります。
しかしそれを実現させるためには、
私の場合はピアノを弾くので、
ピアノでそれを具現化する技術がないとできない。
そのためにピアノの練習を小さい時からしてきて。
これは料理で言う包丁のようなものですかね。
だから、音楽をつくることっていうのは、
頭の中から出てきたものを
道具を使って表現してる、という意味では、
ちょっとこじつけて言うけれど、
料理との共通点があるわけです。
伊藤
楽器を弾くだけ、曲をつくるだけ、
歌を歌うだけの方もいらっしゃいますよね。
でも矢野さんは全部なさる。
もちろん他の方が作曲とか作詞とか
されてるのもあると思うんですけど、
一連で、全部できるっていうのは、すごいです。
矢野
たぶん、自分の場合は、
たまたま、そうなってるんだと思う。
それが全部一緒くたになって、
自分の表現になっているんです。
伊藤
最初から、そうだったんですか。
矢野
最初からそうだったわけじゃなくて、
小さい時にはピアノだけだったし。
歌っていうのは‥‥いまだに自分のことを
「歌手」とは思っていないくらいです。
歌でお金をもらっちゃいけないんじゃないの?
というぐらい、
ピアノに比べれば歌は付属品のような時代が、
ずっとあったんですね。
それがだんだん皆さんからいろんな評価をもらって、
あ、何か歌で表現するってことも
なかなかいいものだわ、
そこに自分の気持ちも入れられるんだ、
ってことが分かってくると、
歌もピアノも同等になってきて。
伊藤
なるほど。
矢野
今となってはそれが合体しているので、
どこを切ってもこんがらがってて分かりませんみたいな
表現方法になったんじゃないでしょうか。
でもばらしていけば、
ピアノだけで表現もできるし、それも好きだし、
歌手の人の伴奏をするのも大好きなんですね。
そういう喜びもあるんです。
でも、歌だけっていうのは、ないわけじゃないですね。
作曲だけ、というのもあるしね。

BGMのこと。ちょっと昔のこと。

未分類

伊藤
矢野さん、そう言えば、
お家にいらっしゃる時は
音楽をかけておられないんですね。
矢野
バックグラウンドミュージック? ないんです。
音楽がかかると、ちゃんと聴いちゃうから。
レストランとかでも、食事よりも、
流れている音楽が気になることがあるんです。
ちょうどね、この前、
ニューヨークタイムズに出ていて
知ったんですけど、
坂本龍一が、好きな日本料理屋さんで
かかってる音楽が残念だと言って、
彼が選曲をすることになったんですって。
私、すごく、それってある、と思うんです。
味が好きなのに、
かかってる音楽が苦手だ、みたいなこと。
伊藤
そのお店も、坂本さんがいらっしゃる、
みたいなことで、
BGMを考えたりはしなかったんですね。
矢野
音楽家がBGMを
そこまで聞いているんだっていうことを、
ふつうのかたは知らないでしょうね。
BGMってことになるとね、
私が今行ってるジムが好きなのは、
プールがあるからっていうのがいちばんなんだけど、
ロッカールームで、いつもジャズがかかってるの。
トレーニングルームはもうイケイケな曲が
かかっているんですけど、
ロッカールームだけはジャズ。
それがすごく好きなのね。
たまーに、スタッフが自分用に
チャンネルを変えて激しいのをかけたりすると、
すぐ抗議しちゃう。
一同
(笑)
矢野
やっぱりどんな音楽が
流れてくるかっていうのは、すごく重要。
伊藤
逆にどういうのが、ダメなんでしょう?
街の音、車の音とかは気になりますか?
矢野
いわゆる生活音は平気です。
音楽も、ダメな時は遮断するようにしていますし。
あるいは、あえて聴いて、
「ああそうか、低音はこの程度出せばいいんだな」
「このテンポならば、やっぱり人は
頑張ろうって気になるんだな」
と、制作者の立場で聞く。
そうすれば、そんなに損はないですね。
そうそう、こちらでは、歌ものなんかがかかると、
歌っちゃうのね、みんな。ジムなんかで。
伊藤
歌っちゃうんだ!
矢野
そう。おそらく、専門家は、
ジムでどういう音楽をかければ、
どのくらい運動に集中して頑張れるか、
考えることができると思うんですよね。
伊藤
その音楽家ならではの観点が、とても不思議です。
私は楽器も弾けないし、
歌も苦手だからかもしれませんが、
矢野さんを見ていると、
何かこうピアノと身体が
繋がってるように見えるんですよ。
ピアノが身体の一部、みたいな。
「風邪をひいてしまって」という日の
ライブでもすごいな、と感じましたもの。
矢野
とんでもないですよ。
──
矢野さんの1992年のドキュメンタリー
『ピアノが愛した女』を見て、
完璧に演奏をし、歌うことって、
矢野さんでも簡単なことじゃないんだって、
ちょっと思いました。
ピアノと歌だけのアルバムを録音するんですが、
そのフィルムでは、
ミスをするシーンをあえて写しているんです。
矢野さんは、完璧にできるまで、続ける。
「ピアノと身体が繋がってるように見える」、
その背景に、ああいう時間があるんだなって思いました。
矢野
あれは、やっぱりね、若かったんだなと思います。
当時は「できるまで、やること」が、できたんですね。
今は、できない‥‥というよりも、
できるまでやることに、あんまり価値を感じていない。
途中で「まあいいか、明日やろう!」みたいな。
1回休んでからやったほうがいいかも、って思うんです。
伊藤
「今」というのは、ここ数年ですか?
矢野
たぶんここ10年ぐらいかな。
伊藤
ありきたりになっちゃうんですけど、
それは、肩の力が抜けてきたってことですか。
矢野
そうだと思います。
それとね、疲れちゃうなあ、みたいな。
伊藤
ところで、矢野さんは
糸井さんと長いおつきあいですよね。
糸井さんって、昔はどういう感じだったんですか?
糸井さんも矢野さんと同じように、
肩の力が抜けてきたのかな? って、
ちょっと思ったんです。
矢野
「昔」って、どのくらい昔(笑)?
伊藤
どれぐらいなんだろう。
『春咲小紅』をいっしょにつくられたのは
80年代の頭ですよね、
矢野
そう、80年代前半はやっぱり彼も若かったし、
大きな仕事をいっぱいしていたし、
「俺が!」っていう前に出て行くところは、
あったかも。
伊藤
そうですよね、逆にそれがなかったら、
できないこともたくさんあったと思うんです。
矢野
ないわけ、ないですよね。
私が生意気だったのと同じように、
やっぱり彼だって生意気だったんだと思う。
でもお互いそれが嫌じゃなかった。
だから表面に現れた部分ではない部分で、
「こいつとはウマが合うな」
っていうのがあるんじゃないかな。
伊藤
お二人を見ていると、
何か、戦友感があるんですよね。
その時代のことはもちろん作品でしか
私は知らないですけど、
矢野さんのことは、糸井さん、
よく嬉しそうに語られてるんです。
「アッコちゃんはさ!」みたいにね。
矢野
でもさ、最近、
ブイコが来た時の写真が送られてきた時、
「これ‥‥ただの好々爺じゃん!」って思ったよ。
一同
(笑)
矢野
それを、イトイの娘にメールしたら、
「その通り!」って。
伊藤
メロメロ、ね。
矢野
これでほんとうにおじいちゃんになったら、
どうなることやら。
(註:この取材のときは、まだ糸井重里に
孫は生まれておりませんでした。)
伊藤
そうか、じゃ糸井さんは
初めて「おじいちゃん」の立場になるんだ。
矢野
そうよ。(ほおばりながら)美味しい。幸せ。
伊藤
良かったです。考えてみたら、
簡単なものばっかりでした。
矢野
こういうのがいいんですよ。

夜更かしなのに。

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伊藤
ニューヨークの、街の魅力って、
いちばんはどんなところですか?
矢野
うーん。
伊藤
私がにわかに来て思うのは、
ダウンジャケットの人もいるなかに、
ビーチサンダルの人もいたりする、
そんな自由なところなのかなって。

日本ってすっごく安定‥‥、というか、
「みんないっしょ」な感じが
あるように思うんですよ。
矢野
日本には「衣替え」があるくらいで、
季節に応じて着るものこうであるほうがいい、
みたいなところがありますよね。
みんなが「こうあるべき」というような。
伊藤
そうですよね。
矢野
こっちの場合は日によって人によって、
着るものひとつとっても、全然、自由なんです。
伊藤
きっと、体感温度も
ひとそれぞれで違いますものね。
矢野
そうそう、違いますよね。
そして、それこそモデルさんが、
かなりひどい格好してそのへんを歩いて
コーヒーを買いに来ていたりしても、
全然オッケーなんです。
伊藤
本人も、まわりのひとも、気にしない?
矢野
そう。でも東京にいると、
変な格好をしていたらいけないんじゃないかな、
なんて思いますよね。
伊藤
そうかもしれないです。
東京だと、人の目を気にしちゃう。
ニューヨークに移住した友人がいるんですが、
彼女を見ていると、日本にいるときよりも、
ちょっとずつ自由になっている気がします。
矢野
それは良かったですね。
わたしも、昔はね、
ニューヨークで着てるものそのままで東京に行き、
スタッフからすごい不評を買って!
伊藤
え、どうしてだろう。
ふだんからおしゃれになさっているのに。
矢野
たとえば身体の線が出るものが
アメリカは当たり前なんですよね。
女性の身体のカーブが美しいことを
強調してる服が多いので、
おっぱいの大きい人は、見せてなんぼ。
わたしもちょっと若い頃で、
そういう中に暮らしていたので、
それが普通だと思っていたんです。
ところが日本に行くと、「え?」って。
伊藤
「矢野さん、そんな格好で!」って?
矢野
「はしたない」みたいな。
だから、性を消す、という意味では、
たとえばコム デ ギャルソンのような服は、
日本だからこそ出てきた発想なのかも
しれないなって思います。
伊藤
女性的であることを
否定するぐらいのデザインで
世界に衝撃を与えた服ですものね。
矢野
そう。
伊藤
じゃあニューヨークの人は‥‥?
矢野
私のまわりでは、
やっぱり身体のラインを
強調する服の人が多いかな。
伊藤
(顔をじっと見て)
矢野さん‥‥美肌の秘訣、何ですか?
矢野
アハハハハ!
まさこさんもすごくきれいですよ。
伊藤
いや! 何かしてますか? 食べ物?
矢野
お話しできるようなことは、してないです。
乳液などはヘアメイクの人から、
メーカーが分けてくださる
サンプル品をもらって、‥‥それだけかな。
伊藤
夜更かしはされない、とか?
矢野
夜更かし、するする、メチャクチャする。
ほっとくと朝と夜が逆転しちゃう。
そうならないようにと思ってるんですけど。
伊藤
夜はお仕事を?
矢野
日本とアメリカで時差があるでしょう。
音楽業界って、始業が遅いので、
メールが来るのは、
こちらで夜中の10時過ぎからなんです。
それが下手すると1時、2時ぐらいまでかかっちゃう。
「ちょっと急ぎなんで」とか言われて
集中して作業をしていてフッと見ると、
「あ、3時!」ということも。
‥‥と、まあ、それを理由にしてるんですけど、
小っちゃい時から夜更かしだったんです。
伊藤
ふむふむ‥‥それでその美肌‥‥。
以前60代後半の漫画家の先生が
とてもきれいなお肌をなさっていたので、
「秘訣は」と訊いたら、
「洗わないの」って!
矢野
ええっー?!
伊藤
「締め切りの前はお風呂に入らず、
1週間ぐらい洗わないの」
‥‥ですって。びっくりするくらいおきれいでした。
矢野
ま、お風呂入らなくたって、
死にはしないよね!
(愛猫のタイタスに)
タイちゃん、ダメよそれ、
食べ物じゃないですよ。やめてね。
伊藤
矢野さん、猫に対しては、
ちょっと別人になるんですね。
矢野
(笑)どうぶつには、だいたいそうなるんですよね。
でも、孫たちにはもっとそっけないけどね、フフフ。
伊藤
‥‥えっ、孫?
矢野
一応、いるんですよ。
伊藤
そうか、そうですよね!
美雨さんが、おかあさんになったから。
‥‥てことは矢野さんが「おばあちゃん」?
どういう感じのおばあちゃんなんですか。
矢野
うーん? どういう感じなんだろう? ふふふ。
伊藤
(笑)私たち、こんなふうに適当におしゃべりしていたら、
このまま帰っちゃいそうです。
おききしたいこともいろいろあったのに、
矢野さんは、こちらに暮らして何年ですか?
矢野
郊外のほうに住んでいたのを含めて、
もうすぐ30年になりますね。
伊藤
30年!!!

住んでる街ごと。

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伊藤
矢野さん、おじゃまします。
きょうはお約束どおり、ごはんをつくりに来ました。
矢野
ようこそ、いらっしゃいませ。
遠路はるばるニューヨークまで!
キッチンは自由に使ってくださいね。
伊藤
はい、さっそく。よいしょ。
矢野
‥‥うわぁ!
こんなに、食材、
どこで買ってきてくださったんですか。
伊藤
調味料のいくつかは日本から持ってきました。
食材はユニオンスクエアのグリーンマーケットです。
野菜をたっぷりと、丸鶏。
きょうはアジア風の、
かんたんなものばかりなんです。
矢野
おおお、よだれが‥‥!
あそこ、野菜はもちろん、
お魚屋さんもいいんですよ。
伊藤
はい、美味しそうでした。
矢野
ほんとに、その日獲ってきたお魚なんです。
だいたいロングアイランドのものなんですよ。
でもね、先週買ったお魚が美味しかったから、
今週も、と思って行っても、
「獲れなかったよ」って言われることも。
伊藤
同じものが、なかったりするんですね。
矢野
そうなんです。うちのわりとすぐ近くにも、
土曜日にマーケットが出るんですけれど、
そこの魚屋の息子さんがつくっている
スモークドフィッシュ、
白身魚の燻製がすごく美味しいので、
「来週もお願い」って言ったら
「息子の機嫌が良かったらつくると思うよ!」って。
だいたいそういう感じなの。
伊藤
商売っ気がないんですね(笑)。
燻製はどうやって召し上がるんですか?
矢野
サラダにふりかけたりとか、
お客さまの時にはオードブルで。
すぐそばにマンハッタン・トランスファーっていう
コーラスグループの
ジャニスという友人が住んでるんですけど、
彼女はとてもお料理が好きで、グルメなんです。
お家にときどき呼んでくださるんだけれど、
彼女は世界中をツアーしているので、
「わあ、どっから仕入れてきたの?!」
みたいな料理が並ぶんですよ。
スモークドフィッシュは、
ちょっと変わったライ麦系の薄ーいパンに乗っけて、
それをプロシュートで巻くの。
伊藤
すごーく、美味しそうです!
矢野
これはもう
「さあ、ワインを飲め!」
と言ってるようなものですよね。
それでね、プロシュートって、
プロシュート自体が美味しくないといけないから、
彼女は新鮮でいいものを決まったお肉屋さんで
買ってくるんですって。
自分でも真似してやってみるんですけど、
何かが違う!
伊藤
私のつくるものは、
そんなに手の込んだものじゃないんですよ。
でもユニオンスクエアのグリーンマーケット、
ほんとうに素材がいいので安心です。
お買い物も、とっても楽しかったです。
矢野
あそこはね、朝行くと、
女優さんとか有名なモデルさんが、
ふつうにお買い物をしていたりするんです。
伊藤
ほんとうに?
矢野
ノーメイクでふらりと。
「あら? あの人は?」みたいな。
伊藤
そういうところもニューヨークらしいですね。
‥‥それにしてもきくらげ、
すごい量を戻しちゃった!
矢野
きくらげ、大好き。
伊藤
よかったです。
台湾でいつも、枕ぐらい買ってくるんです。
矢野
枕(笑)。
伊藤
すっごく体にいいんですって、きくらげって。
矢野
そうなの? へえー。
伊藤
‥‥こんなふうに台所を使わせていただいて、
ありがとうございます。あらためて
「ほんとに来ちゃった、ニューヨーク!
しかも、矢野さんのお家に!」
って思ってます。
最初、編集会議のとき、何か冗談っぽく、
矢野さんに会いたいな、
って話をしていたんですよ。
──
「じゃあ東京にいらっしゃった時に、
お願いしてみましょうか?」と言ったら、
「ううん、ニューヨークに行きましょう!」って。
伊藤
住んでる街ごとで、
矢野さんにお会いしたいなって思ったんです。
矢野
そうなのね。
‥‥と話している間に、
どんどん料理ができていく。
伊藤
これで混ぜればほんとうにお終い。
矢野
きくらげを、何と混ぜたの?
伊藤
ごま油と醤油と酢です。
シャンツァイの茎の部分と、
クコの実も入れました。
茎の部分っていうところが
ポイントなんですよ。
矢野
へえ、美味しそう。
伊藤
これは台湾で食べた味なんです。
それにしても大きなガス台。
日本で家庭用だと
ここまで強い火力のものはないんです。
矢野
これね、上に鉄板をかぶせて
ホットケーキとか焼けるらしいです。
私はほとんど使ったことがないけれど。
──
日本の家庭用のガス台は、
立ち消え安全装置がついていないと、
だめなんだそうです。
伊藤
年をとるとガスの火が見えなくなるんですって。
点いてないと思っちゃうみたいで。
矢野
私は見えるけど、よく忘れるの(笑)!
だからもうとにかく必ず、
調理中はタイマーを持って歩くんです。
伊藤
ちょっとつまみ食い、してみますか?
矢野
えー、いいの? ほんと? じゃあちょっと。
伊藤
どうですか?
矢野
美味しい、美味しい。
うん。コリコリ。
いろんな味がする。
──
細かく刻んだ生姜が効いていますね。
矢野
うんうん、これ入ってたほうがいいよね。
──
さっき、買い物の途中で生姜がみつからなくて、
あまりにもお腹がすいた伊藤さんが諦めかけて、
「生姜、なくてもいいかな」っておっしゃるから、
「いや伊藤さん、あったほうがいいですよ」って。
アジア料理なんだから。
伊藤
私もひどいですよね、
というのも、お腹が空きすぎると、
いろんなスイッチがオフになっちゃうんです。
五感もにぶくなるみたいで、
先日、ステーキハウスに行った時、
店中に肉の匂いが充満していたらしいんですけど、
あまりにオフになっていたので、気がつかなくて。
ところがビールをひとくち飲んだら、
急に全部の感覚がよみがえって、
「ああ、お肉の匂いがする!」って騒ぎ出し、
同席の友人があきれていました。
この匂い、ドアを開けたときからずっとしていたよって。
‥‥さあ、できました!
矢野
早い!
伊藤
野菜のお料理をたくさん食べていただいて、
お食事の後半になったら、
丸鶏のだしで、にゅうめんもつくりますね。
矢野
すごーい。
伊藤
シャンツァイは、搾菜とゴマ油で
混ぜただけなんですよ。
矢野
あ、大きいゴミはここにどうぞ。
伊藤
はい、ありがとうございます。
ニューヨークのゴミ事情ってどうなんですか。
国や都市によっては、
瓶とバナナの皮を一緒に捨ててもいい、
というくらいのところもあるようですが。
矢野
ニューヨークは、もうちょっと分別するかな。
でも、瓶と紙は別で、あとは全部一緒。
それに比べたら、日本はこまかいほうですよね。
私、日本のスターバックスに行って、
プラスチックの蓋と紙カップを分け、
飲み残しはこちらへ、というような仕組みを目の前に、
もう、どうしていいか分からなくて!
中に飲み物が残っていても、
全部一緒だもの、こっちって。

わたしが ふだん つかうもの [14] ラッピングには紐を

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季節のくだものを使った
ジャムやシロップ作りは、
私の通年行事。
くだものは、
そのまま食べてもおいしいけれど、
手を加えたのもまた格別ですから。

できあがった瓶詰めは、
友人知人へお裾分け。

そのまま渡すのも味気ないから、
茶色や白の素朴な紙で包んで、
紐でキュッとしばります。

リボンではなく紐をえらぶのは、
素朴で、紙の質感にも合っていて‥‥と
理由はいろいろあるのですが、
なにより一番の理由は、
中身よりも目立たないところ。
ラッピングは、さりげなさが命と思っています。

外国へ行くと、
スーパーや文房具屋をのぞいて紐探しをします。
品揃えのいい店より、
どちらかというと回転のあまりよくない、
ひなびたかんじの店に、
掘り出しものがあることが多い。
要は売れ残りというわけですが、
私にとっては宝みたいなもの。
この宝探しはなかなかたのしくて、くせになります。

いつか、昔見た外国の雑誌の家のように、
キッチンの一角にラッピング用の作業台を作りたい。
その時は、この紐をずらりと並べて‥‥
と妄想は広がるけれど、
そうしょっちゅう瓶詰めを作るわけでもなし。
きっと妄想だけで終わるんだろうな。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [13] くつ下

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もこもことしたウールの靴下はリトアニアのもの。
手編みなので、サイズが少しずつ違うらしいのですが、
そんなところもいいな、と思います。
だって、なにもかもすべてが
同じでなくたっていいじゃない?
そう思うから。

ルームシューズが見つかるまで、
その代わりに‥‥と思って買ったこの靴下。
あったかいし、ぬいぐるみみたいで愛着が湧いてきた。
どうやら今年の冬は
この靴下だけで過ごすことになりそうです。

ひとつ難点は、
すべりやすいこと。
でも冬休みの間に、
裏に革を縫いつけようかと思っているので、
それも解消されるでしょう。

「こんなものがあったらいいな」
と頭の中で思った通りのものが、
じっさいあればいいけれど、
工夫を重ねて気に入りに近づけていく作業もなかなか。
自分だけのものになった気がするし、
「ああでもない、こうでもない」と考える時間は、
自分にとってとても有意義だから。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [12] 石ころ

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海辺や河原に行くと、
「いい石、落ちてないかな?」
とついキョロキョロ。
景色よりも足元に目がいきます。

まあるいの、細長いの、小さいの。
色も柄もいろいろで、
ずっと見ていても、飽きることがありません。

気に入りは、
すべっとした丸いもの。
荒波やはげしい流れに
もまれたでしょうに、
そんなこと全然感じさせないところがいい。
いつか、こんなおばあちゃんになりたいものです。
「昔はいろいろあったけどさ、
今じゃ丸くなったわよ」
なんてすべっとした肌で言ったりして。

拾ってきた石は、
じゃぶじゃぶ洗って乾かして、
器に入れておきます。

時々、ペーパーウェイトになったり、
箸置きになったり。
大きなものは漬物石にすることも。

道具として作られたわけではないけれど、
立派に道具の役割を果たしてくれる石。
見るたび、使うたびに、
ああ、いいなぁと思うのです。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [11] 部屋のあちこちにスツールを

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「この家、スツールがたくさんあるね」
友人のそんな一言がきっかけで、
どれどれ・・・と並べてみたら全部で6脚ありました。

リビングのすみっこに2脚、
廊下に1脚、
バスルームに1脚、
玄関に1脚、
娘の部屋のベッドサイドに1脚。

「座る」という本来の目的よりも、
どちらかというとサイドテーブル代わり。
ライトや本、トレーにのったお茶など、
ちょっと何か置くのにちょうどいいんです。

20年以上前に買ったもの、
ヘルシンキで一目惚れしたトナカイの革の座面のもの、
新入りは冬のはじまりに買った座面がモフモフのもの。
ひとつふたつと揃えていくうちに、
こんなにたくさんとなったわけですが、
こうして並べてみると、
それぞれ愛嬌があって、なんだかかわいい。

昨日まで、リビングにあったスツールが
今日からバスルームに。
バスルームにあったスツールが
今はベランダに。
そんなことがしょっちゅうの我が家。

スツールをちょっと移動させて、
部屋の小さな模様替え。
気分転換になるから、
好きなんです。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [10] 空き缶には何を入れる?

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この世の中には、
かわいい缶に入った食べものがたくさんあるから困りもの。
だって、どんどん空き缶がたまっていってしまうから。

それでもせっかくだからと、
それぞれの空き缶に用途を与えるのが私の使命。

クッキーの缶には小銭や新札入れを。
キャンディーの缶にはミシンの下糸をいくつか。
おかきが入っていた渋めの缶にはポチ袋を。
缶と中に入れるものがぴったりだと、
すごくうれしい。
「空き缶」から
「用途のあるもの」になるのだから。

先日、フランス土産にいただいた
プルーンのお菓子の缶に入れたのは、
シルバー磨きの布と専用の磨き剤。
今までカトラリーの引き出しに、
ポンと入れていただけなのですが、
大きさも深さもちょうどぴったり。
缶も役どころを得てうれしそうではありませんか。

ところで先日、実家の屋根裏部屋で
探しものをしていた時に見つけたのは、
鯛せんべいの缶。
年季の入ったその缶の中には、
若かりし頃の父の写真がおさまっていました。
どうしてアルバムじゃなくて缶なの?と母に尋ねたら
「さあ、缶が気に入ったんじゃないの?」という返事。
血は争えないものですねぇ。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [9] しましまパジャマ

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もう何年、いや何十年(?)も、
上下お揃いの、
いわゆる「パジャマ」を着ていませんでした。

では何を着て寝ているかというと、
夏はシルクのスリップ、
冬は部屋着にもなるワンピース。
ワンピースはコットンやリネンなど、
気持ちのいい素材が基本で、
形は、ピーンポーンと突然、配達の人が来ても、
まあまあ変ではない範囲の、
ネグリジェっぽくないものを。

ところが、どういう風の吹きまわしか、
このサンスペルのパジャマを見た時、
着てみたい!
何かがピーンときたのです。

男物をそのまま小さくしたような形は、
ありそうでないし、
お父さんのパンツみたいなしましま柄も、
なかなかいいじゃないですか。

昔から
「なんでも形から入るタイプ」と
言われ続けている私ですが、
形から入るのも悪くないもの。
だって、不思議なことに、
これを着ると
「さあ寝るぞ」とか、
「さあ起きよう」なんて気分になる。
気持ちや時間の区切り方が、
潔くなったとでもいえばいいのかな。

しましまパジャマの効力はすごいんです。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [8] 先っぽにコルク

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旅には、ペティナイフと
ワインオープナーを持って行きます。
ホテルで借りれば、それでいい話ではありますが、
貸してくれるナイフは
100パーセントに近い確率で切れ味が悪いし、
借りに行くのも面倒だし。

ペティナイフの先っぽには、
ワインのコルクを刺します。
これはこのナイフを買った
パリの料理道具専門店のアイデア。
包む前に定員さんが手慣れた手つきで刺して、
刃先を保護してくれたのです。

さすがフランス人、
なんて洒落た廃物利用なのだろう!
といたく感激したのですが、
今ではすっかり私もアイディアを拝借しているというわけ。

旅に出る前は、よくよくナイフを研いでコルクを刺し、
ワインオープナーと一緒に、
小さなテーブルクロスでぐるぐる巻きに。

部屋に着いたら、テーブルにそのクロスを広げ、
ワインとチーズで、
ちょっと休憩。
旅先の慣れない部屋に、
自分のものがあるとほっとするもの。
この3つの道具、
スーツケースにしのばせてはどうでしょう?

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [7] 夜の暗さをたのしむ

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照明は「暗い室内を明るくする」という役割だけれど、
一日中、目に触れるものだから、
使わない時も(つまり日中も)、
気に入ったデザインのものにしたい。

リビングにはダウンライトの他に、
メインの照明をつける部分がありましたが、
薄暗いのが好きな私には不要と思い、
そこを取り払い、
パテで埋めてペンキを塗り、
フラットな天井にしました。

その代わり壁につけたのが、
白いふたつのライトです。

光の具合は、
ひかえめでおだやか。
明るいのが好きという人には向かないけれど、
夜は私にとって、
眠りに向かう時間だから、
このくらいがちょうどいい。
ひとつ、またひとつと照明を消していくうちに、
まぶたがだんだんと重くなって、
やがてすやすやと眠りにつくのです。

眠る2時間くらい前、
たまにはテレビやパソコン、携帯電話を見ずに、
過ごしてみませんか。
夜の暗さをたのしむのも、
たまにはいいものです。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [6] 好きな色の中に住む

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この秋、引越しをしました。
新しい家は、前の前の住民の残した「跡」みたいなものが
色濃く感じられるインテリア。
天井と壁は濃いめのクリーム色で、
照明や取っ手はすべてピカピカの金。
どうにも居心地が悪いのです。

照明など、取外せるところは取り外したものの、
それでもやっぱり落ち着かない。
1ヶ月を過ぎたあたりで、
「やっぱり好きな色の中で暮らそう」
そう決意しました。

まず天井は白に。
ダイニングの壁はすべて深いブルーに。
リビングの壁は白、
腰板は薄いブルーグレーに塗り替えました。

色がもたらす効果というのはすごいもので、
「自分の好きな色にする」というそれだけのことで、
ずいぶん気持ちがすっきり。
そこに今まで持っていた家具を配置して、
やっと「自分の家」になった気がしたのでした。

使ったのは、
イギリス製のFARROW & BALLというペンキ。
同じ白にしても、まっ白もあれば、
ちょっとグレーがかった白や、
あたたかみのある白もある。
自分の気持ちにぴったりな色がそろっていて、
そこが何よりこのペンキの好きなところ。

ちょっと部屋に変化をつけたかったら、
色を変えてみるといい。
壁とはいかないまでも、
椅子とか棚とか。
好きな色が身近にあるという、
ただそれだけのことで、
うれしくなったりするものだから。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [5] 針には糸を

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前の日の夜から、
「よし明日はあの服を着るぞ」と決めていたのに、
朝になって、
裾がほつれていたり、
ボタンがとれていることに、
気づくことはありませんか?

「ああ、どうしてこんな時にかぎって!」
と嘆きたくなりますが、
そんな時は、ささっと裁縫箱を出して
対処することにしています。

億劫にならないために、私がしていることは
生成りとネイビー、
よく着る2色の糸を針に通しておくこと。
これなら、後回しにせずに、
今やろう、という気持ちになるものです。

裁縫道具は、小さなシェーカーボックスに入れて、
リビングのすぐ手が届くところにおいています。
「しまいこまない」というのも、
すぐやる気になる工夫のひとつですが、
だからといって、
なんでもかんでも出しておくというのも、
雑然とした部屋になるからこまりもの。
その塩梅がなかなか難しいのですけれど。

(伊藤まさこ)

わたしが ふだん つかうもの [4] 本を飾る

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壁がちょっと殺風景。
でも気分に合う絵がない。

そんな時、私は装丁が気に入っている本を飾ります。

今日はストックホルムの本屋で手に入れた本を。
そして、それだけでは少し物足りなかったので、
大きなきのこの本を後ろに置きました。

きのこの本は、つるつるした表紙を取り去り、
布張りの部分を見せます。
本の前には、追熟中の洋梨、古い鍋にボウルなど、
好きなものを自由に配置。
そう、何もアートを飾らずとも、
雰囲気ある空間は作れるのです。

重さ2キロはある、きのこの本は、
あのファーブルが描いたもの。
時々、好きなページを開いて
サイドテーブルの上に置きます。
写実的だけれど、ちょっとほのぼのした雰囲気が、
きのこ好きの心をくすぐります。

(伊藤まさこ)

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