
- ・「七たび探して人を疑え」ということばを、ぼくが、いつどういうふうに憶えたのかは、忘れました。ただ、小さいころから、何度か、七たび探すこともせずに、かんたんに人を疑ったことが、あったことは正直に言っておきます。当然そうにちがいないと疑ったことが、ぜんぜん見当ちがいだったとき、どれほど恥ずかしいことをしたのだろうと、後悔します。
- 疑われた人が、それを許してくれたとしても、疑った側の恥ずかしさは、消えるものではありません。こころから恥ずかしく思って当然だと思います。そんな恥ずかしいことは、しないほうがいいんです。でも、人間ってやつは、ついやってしまうから、「七たび探して人を疑え」と、九九のように憶えておくという先人の知恵があります。
「七たび探して人を疑え」小学生が九九を憶えるように、
- いつでも遅くはないから、憶えておくといいです。いまいちばん必要なのは、これかもしれないと思います。
・あ、そうか。「人を見たら泥棒と思え」が蔓延しすぎていて、「七たび探して人を疑え」の入り込む余地がないのか。しかしさぁ、「人を見たら泥棒と思え」が正しい考えだとしたら、その考えは、他の人にも薦めたいわけでしょう。薦められた相手は、
- 薦めたあなたのことも、泥棒と思って見てくれるということになりますね。
・「沈黙は金」ということばの意味を、若いころのぼくは、ずっとわからないままでした。「沈黙」のことを「無」だと思っていましたからね。人のことばのないところが「無」なんだとしたら、山も海も、花も嵐も、みんな「無」ですよね。「沈黙」は、時には、どんなことばよりも大きなよろこびを表わすし、
- どんなことばより激しい怒りや軽蔑をも表現します。沈黙は最大にして最後の、弱いものにも使える武器です。こどもでも、犬でも猫でもね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。昨日は関係者ぜんぶ集まって手帳の大ミーティングでした。