10月20日の「今日のダーリン」

・よく、原稿が書けないときのことを、人びとは語る。
 書けなくて逃げ出したくなるということについて、
 (ツイッターなんかを使って)読んでいるものに、
 「なんだか、書けないっておもしろいじゃないか」
 と思わせるくらいの表現で、それを伝えたりしている。
 そんなところで恐怖の私小説を書いているくらいなら、
 望まれている本番のほうに手を付けろよ、と思うけれど、
 そっちの「本番」というやつが書けないから、
 余計なことで時間をつぶしているというわけだ。
 
 ぼくは物書きという立場にないので、
 書けない書けないと言うほど、書く仕事をしていない。
 でも、書くにかぎらず、なにか「突破するアイディア」を
 要求されるような局面は、よくある。
 そのまんまじゃダメだ、と、じぶんでも思っていて、
 かといって、それをひっくり返したりずらしたりしても、
 行き詰まり感がぬぐい去れないというような場合、
 「突破させるよ!」と、ぼくは胸を叩いたりしてみる。

 どうすれば、視点を変えられるのか、
 どこから手をつけていったらなにかが見えてくるのか、
 いつになったら天から光に包まれた女神が降臨するのか。
 皆目わからないくせに、「おれ、考えてくるよ」とね、
 弁当でもつくってくるよと同じくらいの口調で、
 言ってしまったのは、もちろんじぶん自身だ。
 そして、さらに、おれの上司であるおれは、
 「ああ、そうしてくれ。必ず突破するんだぞ」と、
 へっちゃらで言ってくれるのだ。鬼か。

 アイディアが出ないというのは、
 原稿が書けない以上に切実につらいものである。
 書くことができないのも困ることは多いけれど、
 「アイディアで突破する」ことが不首尾に終わると、
 より切実に食っていけないような気がするのだ。
 じっと固まったまま考え続ける、歩きながら考える、
 いっそいったん寝る、風呂に入ってばくぜんとする、
 そんなことを、ミックスしてやりながら、やがて
 「あ、わかったよ」という瞬間がきたときの歓び!
 いやその、昨日は早朝にそれがきたせいで、
 いま寝不足であるため、今夜はまだ来てもらえてない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
親父ばかりの会議に芦田愛菜が入ってくるのがアイディア。