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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-10

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・先日、「道」というのはすごいなぁということを書いた。
 「道」があるところでは、人生の達人でも、平凡な男でも、
 やっと歩けるようになった子どもでも、だれでもが、
 ある場所までたどり着けるし、戻ってこられる。
 「道」って、ものすごいぞ、と。
 だから大昔から、人は道をつくろうとしてがんばってきた。
 という当たり前のようなことを、
 いまさらのように感心して書いたのだった。

・いまさらではなく、前々から感心していた「わが発見」
 というものも実は隠し持っている。
 ただ、それを発表しても「ばか」かと思われそうなので、
 脳の押し入れの奥に仕舞ってあったのであるが…。
 もったいぶらずに、もう言ってしまおう。
 「性」のことが、ぼくにはわかってしまったのである。
 「性って、あの、性?」とか男子中学生のように訊くな。
 男性、女性、性教育、性行為、などなどばかりでなく、
 磁性、弾力性、慢性、居住性、惰性などもあるではないか。
 辞書には「うまれつき」「性質」などと記されているが、
 じゃ、性教育は「うまれつき教育」なのか、
 「男うまれつき(男性質)」とかわけがわからない。
 しかし、わしは「性」の根本的な意味がわかったのじゃ。
 「性」とは「ちがい」という意味なのである。
 他のなにやらとそれの「ちがい」、というのが「性」だ。
 たとえば「性的」アピールというのは、
 「ちがい」を訴えかける、というようなことであり、
 「ちがい」を強調し確かめ合うような行為は性行為である。
 慢性は、慢(だらだらしてる)という「ちがい」があるし、
 「弾力性」は、弾力の「ちがい」があることを表している。
 「性」とは「ちがい」である。
 ぼく自身としては、大発見のつもりだったのだけれど、
 こうやって書いてみても、あんまりウケない気もするなぁ。

 最近は「主義」ということばを簡単にしてやった。
 「主義」とは、「なにより重要とする」という意味だ。
 資本主義とは、資本を「なにより重要とする」ことだ。
 いまは資本主義社会であるとされているけれど、
 資本を「なにより重要と」してない人も、
 この社会に暮らしているが、それはそれでよろしいのだ。
 楽観主義、社会主義、ロマン主義、減点主義…etc。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにかを「なにより重要と」してない人が、ほとんどです。


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