糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

今日のダーリン

・いろんな場所に旅をするたびに、どこにも必ず人が住んで暮らしていることに感心する。どういう道のりで、ここで生きることになったのだろう、と、無責任に想像したりもする。しかし、想像なんてものはぜんぜん事実に追いつかない。おそらく、ひとりひとりに訊ねたとしても、「親の代から、ここに住んでいたから」というような答えが返ってくることが多いのだろうとは思う。その親の親の親の…と遡っていったら、「こういう理由で、ここにいる」ということがわかるのかもしれないが、はたしてわかるのかなぁ。

むろん、じぶんのことにしたって、どこかで生まれて、ああしてこうして、いまここに暮らしているわけだし、よく調べたら、みんなわかりそうなものだけれど、どうも、そう簡単なものじゃない気がする。

それでも、そこに暮らしている理由の大もとは、おそらく「生きる手段」と関係あるのだろうと思う。そこから仕事のある場所に通う、であるとか、ここでこういう仕事をするだとか、そういうことだ。どれだけ大昔の人だって、水のないところ、食料のあてのないところに住み着くことはないだろう。それはそれとして、それにしても、やっぱり、どうして、人はこんなに散り散りに住んでいるんだろう。いまの時代のことばかりじゃなく、昔も、大昔もね。もうちょっとまとまって住むようにすれば、もっと都合のいいことが多かったと思うんだけどなぁ。そんなの、もうとっくに人類史とかの専門家が、答えを見つけているのかもしれないけれど、ぼくにはずっと不思議なことのままだ。

まぁ、日本のことくらいは、思えばなんのこともない。それよりなにより、アフリカで生まれた人類が、ヨーロッパ、アジアを通って、どんどん進んでって、アラスカ、アメリカ大陸をさらに進んで、南米の最南端まで移動しちゃっているという事実が、いまだに「ほんとかよ」という感じなんだよね。 人間は「とにかく移動する動物」なのかなぁ。日本のぼくらは先祖が「もういっか」と止まったのかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。アフリカからチリの南端まで、なんで行ったんだろうねぇ。

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