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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-05-11

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・コロナ禍で、よろしくないこともたくさんあった。
 この先も、あれもこれもとよくないことを思い出すだろう。
 そっちは、いいや、どうせみんなも思っていそうだから。

 それで、コロナ禍を経験して、よかったこともある。
 たとえば、「リモート」という仕事のやり方が、
 公然と薦められて、なんなら義務にさえなって、
 「はたらき方についての実験ができた」ことがある。
 「リモート」に向いている仕事もあるし、
 「リモート」ではうまくいかない仕事もある。
 仕事と名のつかないチームのあり方にしても、
 「リモート」じゃないほうがいいこともあった。
 それでも、「リモート」というはたらき方がある、
 という選択肢がはっきりと加わったおかげで、
 いろんな可能性を探れるなとわかった。
 こういうこと、もしコロナ禍でなかったら、
 実験するにもけっこう大変なことだったろう。
 しかも、一社や二社で試すのではなく、
 世界中で、大会社も中小零細企業も含めて、
 いろんな業種の会社が試すことができたのは、
 ひとつの奇跡だったと思う。

・「リモートができるなら」と問題を立てると、
 ずいぶん考え方が変わってくる。
 たとえば、新幹線やら飛行機やらを使って、
 往復で何時間もかかるような場所に行ったとする。
 たとえばいつもは東京で仕事をしている人が、
 これを日帰りでやろうとすると、
 行って帰って来るだけで、他のことはほとんどできない。
 だが、行った先に、簡単に泊まれる場所さえあれば、
 その地で3日間くらい過ごして(そこでリモート繋いで)、
 そのあとにゆっくりと帰ってくればいいわけだ。
 疲れもないし、新鮮な環境で何日間か仕事もできる。
 こういうことのための場(先日語った「庵」的なもの)が、
 あちこちにあったら、さまざまな地方に、
 新しい血液が流れることにもなるだろう。

 新幹線やらリニアやらの速度をどれだけか上げるよりも、
 行った先、行った先に滞在してリモートではたらくほうが、
 いろんな旧くて新しい豊かさが見つかるように思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
その考えからすると、すっごく不便な場所もいい場所になる。


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