ほぼ日WEB新書シリーズ
糸井重里がブータンに行く直前、
解剖学者の養老孟司さんに
お会いすることになりました。
ブータンに何度か行かれ、
とても詳しい養老さんに
いろいろ教えていただこう、
という趣旨だったのですが、
脱線していった話のおもしろいこと!
昆虫、国語、左脳と右脳、そこに生まれる穴、
系統樹、分類学、コンピュータ、人間関係‥‥。
そして、出てきたキーワードは「アミノミズム」。
第6回
アメリカ文化を壊すもの。
糸井 アミノミズムってだいたい
日本語の凄さですよね。
養老 うん。
糸井 誰の影響も受けずに
普遍的な名前をつけてしまう。
養老さんも使っていいですから!
養老 はははは。
糸井 系統樹ではなく網の目だ、
こういう考え方が
養老さんの著作の中に出ているんですか。
養老 ない。
糸井 まだそのことは書いてないんですか。
養老 書いてないです。
だっていつも、ぼくは
自分の仕事の範囲の中に
きちんと収まってこないと
言わないんですよ。
糸井 そっか。
養老 網の目っていうのも、
昔からそう思ってるんだけど、
うまく収まらなかったんですよね。
それがだんだんねぇ、
確信が出てきたっていうか。
糸井 年取れば取るほど、
一番深いところで、
バーンって言えるように
なっていくっていうのも、
アミノミズムの影響ですかね。
養老 (笑)それは‥‥どうかな?
糸井 細分化していくじゃないですか、
若いときの研究って。
でも年を取ると‥‥
養老 当然ですよ、それは。
細かいところは全部落っこって、
ボケる寸前みたいになるんだ(笑)。
そうすると逆に
ジャマなものがなくなる
っていうのはあります。
糸井 思いっきり言えるようになる。
で、その頃になると、
今度自分で書いたり、
論証したりする体力が減るんで、
結局弟子が書くんですよね。
養老 うん。
糸井 その構造もじゃあ、
一種のアミノミズムですね。
弟子をあてにして、
考えってものが進化していくっていう。
養老さん、誰か書くんですかねぇ。
いまみたいな話は。
養老 じゃないですか。ぼくはなんとなく
はじめっからそう思ってるんです。
糸井 ああー‥‥!
養老 だから、直接の弟子がいないんですよ、大学でも。
糸井 どっかにばら撒かれたものが。
養老 そうそうそう、どっかにいるだろう、っていう。
糸井 いま、ぼくはちょっと憶えました。
養老 それはでも本質的な網の目ですよね。
「どっかにいる」だろうという。
糸井 そうですね。
誰かが、そういえば、
これとこれと同じ話だな、
って気づいたら、
そこでガッと発展するわけだ。
養老 それをさ、昔風の系統樹で考えたら
誰々さんのお弟子、
そのまたお弟子って、
こうなっていくでしょ。
糸井 無理だ。
系統樹がなぜいけないかっていうことで、
邪魔な要素は、我(われ)なんですよね。
我のためには、系統樹はものすごくいいんだけど、
無名になると、系統樹、いらなくなるんですよね。
養老 そう。
糸井 だから、論文が
名前のある論文として出される限りは
系統樹の文化になっちゃうんだよなぁ。
はぁー‥‥。
養老 それで、ネットなんですよ。
糸井 そうですね!
養老 糸井さんもそうだ。
糸井 ネットをビリビリするのは、
さっき言ったような速度のほうに
どんどん行っちゃったんで、
現実がネットの速度で動くって、
誤解しはじめちゃったんですよ。
で、こうすればいいのに、
ああすればいいのにっていうのが、
全部空回りになっちゃった。
で、しょうがないんで、
コンクリート固まらないうちには
杭打てねぇじゃねぇかみたいな話を、
ぼくらは意識的にやらなきゃならなくて、
そこで、アート&サイエンスみたいな概念が、
たぶん、必要になるんだろうな。
アート&サイエンスっていうのは、
スタイリストが考えたスローガンです。
養老 アート&サイエンス。
糸井 はい。
その直前まで思ってたのが、
グーグルの検索の仕組みに、
タブっていう概念があって
いろんな要素がタブとして出ていて、
タブとタブが、ダジャレのようにくっつく、
っていうことで、ネットワークができる。
ネットワークの組み換えがタブごとに
うわーん、うわーんと変わっていく。
これの時代なのかなぁっていうのを、
うすうす思ってたんですね。
だから、ネットワークの
接着する面積みたいなところに
タブっていうものがあるのかなぁ
とは思ってたんですが、
いまのネットワーク論が後ろにないと、
タブだけでは、考えようがないですね。
分類学っていうのは、
ダメだったんですか。
養老 典型的な系統樹になっていたんですよ。
糸井 つながりようがなかったんですね。
養老 でも、現物見てると、どんどん壊れるから
おもしろいんですよ。
つまり、分類っていうのは、
きちんと作れば作るほど、
すぐ壊れるんです。
中間のやつとか、
どっちでもないやつっていうのが出てきて。
糸井 粘菌とか、そうですよね。
養老 変な生き物が出てきちゃって、困る困る(笑)。
たとえば「これは葉虫って書いてあるけど、
よく調べていくと、
カミキリムシと違いがないじゃないか」
なんていうのが必ず出て来るんですよ。
一方に、これはゾウムシじゃあないのか?
というのがあって、つながっていくことがある。
糸井 だからあれですね、
オタク的な論争とかで、
定義についてものすごくしつこく
しゃべってるのは、
そこのところで、
揺るぎたくないんですね。
養老 網の目をいくら細かく定義しようとしても、
意味がない。
全部つながってるんだから。
ずーっと動いていて、固定していないのだから。
糸井 OKですよね。
ぼく、自分が直感的にやってきた
いい加減なことが、
ネットワーク、アミノミズムということばで、
全部つながったんですよ。
──ズルなんですよ、俺はけっこう。
現実を生きるために生きてきたから、
分類学とかに負けないで来たから。
新潮社さん 養老先生とお話していると、
だんだん最近になって、
網の目の話題がよく出てきます。
だんだん思考が
固まっていらっしゃる部分があって、
それがだんだん出てきているんですかね。
糸井 相手のうなずきが
またつくっていったりしますもんね。
あ、こんなに通じるんだ、みたいな。
養老 やっぱり、世の中全体が
変わってきたっていうこともあるし、
自分の中ではずっとあったことが
固まってきたということなのかもしれません。
糸井 ちっちゃい頃から思ってたことなんですよね。
きっとね。
養老 そうそう。
つながってるに決まってるじゃないかと。
それを一番無視してきた文化が、
たぶん、アメリカ文化なんですよね。
糸井 なるほどね。
養老 だから、それが逆に
コンピューターを作って
ああやってつないでしまおうとするのが
またおもしろいですよね。
糸井 そうですね。
養老 大きく落っこってないと、
大きくは何かを作れないんですよね。
仕事というのはその
「穴」を埋めることだと思うんです。
日本人みたいに器用だと、
まぁ、適当に、
穴埋めできるようなもの作っちゃうから。
糸井 ゆるゆるとロケット作っちゃう、
みたいなところなんですね。
そうかぁ。
アメリカは、コンピューターがつながったときに、
助かったような気がしたんでしょうね。
で、それにまた復讐もされる‥‥。
養老 そう。
糸井 じゃあアメリカ文化を壊すのは、また
コンピューターかもしれないですね。
養老 非常にプリミティブなつなぎ方をしていますからね。
これからどうするんですかね、
共同体を作り直すって言ってもね。
糸井 最近、企業なんかが、ソーシャルワークの中で、
そこで宣伝活動しようっていうふうに
どんどんビジネスになってるんだけど、
その中にある程度ネガティブ要素が紛れ込む、
ってことを前提とした組み方をしはじめた。
そこを許容しちゃうともう、
いままで宣伝したかった企業じゃないんですよね。
養老 うん。
糸井 つまり、ほんとに社会と溶け込んじゃうんですよ。
そうすると宣伝の意味、もう、ないのに、
それでも宣伝なんですよ。
それがねぇ、ものすごく、
行き詰まりの先なんですよ。
企業はそこに金を払ってる。
でも、払ってるその金は
消費者から吸い上げてるから
結局循環してるだけなんですよね。
養老 経済の根本じゃないですか。
糸井 そういうことなんですよね。
で、誰がイニシアチブ持って配るか、
っていうだけなんですよね。
要するに「俺が決めた」って、
それが言いたいだけなんです。
完全にそこにきましたね。
(つづきます)
2014-08-20-WED
(対談収録日/2011年6月)


第1回
他の人になれないから。
第2回
英語と日本語、どうだっていい。
第3回
「それは管轄外です」
第4回
人間が悩むということは。
第5回
系統樹から網の目へ。
第6回
アメリカ文化を壊すもの。
第7回
弱点が関係をつくる。