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冬の足元

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冬の足元、さあどうしよう。
そろそろそんなことを考える季節ではないでしょうか?

あたたかくて、歩きやすくて、
見た目ももちろんかわいくて。
weeksdaysでは夏につづき、
冬に履きたい靴をtrippenと考えました。

ひとつは“The trippen”とも呼びたくなる
「HALF-YEN」。
内側はもこもこ、
かかとがない分、厚手の靴下やタイツと合わせても
きゅうくつさを感じさせない。
何より、ちょっと動物っぽいころんと丸い形がいい感じ。

もうひとつは、
すでに私自身、2足持っていて
冬には欠かせなくなっているブーツ「SWIFT」。
今季は欲張って、
weeksdaysのオリジナルカラー2色を作りました。

履くほどに自由になる。
気持ちも足取りも軽くなる。
trippenの秋冬の靴。
どうぞおたのしみに。

みんなの「かご」の使い方。2 草場妙子さん編

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ヘアメイクの草場さんの仕事を間近で見ていると、
感心することがたくさんあるのですが、
その中でも毎回すごいなぁと思うのが
メイク道具の管理です。

使い終わったものは、
入っていたパッケージに戻し、
さらにそれをきちんきちんと仕分ける。
荷物はけして少なくはないと思うのですが、
どこに何が入っているかはすべて把握していて、
「さっき使っていたあのリップだけど‥‥」
などと質問すると、
「ああ、これですね」
なんてパパッと取り出して説明してくれる。

あらゆるシーンを限られた時間の中で
撮らねばならない撮影の現場で、
臨機応変に対応してくれる草場さん。
それはきっと、きちんと道具の管理、
そして頭の中の整頓が
できているからなのだと思っています。

「仕事に持って行く荷物は、
リモワのスーツケースとメイクボックス、それからかご。
この3つが基本です」
と草場さん。
weeksdaysのかごの中には、
いくつかのポーチに仕分けたメイク道具を入れているそう。
「間口が広いので何が入っているか
すぐに分かるところもいいですし、
布製のバッグと違って
床置きしても気にならないところも助かっています」

小さなサイズは、
ロケバスの中など、限られた空間で
メイクをする時にも重宝するとか。

かごなんだけど、
ちょっと引き出しみたいな感覚で使えますよね?
と言うと、
「あ! そうです、そんな感じ!」
そんな返事が返ってきました。

お買い物にもかごは活躍。
この日はセレクトショップに、
オーダーしていたシルクのローブを受け取りに。

1泊2日の家族旅行では、
大小ふたつのかごに、
必要なものをぼんぼん入れて車で出発。
「天気や気温が予測できない旅先では、
着替えなどをちょっと多めに持って行きます」

大きな方には、
重くはないけれどかさばる着替えを、
小さな方には、小学生のおじょうさんと公園で遊ぶための
ボールなどが入っているそう。

黒やネイビーなど、シックな色合いの服が多い草場さん。
家の中もどうやら同じトーンのよう。
シルバーと白のこのかごが、
家の中でどんな風に使われるのか、
またいつかお話をうかがってみたいなぁ。

みんなの「かご」の使い方。 植松良枝さん編

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家のあちらにも、こちらにも、
かごがたくさん。
「かご大臣」の異名を持つ、
料理家の植松良枝さん。
昨夏は一緒に北欧を旅しましたが、
そういえばヴィンテージの器や雑貨が並ぶマーケットでも、
抱えきれないほどたくさんのかごを
買っていましたっけ。

バスク地方の栗の木の皮や
北欧の白樺の皮で編まれたもの、
また日本をはじめとしたアジアのかご‥‥
と、世界中から集まった植松さんちのかごですが、
彼女の家に集まると、
どれもがすーっと馴染んで、
ひとつの風景になっている。
毎度、不思議だなぁと思うのですが、
それはきっと、
たくさんのものを見て、
えらんで、使ってきたからこその、
一本筋の通った「眼」があるからなのでしょう。

さて、今回weeksdaysで作ったベトナムのかご。
植松さんならどんな風に使ってくれるかしら? と
おじゃますると、まず見せてくれたのが、
「良枝のベトナムかごコレクション」。
ベトナムが好きで好きで、
何度も通ううちに買ったかごはなんと40個以上。
20年近くの間に、
友だちにあげたり、
料理教室の生徒さんに譲ったりして淘汰され、
現在あるのがこちらなのだとか。

「ベトナムでは、このテープで編んだかごは、
バイクとセットで街の風景になっているような気がします」と植松さん。
高温多湿のベトナムでは、
天然素材のかごは、
カビてしまったりもするけれど、
これなら安心。
カビの心配もいらず、軽くて丈夫。
ベトナムの人たちにとって、
欠かせない生活道具のひとつになっているそう。

「weeksdaysのオリジナルは、
浅すぎず、深すぎず。
入れたものが一目瞭然なところ、
それからシックな色合いもいいですね」と植松さん。

今日は、翌日の料理のイベントにそなえて、
直販所で買った野菜がどっさり。

また、畑で野菜を育てている植松さんは、
「この中に紙やビニールを敷いて、
採れたての野菜を入れても。
汚れたら丸洗いできるのも、この素材のよいところです」
ですって。なるほど。

ピクニックにもかごは大活躍。
「いちょうの季節になると毎年、近くの公園で
仲間とピクニックをします。
お弁当にポット、カッティングボード、敷物、
ブランケットなど、なんでも入っちゃう!」

リビングの片隅には、
今年生まれたばかりの息子、
たすくくんのオムツや肌がけを。
「同じベトナムのミニかごを合わせてみました」
と植松さん。
着替えやおもちゃなど、
必要なものをガサッと入れて
車で移動。
そんな時にもかごは大活躍なのだとか。

買いものに、
ピクニックに、
ケータリングや撮影のお仕事。
赤ちゃんを連れた移動にも。
家の中でも。

「ベトナムの風景」になっているという、かごは、
植松さんちでも、
しっかり「植松家の風景」になっていました。
さすが、かご大臣です。

(伊藤まさこ)

「道具」としてのかご。

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「かごは好きですか?」と聞かれたら、
はい、好きです。
一瞬のためらいもなく、
そう答えるでしょう。
とにかくかごには目がないし、
いいかごを見ると目がくらんで
自分を(ちょっと)見失ったりもします。

ふだんから培われたかごハンターぶりは、
財布の紐がとくにゆるみがちになる旅先で、
いかんなく発揮されます。
いいかごはないかな、
この土地ならではの、
ここで作られた意味のある、
暮らしの中で使われているかごはないかな?
街中で。市場で。
目をキョロキョロさせながら、
ハントするのです。

そうやって手に入れてきたかごの中で、
なんていうか、一番「働きものだなぁ」と
感じるのがベトナムのかごです。
使っても使ってもへこたれない。
ちょっとチープな見かけは、
おしゃれで持つ、というよりは
必要だから持つ、といった感じで、
ぜんぜん気取っていない。
ざるとか、鍋とか、
そんな「道具」の一部なんじゃないかな?
と思っています。

さてweeksdaysでは、
暮らしの道具としてのベトナムのかごに、
「シック」をプラスしてみました。
形のもととなったのは、
私が気に入って使っている、
アジアのどこかの国の竹かご。
使いすぎて、底がもう抜けそう。
出番の多いかごだったのに‥‥と残念に思っていたのです。

そこで私は考えました。
同じ形で、
ベトナムのかごと同じ素材で作ったらいいのでは? と。
結果は大正解。
たとえば、仕事に行く時。
撮影で使う器や、鍋、布などを入れて車で出発。
スタジオではここから必要なものを取って、
使ったらまたしまう。

また、ファッションの撮影の時は、
服にはじまり、箱に入った靴、そのほか
小道具いろいろを大小のかごに振り分けて
‥‥という具合。

そうそう、着物の撮影では、
大きな方に着物と草履を、
小さな方には帯揚げや帯どめ、肌襦袢を入れました。

キッチンクロスやペーパータオル、菜箸など
毎回の撮影に持って行く小道具は、
かごの中にひとまとめにしておき、
そのまま食器棚の中へ。
仕事に出かける時は、
棚から取り出し、
そのまま持っていけばいい。
すっきりとしたデザインと色が、
ものの多い棚の中を美しく見せてくれます。

「持って行く」だけではなく、
家の中でも使います。

ほら、こんな風に
ベッドカバーにもなるような、
大きなブランケットや毛布もらくらく入っちゃう。
ベッドサイドに置いて
いつでも取り出せるようにしています。

今だったら夏がけやタオルケットなどの
季節はずれのものを入れて、
クローゼットの中へ。
ちょっと引き出しのようなかんじで
使ってもいいのかも。

働きもののかご。
まだまだ使い道がありそうです。

(伊藤まさこ)

ベトナムのかご

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ベトナムのかご

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はじめて自分でかごを買ったのは高校生の時でした。
フランス製で素材は柳。
手つきの「バスケット」と呼ぶのにふさわしい、
童話に出てくるようなそのかごは、
当時の私にとってはとても高価なものでしたが、
「これは持っておくべきもの」。
なぜだかそんな気がして、
思い切って自分のものにしたのでした。

それから30年あまりのうちに、
我が家には世界中からたくさんのかごが
集まりました。

生活道具としてのかごから、
職人によって編まれた
工芸品と呼ばれる手の込んだものまで。
どれが一番、ということはなく、
私にとっては、どれも一番。
どれも「持っておくべきかご」になっています。

今回、weeksdaysでは、
私の暮らしの中で、最近とても出番の多い、
プラスチックの素材で編んだ
ベトナムのかごをご紹介します。

たくさんものが入り、
手入れがラク。
買いものはもちろん、
家の中でもあれこれと使える、
使い勝手のいいかごです。

大きさはふたつ。
色はグレーと白の2色。
ああ、どっちの色にしようかな。
大きさは?
いっそのこと4つ買ってしまおうか?
なんて悩む毎日。
ますますかご屋敷になりそうな予感がしています。

父に、服を。

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わたしはセーターが好きだ。
今、セーターについて思いを巡らせて初めて、
自分がセーター好きだということに気づいている。
毎年どこかのセーターを買う。
これさえ着ていれば大丈夫だという安心感がある。
できるだけ肌触りの良いもので、適度にゆったりしていて、
下はせいぜいキャミソールくらいで、
できるだけ中は薄く着たい。
気持ちいいセーターはネコを抱くのと似ている。

青森の祖父が亡くなった時に形見としてもらったものも、
セーターだった。
おしゃれだった祖父はクローゼットの中に
上質な洋服をきちんとしまっていて、
セーターも年代ものだったけれど虫食いなど一切なく、
わたしでも着られそうなものがあった。
黒地に、ゴルフをしている男性が描かれているもの。
薄いカーキ色に、暖色系で
Black & Whiteという文字が描かれているもの
(よく考えたらどこにも
BlackとWhiteは使われていない)。
いわゆる“ダサカワ”風にすれば着られる、
と思ってもらってきたが、
そもそもダサカワを着こなせるキャラじゃないため
あまり出番はなかった。

初めてパリに行った時のことを思い出す。
13歳。
ニューヨークから一人で飛んで、パリで父と合流した。
父のヨーロッパツアーのパリ公演に遊びに行ったのだった。
その頃はまだ父との間には緊張感があった。
彼はあまり家にいなかったし、
ゆっくり父親と過ごすという習慣がなく、
正直、何を話していいかわからなかった。
今もしこれを見たら傷つくかもしれないけど。
だからこそ、一人で行って一緒に過ごしておいで、
ということになったのか、
今となってはわからないが
もしかしたら大人の計らいがあったのかもしれない。

父の空き時間に、一緒にパリの街を歩いた。
なぜか、その頃父が着ていた
ロメオ・ジリのお店に入ったということは覚えてる。
あと、母のお気に入りのステーショナリーのお店で
綺麗な色のノートを買ったこと。
お土産はすぐ思いつくのに、
美雨は自分でなにか欲しいものはないの?
と言われて、困ってしまった。
父としては、なにか買ってあげるというのが
娘との交流の一つとしてあったのだろうけど、
幼い頃からあまりおねだりをしたこともなかったし
いざ聞かれると欲しいものは何もなかった。

けれど、とにかく通りかかった洋服屋さんに入ってみると、
白とグレーのミックスの厚手のセーターが目に留まった。
Vネックで、コンプレックスだったおしりも隠れる
少し長めのボックスシルエット。
迷っている時間がなんだか気恥ずかしくて、
これ! と即決して、
13歳の女の子にしては渋めのセレクトに
父は「ほんとに‥‥?」という感じだったけれど、
とにかく買ってもらったのだった。
父に、洋服を。

そうして二人で歩きながら、父の柔らかな表情を見た。
ちょっと踏み込めそうな気がして、
いろんなことを聞いてみることにした。
大したことじゃなくても、
街で見かけたいろんなものについて。
大抵父は答えを持っていたし、話は興味深かった。
なんでも知ってるんだな~、すごいなぁ、と思い、
こんなたくさんのことを知ってる父のことを
もうちょっと知ってみたいと思った。

主にメールの交換を通して
徐々に父との距離を縮めていった
その後のティーンエイジャーの数年間、
ずっとそのセーターを着ていた。
そして何年も経って、
ぬいぐるみ作家の金森美也子さんの手によって
セーターは白とグレーの
ネコのぬいぐるみに生まれ変わった。

四半世紀前にパリで出会ったセーター。
白とグレーのネコと一緒に、今も暮している。

姉御の初恋

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セーターと聞いて、最初に思い出すのは、
不覚にも、私が男子のために編んだセーターだ。
初めて手に取った棒針と毛糸と編み物の本で、
無謀にも、マフラーを飛び越え、
セーターに挑戦するなんて、
恋という魔法にかかった、
中学2年生女子は何をするか、
全く見当がつかない。

当時の私は、(今でもあまり変わりはないのだけど)
浅黒く日焼けして、
背もいつも後ろから2番目くらいで、
スポーツと美術が大好きで、
どちらかというと姉御肌で、
悩み相談窓口にもなっていた。
そう、そんな、ネエさんが、恋に落ちたのは
バレー部の色白アタッカーのH君だ。

ねえ、世の中で、姉御的に育ってきた人種ほど、
実はとっても、乙女なんだって知っている?
色はピンクが好きで、フリルも好きで、
フカフカモヘアや、ぬいぐるみだって大好きなんだよ。
でもどれもなんか似合わないのも知っている。
ただ、この時は違った。
買ったのはハマナカ毛糸のベージュと、
Hのイニシャルを入れるための赤い毛糸だ。
目指すはその年のバレンタインデー。
一年に一度、女子が男子に告白を許される1日だと、
信じていたのだろうね。
チョコレートといっしょに、
手編みのセーターを渡そうと思ったのだ。
しかしながら、編んでいる時の記憶があまりない・・・。
今、必死で思い出しているのだが、
渡した時の記憶が鮮明すぎて、
作っている時がもはや消去されている。

ただ思い出すのは、その出来たセーターの
重くて不細工で大きいこと。
肩の付け根なんかがピョンと飛び上がっていたり、
イニシャルの編み込みがなぜか、
糸を引っ張りすぎたのか浮き上がっていたりと
色々問題があった。
そう、15歳の姉御の初恋と
同じくらいの重量がそこにはあった。
もちろん、色白のH君には
そのセーターも姉御の想いも重過ぎた。
腕を通すことが出来たかどうかもわからない。
渡すだけ渡して逃げて帰ったからだ。
その人のことを思って編んでいったのだろうが、
結局、自分の気持ちが膨れ上がりすぎて、
ただ、ただ、押し付けるという、
なんとも、ほろ苦い結果になってしまった・・・。
それから、棒針はどこかにしまったままだ。

あー、今から思い出しても顔から火が出そうだけど、
実は、体当たりをした自分を少し愛おしく思う。
駆け引きなど全く知らない、
純粋な気持ちを人生の中で
持ち合わすことが出来たことが
今となっては宝物かもしれない。
恋が叶う叶わぬではなく、(これは負け惜しみではないぞ)
どんなことでも、
より多くのことを自分自身で体験すること、
失敗を恐れず、何かを決めて貫き通すこと、
そんな今の私の原型が、
ここで養われたのかもしれない。

冬を迎えるころ、
暖かいものが恋しくなると、
H君の顔も名前ももはや、よく覚えていないのだけど、
あのベージュに赤いイニシャル入りのセーターを
時々思い出すことがある。

大嫌いだった。

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子供のころに苦手だったものでも
歳をとるに連れて好きになるものがある。
例えばにんじんやピーマンはその代表格と言えるだろう。
ぼくの場合はというと、食べ物ではないが
ニットも大嫌いだった。
セーターやマフラーはもちろん
ニットキャップや手袋(毛糸で編まれた手袋)なんて
もう絶対に、無理なアイテムだった。

ニットを好まない理由はただひとつ、
なんとなく弱そうにみえるからである。
だからぼくは10代の後半ごろまで
ニットの類を身に付けた記憶がほとんどない。

そんなニット嫌いの僕が
好んでニットを身に付けるようになったのは、
20代になってからのこと。
映画や雑誌をみてガンジーセーターや
フィッシャーマンズセーターをかっこよく着こなす、
いわゆる男服のカッコイイ着こなしに触発されたのだ。
そしてニットを好むようになった理由はただひとつ、
なんとなく強そうにみえるからである。

20代のころは未脱脂で骨太な
フィッシャーマンズセーターを好み、
30代ではパジャマにしても快適な
カシミヤの肌さわりの良さを知り、
40代ではハイゲージのカーディガンを着るようになった。

そうしていまやそんな僕がニットをつくっている。
しかも、今回のアイテムは、
ぼくが20代から40代までに着用してきたニットの
好きなところを足し合わせ、
アメリカンレッドクロスのビンテージニットをベースに、
MOJITOらしくアップデートしたものだ。

使用した原料は子羊(ラム)と成羊の中間期に刈りとられた
ラム独特の光沢に柔軟性と成羊の弾力性を持ち合わせた
オーストリア産のウィナーズという原料がメイン。
そこに、タスマニア地区の繊維が細いファインメリノを
ブレンドして作られた毛糸を使用している。
両方をブレンドすることによりフワフワし過ぎず、
なおかつチクチクしにくい
アイテムになるように仕上げている。

はたしてこのニットは弱そうに見えるんだろうか、
それとも強そうに見えるのだろうか。
いまの僕は「そんなこと、どっちでもいいや」と、
できあがったニットを手に、
早く寒くならないかとニンマリしているのである。

MOJITOのセーターとマフラー

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冬支度。

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朝起きるとまず窓を開け、
冷たい空気を思い切り吸い込む。
夜、ベランダに出て
空の向こうにかがやく星空を眺めてからベッドに入る。
冬のすがすがしさが、
あまりに好きなものだから、
この季節はいつもより外の空気を感じながら
暮らしています。

すがすがしさと同時に好きなのが、
冬支度。
温かい飲みものがたっぷり入るマグカップや、
ぬくぬくのおふとん。
まっ赤なりんごを木のボウルにたくさん入れて
テーブルの上に置いたりも。

そうそう冬支度で忘れてはならないのが、
厚手のセーター。
それから帽子にマフラー。
毎年、少しずつ増えている、
私の冬のアイテムに今年は、
ニューフェイスがくわわりました。
タートルのセーターと、
帽子にマフラーがついた
(マフラーに帽子がついた?)
姿も形もかわいいぬくぬく小物。

これがあれば寒い日の散歩だって
ぜんぜんへっちゃら。
早くもっと寒くならないかなぁと、
思わずにはいられません。

毛玉

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ある冬の晩、先輩の編集者と
ふたりのフォトグラファーとともに
楽しいひとときを過ごしていた。
6、7年前のことだったかと思う。
美味しいごはんを食べていたのは確かだけど、
どこのレストランだったかは覚えていない。
木製のテーブルにはキャンドルが置いてあったような、
いや置いてなかったような‥‥。
どんなきっかけでその話題になったのか、
同じく今では記憶にないのだけれども、
「セーターをどれくらいの頻度で洗うのか。
毛玉の処理はどうしているのか」
という議題が持ち上がった。
3人は、ワンシーズン洗わないし、毛玉も気にしない
という意見であった。
それじゃあなんか心許ない感じがする
という発言をしたひとりに対して、3人は
「いやいや、多少毛玉ついているくらいが
風合いが出ていい」
と突っついた。
ぼくは、鮮やかな緑色のセーターを着ていて、
ぽろぽろとできていた袖の毛玉を自慢げにさすってみせた。

時は遡り、ハイティーンのころ。90年代半ば。
制服のないハイスクールに通っていて、
おしゃれに目覚めていた。
ビートルズを入り口とし、イギリスの音楽に傾倒していた。
60年代に活躍したザ・フーやスモール・フェイセズ
といったモッズムーブメントの影響を受けたバンドが、
当時数多く台頭していた。
「モッズ、カッコイイ!」と心踊らせ影響を受け、
細身のパンツにジャケットといった洋服を好んだ。
そんなぼくには、すぐにピンと来ていなかったのだが、
アメリカでも新しい音楽の潮流があり、
ニルヴァーナというロックバンドが大流行していた。
そのバンドにビシバシ影響を受けていたクラスメートが、
ある日、毛玉だらけのボロボロセーターを着て
学校にやって来た。
ニルヴァーナのフロントマン、
カート・コバーンのスタイルである。
ぼくは、その姿にウググっとなった。
当時ぼくとセーターの付き合い方は、
「洗濯をよくする/毛玉気になる」派であったからだ。
こういう格好良さもあるんだなと思った。
カートが着ていたセーターをぼくは買い求めなかったけど。

それから20年以上が経った。
時に洋服に関する仕事をし、
どちらかと言えば着道楽傾向にあるぼくは、
いろんなセーターと付き合ってきた。
おろしたてのつるっとした上質なセーターも気分がいいし、
数年着古して毛玉ができたものも愛用している。
颯爽と流行の波に乗る楽しさを今も持っている反面、
時代の流れや人の影響をあまり受けず
自分の性分に合うものを探す喜びも
少しずつではあるけれども得てきている。
増えゆく白髪が似合うオジサンに
なれればいいなと願うように、
毛玉がついたセーターをもっとぐっと格好良く
着こなせるようになりたいと思っている。

理想はこう。
イギリス北部の片田舎で余生を楽しむ男性が
庭いじりの際に着用しているような無骨なセーター。
長年着こなしていて、毛玉はついているが
適度な手入れもして、決してみすぼらしくみえないもの。
そんな一着が自分の身や心にぴったりと馴染むことだ。

編み直す

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ついこの間まで一緒に働いている人の中で
自分が一番若くて
ミニスカートをはいていたと思っていたのに、
あっという間に、今ここにいる中で自分が一番年長だね
ということが多くなりました。
びっくりです。
“もうー、いやだ! 歳月人を待たず”
と自分にそっと言って、可笑しくなります。

祖母は孫の私のセーターを編んでいました。
少しがっかりでした。
デパートとかで売っているのが欲しかったから。
中学になって制服になったので
ジャケットから出ないようにと、
Vネックの白いセーターです。
新しい毛糸でなく何かだったものをほどくと
毛糸は小さく波うっていて、
それを束にして洗って干して
波はまた小さくなります。
編むときには糸が繰りだしやすいように毛糸玉にします。
小さいころは両手に洗った毛糸の束をかけて、
向いあって座った母がくるくると
毛糸玉を巻くのを手伝いました。
小学生になるころまで、
セーターは家で編むかオーダーでした。
祖母が毛糸屋さんへ連れて行ってくれ、
よそ行きのニットは糸を選んで
こんな形にとお願いして寸法を計ってもらって、
手編みの出来上がりを待ちます。

同じころお嫁に行く前のお姉さんたちは
御裁縫を習うより
編み機を買って機械編みを習うのが
流行したのかもしれません。
わが家の店で働くお姉さんたちも
みんなお稽古に行きました。
そうして祖母はとても上達したお姉さんに
私の小学校入学の
ワンピースを編んでもらうように頼みました。
水色で襟とカフスは白、
スカートのプリーツの内側は模様編みになっていて
嬉しくてプリーツが広がるように
くりっと回ってみたりしました。

毛糸はほどいてまた次に何かに編みなおされます。
何度か編み直して使ううちに糸は細く弱くなってきます。
最後は、その弱くなった糸を
2本とか3本とか合わせながら小さなモチーフを作り
それをはぎ合わせてこたつ掛やひざ掛けになりました。
思い出すと、次々と欲しいものは買えないけれど
本物の良い物を特別な時だけというのでなく、
少し頑張って良い物を買って
作り直しながら本物を使う普段の暮らしがありました。
それはかける時間も思いもずいぶんと違うものだと
考えるようになりました。

まさかの虫食い

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冬並みの寒気が訪れた9月のある日、
クローゼットからホワイト、ネイビー、
グレーのセーターを取り出した私は、
どれを着ようか迷っていました。
からだの一部のように愛用しているカシミヤのセーター。
気温は低いが、コートを着るほどでもない日、
冷たい風を、セーター越しに感じるのが好きでした。
ところが、グレーのセーターを手に取ったとき、
私の心は凍りつきました。
あろうことか、袖に、小さな穴があるのです。
本当に小さく、でも確実に。
洗濯に問題があったのか、
収納のレベルを上げる必要があったのか、
まさかの虫食い。
セーターは一部でも瑕疵があると、
全体に影響を及ぼします。

どうしようと思って思い出したのが、
ミスミノリコさん。
著書に『繕う愉しみ』があり、
「繕い」で服をよみがえらせる仕事を提唱しています。
グレーのセーターを鞄に入れた私は、
待ち合わせ場所の青山の喫茶店へ。
ミスミさんに復活させたいむねを伝えると、
三つの方法を提案してくださりました。
一つ目は、ニードルパンチとチェーンステッチ。
二つ目は、鉤針の細編み。
三つ目は、ダーニング。
それぞれ実例を交えて詳しく説明してもらったのですが、
最初のニードルパンチとチェーンステッチが
心から離れません。
器なら金継ぎに似ているのではないでしょうか。
繕った服は、新品とはまた別の趣が感じられ、
むしろ、仕上がりが楽しみになるほどに。

洗濯も再考しました。
虫食いを調べてみると、皮脂やホコリが原因。
そこで思い出したのが「LIVRER Silk&Wool」。
山藤陽子さんに
その洗いの素晴らしさを教えてもらっていたのです。
週末のお客さんであふれる銀座三越で
私はそのボトルを探しました。
説明書通りに5Lのお湯をはって、
5mlの洗剤を溶かして、カシミヤのセーターを手洗い。
感じがいいと言うのが一番ふさわしい香り。
あとで調べたらローズとカモミール。
すすぎは1回のみで、
乾くと予想以上に柔らかな仕上がり。
香りは、わずかに、でも確実にのこっていました。

長期天気予報によれば、
今年の冬は暖冬の可能性とのこと。
気温は低いが、コートを着るほどでもない日は続きそう。
新しくなったグレーのセーターに袖を通す。
さらっとした香りの余韻を楽しむ。
上質なセーターが上質なもの招き寄せてくれたと
言っても良いかもしれません。
今回の出来事がグレーのセーターに編み込まれ、
私にとっては、より大切なものになっていきそうです。
万が一またほつれも、もう心配する必要もありません。
そう考えると、あの9月のがっかり感は、
むしろラッキーだったのではないかと思えてきます。

カシミアのセーターとワンピース

未分類

馴染むカシミア。

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朝晩、だんだん冷え込んできました。
まずは靴下、次にストール、
それからニット….。
少しずつ身のまわりにぬくぬくしたものが増えていく、
今の季節が大好きです。
weeksdaysは、
1日のはじまり
「さあ、なに着ようかな?」
という時についつい手に取ってしまいたくなる、
着心地のいいカシミアニットを作りました。

イメージは、
履き慣れたデニムや着慣れたTシャツのような、
自分に馴染んでくれるニット。
え、カシミアで?
と思う方もいるかもしれませんが、
大人ですもの、
それくらいのぜいたくしてもよいのではと思うのです。

形ちがい、色ちがいの全部で4枚。
サイズ感など、
明日のルックブックを参考にしてくださいね。

day7/旅のおわり

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そういえばここのところ、
旅先であれしようこれしなくてはと、
気が急かなくなった気がする。
美術館に行って、そのまわりをうろうろしたら、
あれ? 今日も1日終わっちゃった、そんなかんじ。
あるいはカフェのテラス席で、
昼間からワインを飲んでちょっといい気分になり、
うたた寝したら夕方だった、とか。

時間の無駄遣いに気をよくして、
そういえばあまり買いものもしていない。
せっかくスーツケースに空きがあるのだから、
なにか買いたいのだけれど‥‥と思っていたら、
ブルックリンの古道具屋で見つけてしまいました。
ぎりぎりスーツケースに収まりそうな小さな引き出しを。
付箋とか名刺とか、こまごましたものを入れたらよさそう。
これで20ドルはお買い得だわ。
そう、ここは訪れるたび掘り出しものが見つかるのです。

あとは街歩きの途中、
メイプルシロップ、ナッツにグラノーラ、ピクルス、
チョコプレッツェルなどをちょこちょこと。
最終日にはバターを買いだめして、
結局、荷物はいっぱいになりそう。

たのしかった旅ももうおしまい。
旅は名残惜しいくらいがちょうどいいのかもしれない。

day6/ふたつのスーツケース

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旅に出るたび思うのは、
なんだ、スーツケースの中の荷物だけで
何日も過ごせるじゃないの、
ってこと。
もっと年をかさねたら、
すずしい顔して
「持ちものはスーツケースひとつ分だけです」
とか、言ってみたいけれど、
きっと無理なんだろうなぁ。
ものにかこまれた暮らしもやっぱりいいものだもの。

今回の旅に持ってきたスーツケースはふたつ。
右は友人へのお土産がぎっしり。
左は着替えなどのふだんの旅支度が入っていますが、
ほぼ半分がらがら。
お土産を渡したら、ずいぶん空くなぁ。
たくさん買いものができるぞウシシ‥‥
と思って市場でメープルシロップとか
ピクルスとかを買うものの、
スーツケースの中がぎっしりになるにはほど遠い。

せっかくなのだから、
旅の思い出をぎゅうぎゅうに詰めて帰りたいと思う
よくばりな私は考えました。
そうだ、ふだんは少し躊躇する
「かさばるもの」を買おうと。

キルトのベッドカバー、
かご、
古いフレームもいいなぁ。
夢はふくらむばかり。

day5/友人のために。

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味噌、醤油、梅干し、
それからそうめんに乾燥わかめ‥‥。
行きのスーツケースは、
食材でいっぱい。

自分で食べるんじゃありませんよ。
これぜんぶニューヨークに住む友人へのお土産です。
食いしん坊のこのお方、
ニューヨーク中のおいしいものを
知っているのではないかと思うのだけれど、
やっぱり日本の味が時々恋しくなるみたい。
毎回、涙を流さんばかりに喜んでくれるので、
渡すこちらもうれしくなる。
重いものもえんやこらの「おっかさん便」です。

お土産の前に座っているのは
友人の愛猫、ミチコ。
憂いをふくんだまなざしが印象的な
(でもややグラマーが過ぎる)美人猫。
子どもと女の人が苦手なくせに、
なぜか私には少し気を許しているかわいいやつ。

今回の旅では何回会えるかしら?

day4/巻きものをしのばせて。

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1週間の旅。
さて何を着ようかと頭を悩ませます。
9月の終わりのニューヨーク。
まだ夏のなごりが残っているのか、
それとも寒いのか?
気温をしらべてみたけれど、
行ってみないとやっぱりわからない。
うーん、と思いつつえらんだのが、
少しあつでのコート1枚。
さっと羽織れるうすでのコート2枚。
ニット2枚。
パンツ2枚。
ブラウス1枚。
半袖のカットソー2枚。
ワンピース1枚。
街歩き用のブーツとななめがけできるバッグ、
ちょっとだけおしゃれする時用のエナメルの靴と
小さなファーのバッグ。

そうそう、
忘れちゃいけないのが
「巻きもの」類。
何かと重宝するネイビーのカシミヤストールにくわえて、
今回はヴィンテージのシルクのスカーフを2枚入れました。
首に巻いたりバッグにつけたり、
パンツのポケットからちらりとのぞかせたり。
地味になりがちな、
ネイビーと黒中心のコーディネートに
ちょっと華をそえてくれるのです。

昔、お母さんがしていたような
ちょっとなつかしい色合いや柄がいいでしょう?
今回の旅でも、
すてきなスカーフと出会えるといいんだけれど。

day 3/荷ほどき

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チェックインまでまだ時間があるから、
ホテルに荷物をあずけて街をぶらぶらする。

ちょっと気の利いた食材屋や、
かわいらしいベーカリー。
ハムやソーセージがずらりと並ぶ加工肉屋。
ここブルックリンは、
小さいながらも店主のしたいことが
見て取れる店が多いから歩いていてたのしい。

途中立ち寄ったスーパーで、
けばけばしい色のアイシングがかかったカップケーキや、
茹で上がったものが大量にパックされた
(オレンジと黄色の2色)パスタを見つける。
わあすごいなぁと思うけれど、
それがいいと思う人は買えばいいし、
自分とは合わないと思ったら買わなければいい。
「人は人なんだから」という空気が店の中にただよう。
そうだ、ここは自由の国なのだ。

部屋について荷ほどきをする。
靴は入り口近くに並べ、服はクローゼットへ。
歯ブラシや化粧道具はバスルームの洗面台に。
パジャマや下着類はチェストの引き出しへ。
たとえ少しの滞在だとしても、
旅先ではそこが私の帰る場所。
少しでも気分よくいたいから、
部屋をふだんとなるべく変わらない状態にしておきたい。

ひととおりものがおさまったら、
お湯を沸かして白湯を飲み一息。
夜の約束まで時間があるから、
アイロンでもかけようかなぁ。

day 2/機上より

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せまいところと高いところが苦手なのに、
飛行機に乗るのがきらいじゃないのは、
その先にたのしい何かが待っているからなのだと思う。

機内ではいつも映画を観て、本を読み、
少しうとうとする。
それでも到着の時間にはまだまだ時間がたっぷりあるから
ひまつぶしにパソコンの中の写真を見てみる。

メニュー、タイル、石畳、
たべものがずらりと並ぶ食材屋の棚、
窓枠、食べ終わったあとの皿。
美しい風景や人の写真はほとんどなくて、
どれも撮りたいものに寄ったものばかり。
料理の写真があまりないのは、
食べたい気持ちを優先するからのようで、
空になったお皿を見て、
ああそうだ、写真でも撮ろうかという気持ちになるらしい。
逆におやつの写真が多いのは、
どうやら状態が料理ほど変わらないから。
フーン、
こうしてみるといろいろな発見があるものだなぁ。

それからもうひとつ、
飛び立つ前の飛行場も好きということに気づく。
飛行機の窓枠はお世辞にもすてきとはいえないけれど、
それがいいフレームになって、
ひとつの絵のように目に入る。
自分でねらったフレームではなく、
偶然が重なってできた風景、
というところもまた新鮮でいいなぁと思う。

この空と飛行場はいったいいつのものだっけ?
なんて思っていたら
「飛行機はあと30分でケネディ国際空港に到着します」
というアナウンス。

いよいよ
ニューヨークに到着です。

day 1/私の旅じたく

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旅の前はいつも慌ただしくて、
あれも持っていかなきゃこれも持っていかなきゃと
頭の中では思うものの、
なかなか思う通りにはならない。
知人の建築家は出発する1週間ほど前から
リビングにスーツケースを広げ、
必要そうなものをポイポイとそこに投げ入れていくとか。
「出かける当日はパタンと閉じるだけ」と言っていて、
それはなかなかいいアイデアだなぁと感心したものの、
スーツケースが部屋にあるのも
なんだか落ち着かないような気がして、
実現にはいたっていない。
それで結局、
パスポートとお金とカードがあれば大丈夫なのでは?
あとは困ったら買えばいいさ、
というおおらかな(半分投げやりな)気持ちになって
準備は出かける当日の朝か、
もう少し気持ちに余裕のある時は、前夜ということになる。
それがここ最近の私の旅支度の傾向。

それでも、パスポートとお金と‥‥
というわけにはやっぱりいかない。
旅ごとに「どうしても」必要なものがあるのです。
今回、パスポートの次に用意したのは塩。
あの、しょっぱい、SALTです。
というのもこれから滞在する街に
世界一好きなステーキハウスがあるから。
そしてそこはなぜかメインのステーキは、
肉質といい焼き加減といい、
最高に申し分ないのにソースがからきしだめ。
肉の味がぜんぶ消えて
口の中がソースの味だらけになってしまう。
この味大丈夫? と、
毎回まわりのテーブルを見回すのだけれど、
みんないせいよくドボドボとソースをかけてる。
塩。この肉を味わうのは塩だけでいいんだよ‥‥
と思いながらステーキを噛みしめるのです、毎回。

さて、塩を準備してひと安心した私が
次に用意したのは、
エアパッキンと紙、それから箱。
まだ出発もしていないのに、
もう買ったものを持って帰るときのことを考えている。
だってせっかく買ったジャムや
ピクルスの瓶が割れていたら悲しいでしょう?
ちょっとくやしいでしょう?
だから万全を期すための策なんです。
箱はクッキーやケーキなんかの焼き菓子を守るため。
こうして今まで世界中の
「こわれやすくておいしいもの」を
持って帰ってきたのです。

次に用意したのは本。
長いフライト、あまりよく眠れない私は
時間を持て余すことが多い。
そのための本でもあるけれど、
時差ぼけで寝つけなかったりするときに読むこともある。
なれない言葉で日中過ごしたとき、
日本語を読んで心を落ち着かせる、
そんな役わりもあるのです。
今回は定番の向田邦子さんにくわえて、
沢村貞子さんと開高健さんにしてみました。
小さな文庫の文字を読むとき用の眼鏡もわすれずに。

ホテルですごす時の必需品は
着慣れたパジャマと歯ブラシと歯磨き粉。
至れり尽くせりの日本のホテルと違って、
それらのアメニティがあまり充実していない海外。
わりといいホテルでも
なぜか歯ブラシはないことが多いのです。
あったとしても日本のとくらべて格段にサイズが大きい。
だから使い慣れている歯ブラシを持っていくというわけ。
歯磨き粉は小さなサイズのものを
わざわざ準備していくことはなくて、
いつももう少しでなくなりそうなものを
持っていくことにしています。

外貨は国ごとに分けて瓶に入れています。
なんといっても便利だし外から見えて分かりやすい。
それをガイドブックの横にずらりと並べていて、
いざ出かける時に、ささっと取り出す。
マイユのマスタード瓶に入っているのは、
イギリスのポンド札。
エリザベス女王がにっこりしているのが目に入るけれど、
今回の行き先はイギリスではありません。

さてどこかは、また明日。

旅のまなざし。

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訪れる土地ごとの風土が織りなす眺め。
そして、立ち昇っては霧散する光景の数々。

旅は短い。
しかし、その余韻は長く生き続け、
人生における無意識の営みに滋養を与えてくれる。

印象深い旅は数あれど、今から十数年前、
友人と共にドイツとチェコを車で巡ったことは
良き思い出である。

フランクフルトで待ち合わせ、
アウトバーンを車でひた走り、
ドレスデンのエルベ川沿いの蚤の市を経由して
プラハで数泊滞在、その後ベルリンまで上り、
最後は再びフランクフルトへ。

その道程の中で、
私たちは様々な風景を共有した。

夏が終わり、秋に差し掛かる頃の高い空。
遠くの丘の上に見える小さな砦。
葦が茂る池の畔に集う、ボートを担ぐ男たち。
檻の中の猿の物憂げな背中。
国境付近の森に突如現れた半裸の娼婦。

まるで白昼夢の様な、
或いは路地裏で拾った
古いスライドの様なイメージの断片。

いずれも些細といえば些細な出来事ながら、
その旅を語るのに、
もはやどの一葉とて欠かせないほどの重要性を帯びて、
瞼の裏に焼き付いている。

それから何年か後、古書店にて時期を隔てず、
二冊の本に出会った。

批評家として知られるロラン・バルトによる『偶景』、
そして画家の大竹伸朗による『カスバの男』。

前者は、バルトが60年代の終わりに
モロッコで出会った
様々な「偶発事(アンシダン)」の
ランダムな記録集である。


「メディナ。午後六時頃。点々と露店商人の姿が見える通りで、一人のみすぼらしい男が、歩道の脇で、たった一本の包丁を売りつけている。」

「タンジールの浜辺で(家族、男娼、少年たち)、年取った労働者たちが、大昔の動きのとても遅い昆虫のように、砂をならしている。」

──ロラン・バルト『偶景』
(みすず書房  沢崎浩平/萩原芳子訳)より

具体的な出来事の描写にも関わらず、
とりとめのなさが生みだす大きな余白には、
何か別の抽象的なイメージが湧き上がってくる。

後者『カスバの男』も、同じく舞台はモロッコ。
こちらは旅行記の体裁がとられているが、
文章とドローイングの隙間に時折差し込まれる断章に、
バルトのそれに近い趣きを感じる。


「遠くに見事な桜。じっと見入る。」
「広いガーデンの中の建物、中で男がガット・ギターを練習している。」

「先のとがった丸い鉄の棒を、車を運転する女に乗せてもらおうとするが、断られる。」

──大竹伸朗『カスバの男』(求龍堂)より

『偶景』も『カスバの男』も、共通して伺えるのは、
些細な出来事がいつまでも後を引くその余韻、
そして「観察者としての視点」である。

ふと思った。このことは、
旅について考える鍵になりはしないか。

旅は単なる移動でない。
そこに「観察者としての視点」が介在することで、
移動という行為が初めて旅になる。

ひいては、その視点の持ち様によっては、
日常ですら旅になり得るかもしれない。

日常そのものの捉え方が、
旅を生きるという事に繋がるのだとしたら、
そこで生まれる様々な余韻は、
再び日々の営みに還流し、
その時間を重層的に、
より豊かなものにしてくれるのではないだろうか。

妄想機内食。

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「そろそろ、荷づくりしましょう」
家族旅行に出かけた先で、祖母のその言葉に、
幼い私の心はときめいた。
にづくり。おいしそう。煮物だね。具はなんだろう。
がんもどきみたいなのがいいなあ。イカも入れてほしい。
頭の中は“煮づくり”という茶色い料理の絵であふれた。
なんで旅先で、わざわざ煮物を?
なんて疑う気なんかない。
煮づくりを早く食べたい。
子どもの食い意地は、まっすぐで逞しい。
そういえば、小学生の頃、ニュースで流れてくる
「汚職事件」という言葉を聞いて、
「お食事券」だと本気で思っていたことがある。
政治家の大人たちは、パーティばかりする。
それはきっと、フランス料理や中華料理や、
お寿司が大広間に並ぶ、贅沢極まりない宴だ。
お食事券がなければ、当然入れてもらえない。
チケットは争奪戦となり、悪巧みをする輩があらわれ、
ニュースをにぎわす事件へと発展する‥‥。
そんなわけがない。

小さな頃から、私の脳は食べもの直結型。
だから食べることが何より好きだし、
生きることへのご褒美みたいになっている。
そんな私をへこませる、残念な食があって、
そのひとつが機内食である。
食材の匂いに乗っかってくる、
もわんとしたあの機内食臭が苦手だし、
おぼつかない薄い板の上で食べるシチュエーションを
ディナーっていうのもなあ。
だったら新幹線みたいに、お弁当でいいじゃない。
各自その日の気分に合うものを
搭乗前に買うシステムがいい。
はずせないのは、甘辛い煮物が要の弁松の赤飯弁当。
弁当を極めた感がある崎陽軒のシウマイ弁当。
賞味期限の問題はさておき、
京都・和久傳の鯛ちらし弁当があったら私は泣く。
とはいえ、機内では温かいものが食べたくもなるだろう。
そんなときは、好きなカップ麺が選べるサービスをどうぞ。
客室乗務員の方が、いかがでしょうか~、と
大きめのバスケットに数種類のカップ麺を並べやってくる。
きつねうどん、たぬきそば、醤油ラーメン、カレーうどん。
湯切りの始末さえ解決すれば、焼きそばも欲しい。
プレミアムエコノミー席の人は、2個まで選べます。
目の前の映画に没頭しながら、
ずるずると好みの麺をすする。
案外いける。
機内食は、そのぐらいがちょうどいい。

そんな私が、自宅(今はNYにあります)から
出発する旅に限って、欠かさない旅支度がある。
それは、おにぎりを握っていくこと。
相当な時間を持て余す国際線の搭乗口では、小腹が減る。
NYのJFK空港なんか、
某コーヒーチェーンと売店しかなくて絶望する。
そんなときに、おにぎりが私の命を救う。
いざ飛行機に搭乗する。機内食が出る。
アメリカから積んだ料理のクオリティに憎しみすらわく。
そんなときに、おにぎりが再び私の命を救う。
映画を鑑賞し、ほろ酔いになって、ひと眠りする。
小腹が減る。スナック菓子しか手元になくて天を仰ぐ
(結局食べるけど)。おにぎりがまたしても私の命を救う。
だから最低3つ、
ラップで1つずつ包んで持っていくと間違いがない。
具は、叩いた梅干しとおかかを山椒醤油で和えた
最強タッグ。海苔は、べちゃっとするのが嫌なので、
巻かない派。
そうして、心もお腹も膨らむ旅が始まるのだ。

Faliero Sartiの ポリエステル生地のこと。

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Faliero Sarti(ファリエロ サルティ)の名前を
聞いたことがあるというかた、
きっと、いらっしゃることと思います。
高級なショールやスカーフ、パシュミナなどで有名な
イタリアのストールのブランドなんですけれど
公式ウェブサイトはこちら)、
じつは、もともとここは、
1949年にフィレンツェで創業した、
テキスタイルのメーカーなんですね。
創業者がファリエロさん、現社長はその息子さん、
ブランドデザイナーは
ファリエロさんの孫であるモニカさん。
家族ぐるみで経営をしているメーカーです。

彼らは、シルクやカシミアなどの天然素材はもちろん、
そのなかでもいちばんいいものを使うという姿勢ですし、
新素材も積極的に取り入れ、
また自社での開発をしています。
ストールのブランドとしてのファリエロ サルティも
とても人気がありますけれど、
テキスタイルメーカーとしても一流。
彼らのつくるテキスタイルは、
フランスやイタリアの、
誰もが知る“超”のつく一流ブランドが
こぞって使っているほどです。

今回の服は、見たかた、
手でふれたかた、試着したかたから、
「いったい、この素材は何?」と訊かれます。
しわになりにくく、わたしが1年ほど穿いているパンツが
いまでも新品のようであることにも驚かれます。
年中着られそうな風合いで、
高級感があるのに、扱いやすい。

これ、簡単に言えば
「ポリエステルです」となりますが、
しっかり説明をさせてくださいね。
今回の生地は
「ファリエロ サルティが日本で作らせた、
特別なポリエステルです」
と──。

ポリエステルというのは「シルク的」な素材ですが、
代用品というよりも、シルクに利便性、
つまり洗いやすさや扱いやすさを
加えたものだとも言えます。
そして、シルクにしても、ポリエステルにしても、
上等なものと、そうではないものがあります。
シルクも、そのままではあの光沢は出ず、
「セリシン」という外側のたんぱく質を
どれくらい削ぐかで、光沢の度合いが決まります。
この生地に使用するポリエステルは、
多孔質で切断面に空洞がたくさんありますから、
バイオ技術で「痩せさせる」ことで、
うつくしい光沢、いい感じの風合い、
そして深い色味を出すことができます。
この痩せさせる加減がとてもむずかしいので、
うまく痩せさせることができたポリエステルにだけ、
うまく染料が入り、
たとえば同じ黒でも「漆黒」と呼べるような
深い黒に仕上げることができるんです。

この「ポリエステル加工技術」を
高い精度で持っているのが、日本の染色工場なんですね。
だからファリエロ サルティは、
あえて、日本でこの生地をつくっているんです。

今回「weeksdays」で展開する
パンツ、プルオーバー、ワンピースはすべて
「ファリエロ サルティのポリエステル生地」
を使っています。
この素材に惚れ込んで、服をつくったとも言えます。

いまぐらいの季節(秋)や春によい素材ですが、
パンツだったら防寒インナーを、
トップスだったらタートルに重ねたり、
ワンピースはタイツを組み合わせたりすれば、
寒い季節でもへっちゃらです。
しわになりにくいという個性は、
「weeksdays」がもつテーマのひとつ
「旅」にもぴったり。
ぜひたのしく着ていただけたら、うれしいです。

(岸山沙代子)

saquiの旅の服

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気がつけば今日も。

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気がつくと、今日もsaquiのパンツをはいている。
仕事仲間からも、
「それ、お気に入りですね」なんて言われるくらい。
じつは同じものを2本持って、
着回しているのです。

ウェストがゴムでらくちんなのに、
はいた姿はすらりときれい。
テロン、とした素材はコーディネートによって
カジュアルにも、きちんと見せることも。
不思議なことにいくら着てもシワひとつよらないから、
旅にも欠かせません。

すっかり私のワードローブの定番になった
このパンツと同じ素材で、
色違い、形も少し変えて、
weeksdaysのオリジナルを作りました。
(定番の黒のパンツもありますよ)

シンプルだからコーディネートのしがいがある。
服を着るのがうれしくなる。
おしゃれするのがたのしくなる。

着心地のよさと美しさをあわせ持った、
大人の女の人のための服。
ぜひ一度、着てもらいたいなと思います。

ムーミンママの乾いた靴下。

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私の旅立ちはせわしない。
それはひょっとすると、
家を離れる寂しさを紛らわせたいのかもと思う。
それにしたってだ。
荷造りの段階はちゃんとしたっていいだろうに、
それすらバタバタしているのだ。
結局、仕事なのか遊びなのか
南へ行くのか北へ行くのか
不明な荷物を持って旅に出る。
いつだってそうだ。

私の旅は行き当たりばったりが多い。
そして困ったことに、それが気に入っている。
元刑事のおじいさんたちが甲斐甲斐しく働く
安心なんだか犯罪の匂いがするんだか
分からない秘湯に出くわしたり、
極寒のフィンランドから逃げるようにタイに行ったのに、
気がつけば山岳民族の人たちと山に登り
零下に歯をガチガチいわせながら朝を迎え
美しい景色に涙を流したり。
パリの街も、朝焼けどきに走ることが楽しくなり、
気がつけば子犬のリタと暮らす路上生活者と
挨拶を交わすようになったり。
エストニアで人伝えに旅をするうち
片田舎に暮らす伝説の詩人に辿り着き、
玄関の鍵が開かないからと
梯子で二階の窓からお宅にお邪魔し、
その人が丸太をくりぬいて作ったという
カヌーに乗って母なる川を下ったこともあった。
バスの乗り換え時間を読み間違えた時に
助けてくれた初老の夫婦と、
フィンランドをしばし一緒に旅していたのもいい思い出だ。

旅立ちの直前、パッと頭に浮かんだ状況に合わせ、
手当たりしだいに荷物を放り込む。
時どき旅支度が上手な人のスーツケースの中が
雑誌で紹介されていたりするけれど、
大小さまざまな袋が整然と並ぶ様子を見るたび、
私のは絶対に見せられないと軽く落ち込む。
私のは、隙間に物を詰めていく荷造り方式だ。
空港でスーツケースを開けるハメになった時の
見栄えを考えて、とりあえず、
スーツケースの一番上はコートを広げて全体を覆っておく。
コートはシワが気にならなタイプが好ましい。

こだわりも何もあったもんじゃないよなと、自分でも思う。
旅をすればするほど
荷造りのフリースタイル度が増す自分に苦笑し、
ふと思い出した。
そうだ!
私にも、旅に必ず持っていくものがあったじゃないか。
いつも儀式のように、スーツケースの最後の隙間に
ぎゅっと詰め込むもの、それが「毛糸の靴下」だ。

完全にムーミンママの影響だ。
ムーミンママのハンドバックの中には
急場しのぎのものが入っている。
そのうちの一つが、乾いた靴下。
乾いた靴下なんて? と思うかもしれないけれど、
足が濡れていないって、気ままに歩きたいとき、
一番大事なことじゃないかと思う。
足が濡れてなければ、大抵のことは気にならなくなる。
大雨の中でピクニックになっても、
苔むした森の中で迷子になりかけたって、
足が乾いてたら、あんまり辛くない。
行き当たりばったりで泊まった宿の隙間風がひどくても、
足がぬくぬくしていれば、
それほどひもじい思いをせずに済む。
さすが、ムーミンママだ。

毛糸の靴下は、結局使わないことも多い。
それでもいい。
私には実用であると同時に、
旅のお守りにもなっているのだ。

真っ青な空を見上げたとき

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真っ青な空を見上げたとき、
ずーと遠くに飛行機が飛んでいるのを見ると、
なぜだか行きたい、行かなくちゃ‥‥どこかに──、
そう思う。

すぐにネットで、
どこに行く?
行きたい国はどこ?
そう自分に問いかけながら、
チープなツアーの中から
できるだけ自由度の高い旅をチョイスする。

旅支度は年々簡素になった。
前はあれもこれも、
何かあったら便利よねと
トランクを一杯にしていたけれど、
帰ってきた時、半分近くは未使用‥‥なんだかなぁ。
今はなんとかなるでしょう、と、
本当に少ない荷ものを目指している。

でもパッキングは美しく。
これは年々こだわりが出てきている。

職業柄、多くの旅の方にお会いする機会がある。
素敵な方がさりげなくバッグのなかからものを出された時、
思わず「すみません、バッグの中を見せて下さい」
と言いたくなるくらい、
一つ一つをていねいにパッキングなさっている方に、
憧れがあるからかもしれない。
トランクを開けたとき、
「完璧!!!」と自分自身が喜ぶことを目指して、
旅に持って行くものを選びたいと思う。
本当に自己満足の為だけれど。

旅の服も、長時間の飛行機、
長時間のバス移動を優先して、
軽くて、着心地が良く、皺にもなりにくく、
でもおしゃれ感もあって‥‥と、
最近、そんなふうに思うのだけれど、
コーディネートはなぜだか毎回同じもの。
その時はあんまり気付いては無いのだけれど、
写真を見たら、
「あれ?! ほとんど毎回同じ服じゃない?」

そうなのです。
軽くて、着心地が良くて‥‥となると、
似たようなものになってしまう。
毎年何かしら新しい服も買っているのに、
旅の服となると何年も同じ服を着ている。

そう考えると、
着心地の良い服や旅に持って行きたい服は
多くは要らないから、しっかりと考えて。
本当に上質な心地よさのものに出会ったとき、
手に入れ、好きなものを大事に着ていきたい。

同じように旅の目的も変わってきていて、
今の旅は、知らない国や町を
「今日は300kmバス移動です」
なんて云うハードなスケジュールが大好き。
バスに揺られて何も考えず、
過ぎ行く景色をぼーっと見る時間がなんとも心地よい。

お昼時、着いた町で
「解散!!」の声と同時に
美味しそうなレストランを見つけ、
贅沢な食事じゃ無くても、
まずはビール!!!

そして町を眺める。

そこにある日常の風景、人、町並み、空気‥‥。
観光ツアーなのに、多くを見なくていい。
その町を感じていたい。

もうひとつ、仕事柄ホテルを見るのも楽しみの一つ。
素敵なホテルに出会ったとき感じる心地よさに、
いいな、ここで暮らしたいな、と思ってしまう。
でも、よく考えてみると、
素敵だな、と思うホテルは
ちっとも非日常的ではなく、
逆に日常を大切に、
何でもない事を大事にしている。
インテリアや醸し出す空気は、
バリバリのカッコよさでは無いけれど、
うぅ、何だかすごくいい‥‥好き、と思うのだ。

旅は色々なことを感じて考える時間。
だから時々無性に行きたくなるのかもしれない。

空を見上げたとき‥‥。

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