REPORT

saqui 岸山沙代子さんのこと。

雑誌・書籍の編集者だった
岸山沙代子(きしやまさよこ)さん。
わたしたちは彼女が集英社
『LEE』の編集部にいた時代から
存じ上げていたのですけれど
(そりゃあ、すご腕でした)、
「saqui」を立ち上げ、
ファッションデザイナーになるという
おおきな転身をすると聞いたとき、
ずいぶん驚いたものでした。

その岸山さんがずっと担当してきたのが
ほかならぬ、伊藤まさこさん。
ふたりの出会いや岸山さんの転身のこと、
めざす服づくりのことなど、
岸山さんにインタビューをしてきました。

お話は、岸山さんの「そもそも」から。
服と編集、どちらをめざしていたの?

ちなみに伊藤さんは、
岸山さんの大きな人生の決断について
「そんなに驚かなかった」そうですよ。

最初に勤めたのは、
手芸・服飾系の出版社でした。
だから、そもそもを言うならば
「どちらも」目指していたんですね。

大学は家政学部で被服を専攻しました。
繊維のことなど、理論系の勉強です。
そのころの夢は、いつかパリに行くこと。
といっても具体的ではなく、目的もなく、
10代の女子の、ぼんやりした夢でした。

被服の勉強をしながら、
実践的な服づくりのことがもっと知りたかったので、
大学に行きながら服飾系の学校の夜間部に行き、
デッサンやデザイン画から勉強しました。
大学卒業後はさらに1年間、
ファッションの専門学校のアート科に。
けれどもそこは、賞を狙うような、
モード系、ハイファッション系のデザイナーの卵が
あつまるような場所で、
わたしはそういう世界やデザインに興味がもてず‥‥。
自分で縫う技術も足りなかったので、
怖い先生のもと、すこしへこんだりもして、
大学のときから同時にやりたいと考えていた
編集の仕事をしようと、
服飾系の出版社に就職をしたんです。

服づくりの月刊誌編集部に配属になり、
製図の担当になりました。
毎号、すぐに使える製図が
付録としてつく雑誌だったんです。
思えばそのときの経験、
つまり「服をつくるための平面とは?」
ということが徹底的に頭に入ったことが、
のちのちすごく生きてくるんですが、
当時はそんなこともわからずに、
ただ必死に仕事をしていました。
もちろん製図だけではなく、
特集や記事にもかかわりながら、
3年間をすごしました。

その仕事をしながら、平面だけではなく、
もっと広い世界が知りたいと、
立体裁断の学校に通いはじめました。
「東京立体裁断研究所」というところです。
そこで近藤れん子先生に出会ったことが、
わたしの大きな転機になったように思います。

服をつくるのに必要なことは、
数字、つまり寸法である、と思っているわたしに、
近藤先生は「そうじゃない」ということを
教えてくださいました。
先生は、欧州への渡航が制限されていた
船旅の時代にパリに行き、
5年間、洋服づくりを学び、
バレンシアガに勤めたのち、
帰国して研究所をつくられたかたです。
教えてくださることは、
ほんとうに実用的であり、
また、理想的なものでした。

立体裁断というのは、
布を平面に置いて考えるのではなく、
じっさいに着用するときのようにトルソに下げて、
布が重力でどう落ちるかをみながら、
また、その布がどういう構造なのか、
人のからだはどう動くのか、
着用したときの関節や筋肉の動きまで考えて
布を裁断し、デザインしていくという手法です。
パリのオートクチュールのテクニックで、
それをしっかり理解をするためには
「寸法だけに頼ってはいけません」
というのが先生の教えだったのです。

じゃあなにを指針にするのかといえば、
「もうとにかく、目で見て、
きれいかどうかっていう、それだけだから」と。
目からウロコでした。

けれども、そうやって服飾の世界に魅かれながらも、
同時に編集の仕事でも
キャリアアップをしたいと考えたわたしは、
べつの出版社に転職をしました。
そこで実用書の編集部に配属になり、
かねてから一緒に本をつくりたいと思っていた
伊藤まさこさんにお声掛けをしたんです。
当時伊藤さんは『こはるのふく』という
子供服の本で有名になっていて、
4、5冊くらい著作を出されていた頃だと思います。

そこで伊藤さんと一緒につくった本は2冊です。
子供服のソーイング本『少女の服』と
大人のためのソーイング本『Robe Rouge』。
じぶんの持っていた知識や経験のすべてが生きました。
よし、やりたいことはできたぞ、
そんなふうに考えていたおり、
先輩の編集者から、
大手出版社が女性誌を拡大するにあたって
外部スタッフが必要だから、
あなた、来ない? と誘いが。
それを機に会社を辞め、フリーランス契約で
集英社の『LEE』編集部に入ることになりました。

『LEE』でも引き続き伊藤さんの担当をしました。
充実し、忙しい毎日でしたが、数年経ったころ、
年齢は33か34だったと思いますが、
ふと、こう思いました。
「編集者も10年やった。
さあ、これからどうしよう?」
と。

わたしは社員ではないけれど、
ずっと編集の仕事をするという道もあります。
でも、10代のころから
パリに行きたいという夢もあったじゃないか。
そんなことを考えました。
もっとも、10代のころとかわらず、
「思い切り洋服の勉強をしよう」
なんて決めていたわけではないんです。
それは向こうに行ってから考えればいい、
なんならワインの勉強でもいいかな?
くらいに考えていたんですね。
でもその気になったわたしは、
そこから2年間お金を貯めて、
3年間、パリに留学に出ることにしました。

「編集者をやめて、パリに行きます」

伊藤さんには、そのことを編集長よりも先に伝えました。
そうしたら伊藤さん、驚くこともなく、
「ふぅーん」って。
「決めたんなら、いいんじゃない?」って。
背中を押してもらったような気持ちでした。

パリでの1年目は語学学校に通いました。
そのなかで、友人の家に行ったとき、
部屋に洋裁のミシンと、
パターンが置いてあったのを見て、
「ハッ!」と。

「これだ、これ。これだよ。
これを勉強しなきゃ!」

一気に洋服づくりへの道が見えました。
そこで語学の学校に行きながら、
夏休みからパターン専門の学校に
入学をしたのでした。

パリにはいろいろな洋服の学校があるのですが、
パターンの学校を選んだのは、
自分が洋服をつくるのに
足りない技術がそれだったからです。
そこであらためて平面と立体を学びました。
そして単位をとるために行った
オートクチュールのアトリエで、
ほんとうに美しいものをいっぱい見ました。
派手なだけの生地に目が奪われることなく、
質のよい黒い生地こそ
洋服にしたら仕立て映えする、
そんなことを教えてくれたのも、パリでした。
いま、saquiの服づくりも、生地ありきです。
よい生地を見たとき、
こういうかたちをつくりたい、
というふうに頭に服がうかびます。

やがてパリでの3年が経ちました。
わたしは2度引っ越しをし、
貧乏はしていましたけれど、
街にもずいぶんなじんだころでした。
パリに残るという選択肢もあったのでしょうけれど、
しょうじき、お金が尽きました。
たとえばモデリスト(パタンナー)として
どこかのアトリエに就職することも考えられます。
でもわたしはモデリストになりたいわけじゃない。
かといってデザイナーになりたいわけでもありません。
デザインとパターン、両方をやりたい、
1から服がつくりたいんですね。
しかし、パリで独立して仕事場を探して開業するのは、
資金の問題、ビザの問題、
さまざまな問題が立ちふさがり、
とてもむずかしいことに思えました。

なんとしてでもパリにいたければ
たとえば日本の雑誌編集部に営業をかけ、
フランス在住のライターとして仕事を受ける、
という道もあったのだと思います。
けれどもそれはそのとき、
わたしのやりたいことではありませんでした。
そこまでしてパリにいることを優先するのではなく、
服がつくりたいということを考えて、
日本に戻ることを決めました。

この話をすると伊藤さんは
「そんなに悩んでたんだ!
でも、また行けばいいじゃない?」
とおっしゃるんです(笑)。
そうですよね、日本できちんと仕事をして、
いずれ向こうに行ってもいいわけですよね。
いまでは素直にそう思えます。

それで日本に戻ったんですが、
貯めたお金はパリで使い果たしてしまったので、
開業資金がありません。
そこでしばらく、また、
編集のお手伝いをしたんですが、
わたしが不器用なものですから、
すっかり編集業に熱中してしまい、
「洋服がやりたいのに、編集が忙しい!」
みたいになっていきました。
それを伊藤さんが見て、おっしゃったんです。
「もうね、編集はやめて、
こっちの仕事に専念しなよ」と。
「私はあなたが洋服を作ることを、応援するから」って。
また、背中を押されました。

そこで、とにかく服をつくりはじめたんです。
まだアトリエもブランド名もなく、自宅で、
「SAYOKO KISHIYAMA (サヨコキシヤマ)」
というタグをつけて、
妹にスーツを縫ったり、
友人のワンピースをつくったり。
そのうち、伊藤さんがわたしのつくった
コートやワンピースを着てくださったのがきっかけで、
いろんなところから反響をいただき、
「じゃあ、コレクションをつくってみよう!」。
それが「saqui」の立ち上げとなりました。
2016年のことでした。
そこから年2回、コレクションを発表し、
受注をとり、服をつくっています。

いまも、saquiの服は生地優先です。
ほとんどがインポート生地です。
日本のインポート専門の生地屋さんに
お願いすることもありますし、
年に一度はパリに行って、
いろんなメゾンが要らなくなった生地を扱う
生地屋さんで買うこともあります。
気に入った生地があると値段を気にせず
仕入れてしまうこともあるので、
いろいろな意味で、まだまだたいへんです。

saquiでつくりたい服を言葉にすると──、
まず「らく」。
そして「ちょっとスタイルがよく見える」。
さらに「着心地がいい」
「形がきれい」「女性らしい」、
そんなキーワードになります。
伊藤さんは
「saquiに来ると、なにかほしいものが見つかる」
と言ってくださっています。

ブランドを大きくすることをめざすのではなく、
まずは自分の裁量で、できることをする。
そんなスタイルですから、実店舗をもたず、
自社のオンラインストア、
セレクトショップ、展示会、
口コミでいらしてくださるお客様が主体です。

今回、わたしの何度かの節目をご存知で、
いつも背中を押してくださった伊藤さんと、
こんな場がつくれたこと、
ほんとうにうれしく思っています。

2018-07-22-SUN