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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-03-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・すっかり有名になってしまった大谷翔平選手のことば
 「憧れるのをやめましょう」は、
 憧れてきた人たちに向けたものだった。
 この日だけは、「憧れのあの人たち」と戦うのだ。
 いまこのときは憧れに満足する日ではなく、
 憧れと対戦して勝つために用意された日なのだ。
 いやぁ、こう、思い出しながら書いているぼくも、
 身震いしたくなるようなことばだ。

 いま、あらためて「憧れ」のことを考える。
 あの場で「憧れてきた人たち」とは日本の選手たちだ。
 彼らはまた、日本では「憧れられてきた人たち」なのだ。
 そして、球場に集まった人たち、
 テレビの実況中継を待っている人たち、
 ニュースに喜んだり驚いたりする人たち、
 みんなが「憧れ」を持っている。
 いいなぁ、それはいいなぁと思うのだ。
 「希望」が少なくなったという時代でも、
 「憧れ」はちっとも死んでいない。
 スポーツ選手だけじゃなく、ショービジネスの人たち、
 発明する人、改善する人、きれいにする人、つくる人、
 がんばる人、やさしい人、あかるい人、手伝う人、
 運のいい人、惜しかった人、憎めない人…けっこう、
 いろんな領域のさまざまな人たちが、憧れられている。

 「ああだったらいいなぁ」というのが「憧れ」なのかな。
 そういう意味では、無口な職人さんだとか、
 親切なおばちゃんだとかが憧れられているのはよくわかる。
 咲く花だって、無邪気な目をしたどうぶつだって、
 だれかから憧れられていると思う。
 世の中的には好ましくない存在とされている
 ギャングや悪党の皆さんに憧れている人もいるし、
 「憧れ」を利用して人を騙している人だっているだろうよ。
 しかしそれでも、「憧れ」というものがまだあって、
 「希望」や「夢」がしぼんでしまっている世の中に、
 「憧れ」だけは、いまも生まれ続けているのは、
 疲れ果てているようにも見える人間の世界が、
 まだ生きて脈打っているということではないだろうか。

 そういえばと思うと、ぼくはいつも憧れているよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「愛されるより愛したい」と「憧れる」は、似ているのかな。

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