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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-03-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・これは、ぼくの狭い考えのひとつですが、
 人は、35歳から50歳までの間を、
 なんだったらほとんど同じ調子で生きられるんです。

 0歳から人はずっと成長し続けて、
 だいたい25歳くらいまで目に見えて大きくなります。
 心身ともに、赤ん坊から大人になっていく25年です。
 で、35歳くらいになると、子どもの背丈じゃないけれど、
 その人が伸びるところについては、
 だいたいの目処がついて、いちおう、
 「その人」の完成形みたいなものが仕上がります。
 そこから、そのときの実力のままで、
 50歳くらいまでなんとか生きられます。
 見た目はそれ相応の年の取り方をしていきますが、
 35歳のころの力のままで行けちゃうんですよね。

 だけど、この35歳から50歳までの15年間に、
 実は、道は二手に分かれるように思うのです。
 「だいたいこれでいい」と止まってしまう人と、
 「まだ先はあるけど、なにができるだろう」と思う人に。
 ほんとうは、「まだ先はある」が現実なんですが、
 それを意識しないでも50歳くらいになれるから、
 2周目の人生が来ないままの人も大多数になります。
 これは生きものとして自然なことかもしれないし、
 それでいいと言えば、それでいいんです。
 ふつうに、老いるという道のりですから。
 昔なら、人間の寿命がもっと短かったですしね。
 タレントさんとか、世の中のいろんな有名な人を見てても、
 どっちかの道を行ってるなぁと思いませんか。
 2周目の人生をおもしろく生きている人たちは、
 35歳くらいの「完成形」の先で、挑戦してるというか、
 なにかと変化をし続けているように見えるんです。

 「おまえはどうだったんだ?」と訊かれたら、
 ぼくは、いろんな偶然が重なって、35歳から50歳は、
 じたばたせざるを得なかったと思ってます。
 そのおかげで、50歳から後の2周目がおもしろくなった。
 運がよかったということのようにも思えます。
 35歳くらいの「完成形」の時期から、
 惰力で生きていくには、その後の時間は長すぎるんでね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
35の2倍生きても、まだ70なんだ。あまりにも長いだろう?


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