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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-05-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・人のしゃべったり書いたりすることのなかには、
 三層のちがう種類の内容があって、混じりあっています。
 これは、なにかの学説とかではなく、
 ぼくの考えなので、そのつもりで読んでください。

 まず、第一層は「じぶんではっきりわかっていること」。
 「わたしは、さっきタクシーに乗った」だとか、
 「わたしはバナナが好きで、よく食べている」だとか。
 日常の近くで交わされる会話は、この第一層が多いです。
 次に、第二層は「じぶんでわかりかけていること」。
 「好きな人のことを、嫌いになることはあるよな」とか、
 「人は、ものをもらってもよろこばないこともある」とか
 「子どもが持ってて大人が持ってないものがある」とか
 いろいろあるけれど、だいたいそう思ってるということ。
 そして、第三層にあるのは、
 「森鴎外が住んだ家に、その後夏目漱石が住んだ」とか、
 「ブラックホールは極めて高密度で強い重力のために
 物質だけでなく光さえ脱出することができない」とか、
 じぶんがたしかめたり関わったりすることは無理だが、
 「そういうことになっている」という知識です。
 だいたい、この三層は混じりあっているのですが、
 ものを教える仕事の人は、わりと第三層の話をするし、
 じぶんひとりで自問自答して考えたり、
 親しい人とゆっくり話していると第二層になりがちです。

 映画の封切りのとき舞台挨拶がありますよね。
 あんなときも、三つ層の話が入り混じります。
 「戦後の貧しくても強く生きた男女の
 愛と別れを丹念に描いた作品です」
 というような第三層の発言もあるでしょう。
 そうかと思えば、第二層の感想も語られます。
 「嫌われるように別れるように動いてしまう裕子に、
 演じながら共感するところがありました」
 というような感じかなぁ。
 そして、ちょっとベテランの俳優とかが、
 「撮影が、もう一年半以上も前なので、
 よく憶えていないんですよね」などと言ったりもします。
 これは、もう、もちろん第一層の話です。
 どれかの一層だけで進んでいく時間よりも、
 三層すべてのバランスのある話が、おもしろいですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
という、今日のこの話は主に第二層のあたりの内容かなぁ?


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