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ほぼ日刊イトイ新聞

2025-05-14

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

谷川俊太郎さんが、
 「ラジオ少年」だったことは、よく知られている。
 じぶんでラジオを組み立てていたことと、
 大人になってから古いラジオのコレクションもしていた。
 ラジオって、ことばもいいなと思う。
 谷川さんの少年の時代には、その時代なりの
 趣味やら遊びやら買い物やらがあったろう。
 たぶん、ラジオを組み立てるという「遊び」も、
 そういう時代のひとつの流行りだったような気がする。
 機械の部品を集めて、それをくっつけたりつなげたり
 組み立てたりしていくと、
 ある瞬間から声が聞こえてくるというのは、
 科学と魔法がつながったような快感がありそうだ。
 谷川少年が、そのうれしさを感じているところを、
 さらに想像すると、こっちまでおおおという気持ちになる。
 だってねぇ、ネジやら、電線やら、つなげていくと、
 まったくそこにはなかったはずの声が聞こえてくるんだよ。
 知ってるからそれほどびっくりはしないだろうけれど、
 空から声が降ってくるようなものだからね。
 来た!って思うに決まってる
 (あ、それは水のなかの魚が糸の先につながるときと
 似ているような気もするな)。

 これは、もうぼくの妄想でしかないのだけれど、
 詩ができるというのも、組み立てていたラジオから、
 ことばが聞こえてくるようなものかもしれない。

・それはそうと、何度も何度も同じことを言ってるのですが、
 ずうっと同じことを思っているから、言ってるのでしょう。
 「アイディア」が、むやみにあるといいな、と。
 いいとかわるいとか決めることも後回しにして、
 泉のように「アイディア」が湧いてくることを望んでます。
 たとえば「温泉まんじゅう」ひとつつくるにしても、
 それは「温泉まんじゅう」というコンテンツですよね。
 いくらでも「アイディア」は必要なのです。
 味、かたち、材料、つくり方、売り方、人手、
 お店は包装のデザインやストーリーなども含めて、
 「アイディア」を出す「場」はいくらでもあります。
 後にそのうちの90%を捨ててしまうにしても、
 無数の「アイディア」を出しておく必要なあるのです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いいアイディアって、AIくんも出してくれないんですよね。


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