お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2022-05-25

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・用事があって、またとんぼ返りの京都です。
 新幹線の座席は満員とは言えないまでもいっぱいで、
 ああ、かつてはいつもこうだったなぁと思い出しました。
 非日常のなかにずっといると、それが日常になります。
 コロナウィルスに対しての感染対策をしているうちに、
 それが「いまだけ」のことではなくなっていって、
 とうとう2年以上も「対策」をしてたんですよね。
 そして、いまもそれは続いていて、
 「対策」をしないでいた日常があったことを、
 もうすっかり忘れかけていました。
 でもねー、ほんとはそっちが非日常だったんですよね。
 妙な感覚だなぁ、家の外にいるほとんどの時間は、
 当たり前のことのようにマスクはしているし、
 ことあるごとに石鹸で手を洗っています。
 そういうことが習慣になっているおかげで、
 インフルエンザの流行もずいぶん抑えられたそうですね。
 ぼくの個人的な感覚なのですが、マスクをしていることで
 乾燥した空気を呼吸しなくて済むせいか、
 のどの調子がよかったような気もしています。

・2月24日からのウクライナのニュースも、
 だんだんニュース一覧のトップではなくなってきました。
 いずれそうなっていくのだと予感はあったのですが、
 ほんとうに「いくつかのニュースのうちのひとつ」
 のようになってきています。
 戦争は、まったく終わっていないし、
 いまも身の危険を感じながら生きている人たちがいて、
 今日も失われている命があるのですが、
 しだいにそのことへの痛みも日常化してしまいます。
 大きなニュースになっていないところで、
 あの日からのことが続いているのを知っています。
 そして、それを思うと、いつも考えが止まってしまう。
 考えばかりでなく、よろこびや悲しみという感情まで、
 いったん止まってしまうような気がします。
 身の回りのことをよろこんではいけないわけじゃない。
 なにか効果的なことができるわけじゃない。
 そういうことはわかっているのに止まってしまいます。
 コロナのこととずいぶんとちがうようです。
 こんな非日常が日常になってはいけないのですが、
 困ったり祈ったりをしながら、できるだけ元気でいます。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくらが下を向いていて、だれかよろこぶ人もいないと知る。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る
ほぼ日の學校
吉本隆明の183講演
ドコノコ
ほぼ日アプリ
生活のたのしみ展
TOBICHI東京
TOBICHI京都