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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-08-01

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・オリンピックのことも、もちろん観てるし気にかけている。
 新型コロナウイルスやワクチンなどなどについても、
 いまでも感じていることもあるし考えることも止まらない。
 それもそうなんだけど、やっぱり、ぼくの頭のなかでは
 「ほぼ日の學校」について考えることが飛び抜けて多い。

 「ほぼ日の學校」での学びというのは、どういうものか。
 厳しい修業をして免許皆伝を授けられるものではない。
 専門家が集まっている場で、最先端を目指して
 切磋琢磨するというようなこともない。
 「少しずつ真似ていけばこれくらいできるようになるよ」
 というようなノウハウを教えるというものでもない。
 そうかといって、知ったかぶりのための娯楽ではない。

 回りくどい言い方になるけれど、
 「とても学びたくなるような人のそばで、
 わかることもわからないこともあるけれど、
 うれしい気持ちで話を聞いている」というような感じ。
 そして、もっと知りたくなったら、
 その人の書いた本を読んでみるとか、
 そのテーマについてさらに学びたくなったら、
 そこにリンクをつなげていけばいい、ということだろう。

 喩えて言うなら、夏目漱石がよく行っている料理屋で、
 たまたまあなたが隣り合わせに座ってしまった。
 漱石先生は、近くのご友人だかとたのしそうに話している。
 小説の話なのか留学の思い出なのか、酒の肴のことなのか、
 寺田寅彦のような人がうなづいているのかもしれない。
 その話は、文学に詳しくないぼくやあなたが聞いていても、
 おそらくとてもおもしろいのだ。
 ぼくやあなたは、話のおもしろさや、漱石先生の熱心さや、
 文学だかの奥深さに敬意を持って、もっと聞きたいと思う。
 そんな感じが「ほぼ日の學校」なんじゃないかなぁ。
 ぼくは関係者ではあるのだけれど、そんな生徒のひとりで、
 例えば「真鍋政義先生」の話を聞いているものだから、
 昨夜の女子バレーボールが、さらにおもしろくなっていた。

 こういうある種の気楽さと自由さで見聞を広めるって、
 「観光」に近いのかなぁと思えるようになってきた。
 「知の観光旅行」というと、ちょっと大げさなんだけどね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
訪れた土地には、なんとなく親しみや敬意も生まれますよね。


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