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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-09-29

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「切り替えが早い」というほめられ方がある。

 なにか、あまりよからぬことが起こったとき、
 それはだいたいが「大いに反省するに足る」ことであり、
 「すぐに取り返しがつくような」ことではなくて、
 関わった者は「大いに心を傷めるべき」こととされる。
 そういう場面では、「切り替えが早い」人間は、
 非難されたり攻撃されたりもすることになる。
 ほんとは「よからぬこと」の種類にもよるのだろうが、
 現実的になにかを「よい方向」にもっていくためには、
 切り替えられずに深く反省したり悲しみにくれているより、
 早く切り替えたほうがいいのだろうと思う。
 しかし、それをわかっていながらも、
 「切り替え」を早くするのは、ほんとうにむつかしい。
 他人ばかりじゃなく、じぶんの「感情」も
 なかなか納得してくれないからである。
 「切り替えが早い」と思われると、
 「誠心誠意でない」とも感じさせてしまうのである。

 この世に「喪」に服すという約束があるのは、
 かえって気持ちをらくにしてくれるものだ。
 それがなかったら、いつまで悲しんでいいのか、
 じぶん自身がわからなくなってしまうからである。
 作家の村松友視さんが、かつて、なにかのときに、
 夫の弔いのために急いで喪服を用意する妻、
 という例をあげていたのを思い出す。
 深い悲しみを表現しようがおかしくない場面ではある。
 なにも手につかずに泣き続けていることもあり得る。
 しかし、表情を素に戻し、喪服を着付けて、
 参列した方々に向けての挨拶をする。
 悲しんでいないのではなく、悲しみを奥に仕舞っている。

 「切り替えが早い」と言われる人が、
 からっとして陽気な性格であるとはかぎらない。
 「いま、なにをするのがいいか」を真剣に考えていて、
 それをなんとかしようということなのではないか。
 ぼくは、勝手に、そういう人に憧れている。
 正直なところ、なかなかそういう境地には近づけてない。
 でも、人から苦笑まじりにでも、
 「あいつは切り替えが早いからなぁ」と言われてみたい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
スポーツ界でも安定した活躍をする選手は切り替えが早い。


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