REPORT

100冊の古書[3]

今回、上田のVALUE BOOKSといっしょに
伊藤まさこさんが選んだ古書、およそ100冊。
伊藤さんみずから解説します。

37『呑めば、都 ─ 居酒屋の東京』マイク・モラスキー

生まれと育ちはアメリカ、
でも味覚と肝臓はすっかり日本人という著者が
日本の居酒屋の魅力を語ります。

といっても、
外から来た人の俯瞰した目‥‥ではなく、
もはや日本人以上に日本人の語り口。

そりゃそうだ! というタイトルにも、
思わず引き込まれました。

38『時をかけるヤッコさん』高橋靖子

スタイリストの草分け的存在の高橋靖子さん。

デヴィッド・ボウイや矢沢永吉、忌野清志郎など、
「とんでもないエナジーを持った」
スーパースターから、最近では、
オカモトズやももいろクローバーZをスタイリング。

いつも時代の先っぽにいる、
お転婆ヤッコさんのエッセイです。

39『幸せについて』谷川俊太郎

夏だったら、洗いざらしのベッドリネンに
体をすべらせた時。

冬だったら、ぬくぬくの毛布にくるまっている時。

おいしいものを食べている時。

好きな人が笑っている時。

「幸せ」について考えたら、
こんなことを思ったけれど、
でもじつは、幸せについてなんて考えない、
ふつうの毎日を送れていることこそが、
幸せなのかもしれないね。

40『池波正太郎のそうざい料理帖』池波正太郎/矢吹申彦

今日のごはん、何にしようかな?
自分の台所を持ってからは、
自分で好きなものを作れるのがうれしい。
けれど、それがめんどくさいこともある。
そんな時のために、そうだこんな風に、
食べたものを記しておけばいいんだ。

折詰の鯛の塩焼き
調理は塩と酒のみ
加えるのは豆腐のみ
薬味は刻み葱のみ
たとえば「鯛の塩焼き鍋」は、こんな風。
イラストとともに、
書かれたのはシンプルきわまりないメモ書き。
それがいかにもおいしそう。

41『Q健康って?』よしもとばなな

だれでも、健康でいたいって思っていると思うのです。
ことに年齢を重ねれば重ねるほど。

この本は、
健康のために「こうするとこうなる」というメソッドが
細かく載っているわけではありません。
それでも会話の中に、
あらゆる「そうなのか!」ということが
散りばめられていて、
読み終えたあと、なんだか自分の中に
新しい風が吹き込んできた、
そんな気分になるのです。

「病気も含めて、
その人らしいエピソードに満ちた人生になる。」

「体が生きたいように生きる
『身がまま』になることがベスト。」

そうなのか、そうなのかって。

42『愛する言葉』岡本太郎/岡本敏子

岡本太郎さんは青い字で。
岡本敏子さんは赤い字で。

それぞれの言葉は、純粋でまっすぐで、
目が離せなくなってくる。

「相手がすべてを捨てて、
こっちに全身でぶつかってくると、
それはやはり全身でこたえる。」(太郎さん)

「愛する」ってパワーがいるのだなぁ。
私にはできそうにないけど、
できそうにないからこそ惹かれるものがあるのです。

43『人生の道しるべ』宮本輝/吉本ばなな

宮本輝さんと吉本ばななさんの対談集。

タイトル通り、
人生の道しるべについて、
おふたりが語っているのだけれど、
その中で赤毛のアンの話が出てきます。
赤毛のアン!
すっかり記憶の向こうに置いて行ってしまった本なだけに、
なぜだか猛烈に読み返したくなったのでした。

全部、読み終えたらまたこの本が読みたくなるでしょう。
きっと新しい発見があるにちがいないから。

44『<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ』

新潮社のとんぼの本が、何周年だったか
何冊目だったかの節目の年に、
とんぼの本について何か書いてください、と言われて
迷わずえらんだのがこの本でした。

器、料理、服、買いもの、旅。
食いしん坊に贈る100冊の本、なんてのもあり。

向田さんを知る手がかりが、
この本にはぎゅっと詰まっているのです。

気風がよく、でもどことなく女らしい。
時にはおっちょこちょい。
私の憧れが形になったような人、
それが向田さんなのです。

45『かるい生活』群ようこ

年齢を重ねると、だんだんと、
「あれ? こんなはずじゃなかったのになぁ」と
嘆くことが多くなってくるもの。
新陳代謝のおとろえとか、
顔や体のたるみとか。
体だけでなく、
いろいろなことやものが、すこーしずつ重くなってくる。
そう、生きてきた分の重みがずしりと‥‥。

ベランダのゴミ、服、家族のしがらみ、
体の水分‥‥。

いろいろなものを軽くしたら、
気持ちも軽くなってきた、
そんな群さんのエッセイです。

46『森正洋の言葉。デザインの言葉。』森正洋を語り・伝える会/ナガオカケンメイ

森正洋さんがデザインした、
G型しょうゆさし、という醤油差しを知っていますか?
「知らない」そう思ったあなたでも、
きっとどこかで目にしているはず。
テーブルにひっそり馴染むその姿は、
とても「ふつう」。
でもその「ふつう」の中に、
さまざまな意匠が凝らされているのです。

「『あなたはそういうけれども、
やっぱりこれはいいんじゃないか』
『私の生活にはこれがいい』と、
自分なりのものの見方を身につけなければいけませんね。」

日本を代表するプロダクトデザイナーの言葉は、
もの作りをする人の心(そうでなくても)に、
きっとずしりと響くことでしょう。

47『イギリスだより ─ カレル・チャペック旅行記コレクション』カレル・チャペック

20代の頃、グリーンフィンガーに憧れて読んだ本が
カレル・チャペックの『園芸家12カ月』でした。
それから、この本は入れ替わりの多い我が家の本棚で、
ずっと変わることなく置いてある。
本棚にあるだけで、
なんだかほのぼのうれしいのです。

この本は、
フォークストン、ロンドン、ケンブリッジ、
オクスフォードなど、
イギリスのあちこちを訪れたチャペックの旅行記。
読み進めるうちに、自分がなぜだか
ご機嫌になっているのが、
チャペックの文の不思議なところ。
マダム・タッソーの蝋人形館の話に思わずクスリ。

48『秘密のおこない』蜂飼耳

蜂飼耳さんの本を読むのは、はじめてです。
だから「はじめまして」という気持ちで本を開いたら、
ぱらりと紙が出てきました。
あれ? と思ってよく見ると、
それはサインをする時に
向かい合わせのページに
インクが染み込まないようにするための紙。
そう、これはサイン本なのでした。

どういういきさつで、
今ここにあるのか?
本のいきさつをあれこれ推測できるのも
古書の楽しみのひとつです。

49『あの人に会いに』穂村弘

この本で、穂村さんは
「よくわからないけれど、あきらかにすごい人」に
会いに行き、話をします。
谷川俊太郎、荒木経惟、吉田戦車、
横尾忠則、宇野亜喜良‥‥。

「溢れそうな思いを胸に秘めて、
なるべく平静を装って。」

対談では「なるべく平静を装った」
穂村さんを感じますが、
「逢ってから、思うこと」という対談後記では、
じつはその時、
ひそかに緊張や興奮、高揚していたことが読み取れて、
なかなか興味深いのです。

50『高峰秀子 旅の流儀』高峰秀子

「寝心地のよいベッドと清潔なシーツと、タオル。
洗面所にお湯が出て、
エアコンが完全ならば、他のものは一切いらない。」
ホテルに「由緒」とか「最古」とか。
そんな肩書きは必要ない、という高峰さん。

日常を凝縮したもの、それが旅。
したがって旅の流儀は、
その人の流儀になるのではと思うのです。

51『完本 山靴の音』芳野満彦

山はおだやかでやさしく、
包んでくれるような大きさがあるかと思うと、
時おりとんでもなく意地悪でのっぴきならない。
山の近くに住んでいる時、
よくこんなことを思ったものです。

それと同時に、
私たち人間は自然の一部。
よく考えれば当たり前のことに
気づかせてくれたのも山なのでした。

のんきな山歩きをしている私の、
何倍、何百倍も山に近い
アルピニストの著者が感じる山とは?
ひそかに思いを寄せていた彼女から借りた
ピッケルの話が、
切ない。

52『すてきなあなたに よりぬき集』暮しの手帖編集部

かつて「暮らしの手帖」で
連載をしていたことがあります。
その時に、楽しみにしていたのがこの
「すてきなあなたに」のページでした。

この連載が始まったのは、1969年。
当時の編集長の大橋鎮子さんは、
「なにもない普通の暮らしのなかで出会った、
いろいろなことや、
お目にかかった何人もの方々のお話しの中から、
私が大切に思い、すてきだなぁと思い、
生きていてよかったと思ったこと、
私ひとりが知っていてはもったいない、
読者の皆様にもお知らせしたい。」
そう語っています。

「普通の暮らし」の中から生まれた、小さな話。
どの家にも、どんな人の心の中にも、きっとある。
あるけれど、それに気づくかどうか、
それが肝心。
気づける人になれたらいいね。

53『パリ仕込みお料理ノート』石井好子

時おり、
無性にサンドウィッチが食べたくなることがあります。
食パンを買いに走り、
バターをぺたぺたと塗って、
野菜やらハムやら、
焼いた卵やらをはさんでがぶりとやる時の、
幸福ったら!

「冷蔵庫に首を突っ込んで、
二枚の食パンにはさみきれないほど野菜や肉を積み重ね、
大口を開けて食べる。
ときには風呂場まで持ち込んで食べる。」
石井好子さんのエッセイに出てくる、
アメリカのブロンディーという漫画の亭主
ダグウッドのくだりが、
まるで、サンドウィッチを食べる時の私のようでおかしい。

大口を開けて食べる時、いつもこの一文を思い出すのです。

54『北大路魯山人』小松正衛

昔よく行っていた蕎麦屋の箸おきが、
なにやらよいかんじだったので、
いいですねぇと撫でながら褒めると、
なんとそれは北大路魯山人の作ったものでした。
その人の打つ蕎麦は
他ではけして味わえない味だったのですが、
なぜそうなのかといえば、
それは味だけでなく、箸おきをはじめとしたしつらえが、
そう思わせたのではないかと、今にして思うのです。

本の前半は、カラーとモノクロの写真で、
魯山人の作品を紹介。
その後、生い立ちが綴られます。
作品からは知りえなかった魯山人の素顔は‥‥?

(伊藤まさこ)

2019-07-13-SAT