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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-09-23

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というけれど、
 これはもう、ほんとにそういうものだ。
 だいたいの人間が、
 じぶんが嫌いだと思っている人については、
 あらゆるところに嫌いのネタを探しまくる。
 こう書いているぼくなんかでも、そういうところがある。
 その袈裟を選んだのが、袈裟を着ているのが、
 あの憎らしい坊主なんだと思うと、袈裟まで憎くなるのだ。

 ただ、これ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という
 見事な決まり文句があるせいで、
 そこで思考停止してしまっているのかもしれない。
 このことばがなかったら、
 「坊主は憎いが、あの袈裟はいいなぁ」と、
 感じていたかもしれないではないか、どうかしらん。
 「坊主憎んで袈裟を憎まず」であるとか、
 別のナイスな決まり文句がうまく定着していたら、
 憎い相手に関わる一切合切を憎むようなことは、
 もうちょっと減っていたのではなかろうか(甘い?)。

 いやぁ、いわゆる「分断」と呼ばれることの多い
 世の中の「あっち」と「こっち」の争いでも、
 とにかく相手(敵?)への「全面否定」が目につく。
 たまに「是々非々でやります」という発言も見えるけど、
 ほとんどの場合が、相手(敵)の失点を増やすためなら、
 なんでもいいとばかりに全面攻撃を繰り返す。
 ネット上でも、そういう風潮が目立っていて、
 居心地のよくない空気が支配している。
 「敵と決めた相手のやること言うことは、ぜんぶ悪い」
 という責め立て方は、ちょっと離れて見ていると
 ものすごく狭量で不毛な争いにも思えるのだけれど、
 当人たちからしたら、少しでも失点したら負けの意識で、
 1ミリでも譲りたくないということなのだろう。
 そういうふうな膠着した場面で、
 「坊主は憎いけど、あの袈裟はいいなぁ」
 というようなことを言えたらかっこいいんだけどなぁ。
 意外なようだけれど、ビジネスの領域なんかだと、
 たとえ競争相手であろうが、互いに得になることなら、
 成立させようとすることがあるんだけどねぇ。
 「坊主が袈裟を取り替えて経を読む」とか言っちゃって。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「スポーツマンシップ」というものをもっと共有できたらな。 


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