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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-05-30

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いろんなことを思いついたら、それをメモしている。
 生意気ざかりのころは、メモしてなかった。
 「メモしなきゃ忘れちゃうようなことは、
 たいしたことじゃないから忘れてもいい」とかね、
 元気に言い放っていたけれど、そう思うならどうぞ、だ。
 ぼくの場合は、書き残すことがずいぶんじぶんを助けた。

 いま、これは書いておいてよかったなぁと思っているのは、
 ぼくなりの「ブランド論」の一行だ。

 ◆ブランドとは、余韻の積算である。

 このことについてしつこく解説したい気分もあるが、
 それは社内の「道場」でさんざん話したので、やめておく。
 しゃべりすぎを抑えようという気持ちもあるしね。
 あえて言えば、「余韻」ということばが大事だ。
 仏壇にある「おりん」を叩くと、しばらく鳴っている。
 あの「ちーん」のあとの「うぁ〜〜〜ん」という響き。
 その「余韻」がたえず足されて増えていくとしたら、と。
 そんなことを、いろんなブランドを例に考えてみる。
 いや、「おりん」が小さすぎるなら、梵鐘と考えてもいい。
 鳴り続けている「余韻」の「総和」がブランド価値である。
 この考え方で、さまざまな「ためし算」をしてみると、
 とてもおもしろいし、意外な新しい発見がある。

 もうひとつ、ずっと気になっているメモがあって。

 ◆思わせぶりとはなにか?

 これも、前述の「余韻」に似ていることかもしれない。
 いい「思わせぶり」というのは、とてもいいものだ。
 文学にしたって、演劇や歌にしたって、絵画にしたって、
 すばらしい「思わせぶり」の連続だ。
 経営とか事業、政治や宗教なんかもそうなんじゃないかな。
 しかし、へたな「思わせぶり」はみっともない。
 インターネット以後の時代は、
 だれでもがメディアを持てるようになったから、
 みんなが「思わせぶり」を世に発信している。
 いい「思わせぶり」と、へたな「思わせぶり」って、
 どうして見分けられちゃうんだろうとか、考えている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
よく言われる「ストーリー」という考え方も、近いのかもね。


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