糸井重里
・なにかができるようになると、
最初のころのできなかったときのことを忘れてしまう。
自転車に乗れる人は、どういうふうに乗れなかったか、
たぶんよく憶えてないでしょう?
水泳だとか、かけ算の九九だとかもたぶん同じ。
ぼくは、釣りをはじめてまもないころに、
いまの気持ちや、いま考えていることは、
いずれ釣りになれてくると絶対に忘れちゃうはずだから、
いちいち書いて記しておこうと考えました。
それは、当時「紙のプロレス」という雑誌に、
連載のスペースを持たせてもらうことで実現して、
やがては『誤釣生活』という単行本にもなりました。
初心者が、どう誤るか、どう空想するかは、
記憶しにくいだけに、記録しておくとあとでおもしろい。
誰でもみんな、もともと上手い人なんかいないわけで、
全員が初心者で、それぞれに下手なところだらけです。
なのに、ついついえらそうにしちゃうんですよねー。
ま、初心者ならではのミスについて、エピソード的に
笑いのネタにしていることは、よくありますけどね。
という話は、大人と子どもの関係としても言えるわけです。
子どものころは、いろんなことがわかってなかった。
長い竿を振り回せば夜空の月が落とせると思うのも、
身の回りのあらゆるものは自然にそこにあると思うのも、
たいていの大人なら「そうじゃない」と知ってることです。
それでも、子どもが大人以上に感じていることもあって。
うまく説明はできなくても悲しいこと、
理由はわからなくても好きとか嫌いとか、
たぶん無力であることがなんだか悔しいこと、
ひとりぼっちがとても怖いこと、
そんなことについて、子どもも感じていますよね。
でも、大人になるにつれて、そういうことも忘れていく。
まだ生きることの初心者だったときのことを、
たまには思い出してもいいかもしれません。
「初心忘れるべからず」は、人間ぜんぶに言えそうです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
年忘れの大晦日に、思い出しましょうとか書いてしまった。









