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ほぼ日のアプリあります。

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2018-06-25

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・あのころは、毎日のように
 他界した犬のことを書いていたが、
 どこかで決めごととして書くのをやめた。
 写真は、毎日探しては、「ドコノコカメら」の場所と
 アプリの「ドコノコ」のほうに掲載している。
 だから、毎日写真を探したり見たりを続けているので、
 ブイヨンを目に入れない日はまったくない。

 なかなか、去る者は日々に疎しという具合には
 忘れられるものではないのだけれど、
 忘れないのがいけない、ということでもなさそうなので、
 ひさしぶりに犬のことなんかを書くことにした。
 当初から言っていたことだけれど、悲しいのではない。
 悲しくはないのだけれど、さみしいという気持ちがある。

 14年以上も、同じ空間で過ごしてきたのだから、
 いて当たり前の景色のようにもなっているわけで、
 その景色を「修正」して過ごすのにも、
 けっこうな時間がかかるだろうということはわかる。
 特に、帰宅したときに「もうひとり」がいないのは、
 わかってはいるのに、まだこころが納得できていない。

 留守番をさせていた日の夕方に、
 家人との間でどっちが散歩させるかについて
 連絡をとりあう必要もない。
 急ぎ足で「散歩、待たせてごめん」と帰ることもない。
 温泉でも、海外旅行でも、いくらでも計画できるはずだ。
 だけど、そんなふうに得たはずの自由がうれしくもない。

 できることなら、忙しい夜に散歩に出ることや、
 うんこを拾って持ち歩くことや、
 おしっこシートをまとめて捨てることなんかしてみたい。
 ちっともうれしいことじゃなかったはずなのに、
 これはいったい、どういう気持ちなのだろうと思う。
 ろくでもないところも含めてなにもかもが、
 かわいくてかわいくてしかたがない。
 ぼくが食事をしているときに、ほしそうに見上げてくれ。
 ピーピー鳴るおもちゃを噛んで、うるさくしてくれ。
 とか言ってますけど、おとうさんたちは、元気です。
 いつも思い出させてくれて、ありがとね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まだ、しばらく、写真探しは続けますが、お許しください。


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