ずっと着る。MITTAN

ワンシーズンではなく、長く着られる服を。
それがMITTAN(ミッタン)の服作りです。

重ね着をすることで表情を変え、
じぶんが変わることで印象を変える服。

どんなときにも寄り添ってくれるMITTANの服は、
もし、生地が擦り切れそうになって、
着ることが減ってきても、
つくろったり、染めなおしたりすることができ、
あるいは、それを、だれかに譲ることもできる。
そうして生き続ける服を理想としています。

MITTANの服は、素材となる糸づくりから、
染め、織り、ニッティングに、
一流の技術と伝統が生きています。
世界のあちこちにのこる伝統的な衣服や布。
その歴史をひもとき、あらたな解釈をくわえた服は、
ふだん着としてカジュアルに着られますし、
ハイファッション、ハイブランドとあわせても
ひけをとらないかっこよさがあります。

MITTANの服は、京都をベースにした
デザイン&プロデュースのチームと、
日本各地の腕のよい職人さんとタッグを組んでうまれます。
女性が着ても、男性が着ても似合う、
ユニセックスなデザインとサイズ展開。
2022年から2023年の冬は、
こんなラインナップでお届けします。

三谷武さんのプロフィール

みたに・たけし
1981年生まれ。
高等専門学校でコンピュータプログラムを学び、
SEへの道を志していたなか、
ファッション雑誌で見た
モードの世界に魅かれて進路を変更、
文化服装学院アパレルデザイン科へ進む。
ハイブランド、ハイファッションに夢中になるいっぽうで、
ファッションで巨額の資金が動く生産の背景に
不当な労働を強いられている人々の存在を知り、
「そうじゃないものづくりを」と、
長く着られ、引き継がれる
「現代の民族服」をと考えるように。
アパレル2社の勤務ののち、
1年半ほどの準備期間を経て
2013年にMITTANを立ち上げる。
生地は遠州、播州、尾州といった
日本各地の機械織りの産地をはじめ、
インド、ラオスといった
アジア圏の手織りのものを主に使用。
可能な限り自ら直接機場に赴き、
独自の素材開発にも取り組んでいる。
現在の拠点は、京都・西陣。

●MITTANのウェブサイト
https://mittan.asia/

三谷武さんインタビュー 前編 修繕まで含めての「MITTAN」です。

あたらしいアトリエで。

このアトリエに越してきたのは2019年です。
それまでは、家の東側をアトリエ、西側が住まいという、
昭和の初めぐらいに建った
ふつうの一軒家を改築して使っていたんですが、
そこがすこし手狭になってきたタイミングで、
この場所をみつけることができました。
当時、僕は公私を分けるために、
毎朝、近くのお寺さんに行ってから、
あらためて「出勤」をしていたので、
住むところと働くところが別になったのは、
よかったなって思います。

ここは京都のエリアで言うと「西陣」です。
いわゆる西陣織で有名な織物の町ですし、
以前、近くの会社に勤めていたので土地勘もあります。
このあたりに移転できたらなあと思っていたら、
偶然、この、西陣織の「織屋(おりや)」だった
建物を見つけることができました。
西陣織の織機は背が高いので、織屋の建物は、
「織屋建」(おりやだて)と呼ばれ、
吹き抜けと中二階がある、
独特な京町家のつくりをしているんです。
ここの大家さんは老舗の帯屋さんで、
僕らが入る前は彫金のギャラリーだったそうで、
とてもきれいに使われていたので、
ほぼそのまま入居をすることができたんです。

あたらしいスタッフと。

この数年で、スタッフも増えました。
いまのメンバーは僕を入れて11人、
専門職としてはパタンナー、生産管理、
品質管理の者がそれぞれいます。
それから縫製部に2人、営業部が2人、
グラフィックデザインが1人。
人事の者と企画の2人は、
総務と染色を兼任しています。
そして僕──そんな11人です。
もともと1人で始めたブランドですけれど、
いまはそんなふうに分担ができるようになりました。
基本、僕がデザイナーで、
染めなどの仕事も結構やっていたんですけれど、
それもスタッフで分担ができるようになって。
藍染に関しては、染め場も、西陣に移したんですよ。
自宅の染め場も残して、
草木染はそこでやったりもします。

あたらしいスタッフのうち4人は、
東京からの移住組です。
コロナの影響は、仕事の面ではさほどありませんでしたが、
もしかしたらこれがその影響なのかもしれないです。
東京にいなくても大丈夫だと考えて、
京都で暮らしたいと思った人が、
たまたまMITTANを選んでくれた。
チームのなかには
誰もが知るアパレルブランドにいた人もいますし、
お直し屋さんで働いていた人、
老舗の履物屋さんで働いていた人もいます。
なかなかの凄腕が集まりましたね、
とおっしゃってくださるかたもいて、
ほんとうにスタッフに恵まれています。

「修繕」のこころみを。

最近のあたらしい試みとしては、
製品の買取です。
もう着なくなったというMITTANの服を、
当時の小売価格の2割で買い取っているんです。
原型がわかるものであれば、
着古した加減は問いません。
そしてそれを自社で染め直したり、修繕して、
あたらしい製品として世に出すんです。
もともと自社製品の修繕を受け付けていたので、
その延長線で買取りを始めたという感覚ですね。
でも、これは、自分たちとしては
すごく大きい出来事でした。
2021年の10月から始めて、
もう120着ぐらい買取をし、
いままさにリメイクをすすめています。

リメイクについての考えは、
「必要なところに手を加えたい」です。
たとえばそれがきれいな服で、
どこも傷んでなかったり、
色も褪せていなかったりするんだったら、
クリーニングをしてそのまま別な方にお渡しします。

けれども、もしその服がボロボロで、
このままじゃ着られない、っていう状態だったら、
染め直したり縫い直したり、しっかりリメイクをします。
同じような境遇のシャツを2枚重ねて、刺し子をするとか、
靴下だったら先っちょの部分は落として、
筒状の部分だけを使ったり。
つまり、リメイクそのものに
価値があるという考え方ですね。

ですからこのプロジェクトでの価格設定は、
手を加えた分プラス買い取った価格が原価になり、
そこから販売価格を算出します。
まっさらなきれいなものを買い取ると、
新品の4割ぐらいの価格で販売をすることになりますが、
ボロボロで、リメイクにうんと手をかけた服は、
元の値段よりも高くなることもあります。

デニムにしても、うんと履き古したものがいいと
考える人もいるわけで、
それがやっぱり「価値」ですよね。
アケビのカゴは、何十年も使ったほうが色つやがいいとか、
根来(ねごろ)の漆器も、使ううちに下地の色が出るとか、
そんなふうに新品とは違う価値があると意識するのは、
とても大事なことだと思っています。
「ほぼ日」さんでも、
以前、谷由紀子さんのラオスの布のプロジェクトで
紹介をしていましたが
ラオスの少数民族には、
昔の日本と同様に、布を何世代にもわたって使い、
最後まで使い切るという生活がありました。
https://www.1101.com/cloth2016/09.html
これも今回のリメイクに通底する価値観だと思います。

僕らがどんなにボロボロでも
古着を2割で買い取る、ということには
そんな背景や思いがあるんです。
どんな状態になっても2割で買い取るという
価値の担保があったら、
持っているその服はお金と一緒です。
だったら気安くは捨てないんじゃないかな、と。
僕らは、お金のために、
つくらなくてもいい服がつくられるという
いまの経済のありかたに対して、
何かしらアプローチがしたかったんです。

(予告2に続きます。)

2022-12-05-MON

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