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HPENews 「糞掃衣への想い」

ティッシュやトイレットペーパーなどない時代、
着古した服は裂いて
汚物処理に使うのが当たり前でした。
糞掃(ふんぞう)布というのでしょうか。
お釈迦様は、
弟子が身体にまとう布はどうすればよいか
と質問したとき、
そんな糞掃布を継いで1枚の布にしてまとえばよい、
と言われたそうです。
それを「糞掃衣」(ふんぞうえ)と言うそうです。

聖徳太子も糞掃衣をまとい、修行されたそうです。
激しい労働に耐え、汗を吸い、汚れた服が解かれ、
洗われ、新たに縫ってつながれて、
新しく1枚の袈裟になった姿を想像すると、
布の表面の美しさだけではない、
美しさのある布なのだろうと妄想が膨らみます。

レンテンの人たちの暮らしには、
昔の暮らしの匂いがまだまだ残っています。
畑で育てた綿花を紡ぎ、
布を織り、藍で染め、縫い、
自分の衣装を作ります。
毎日、その衣装を着て、山や田で働き、
その衣装は、ぼろぼろになると、
糞をふく布として使われ、消えていきます。

レンテンの人たちの布で、
糞掃衣をかたちにしてみたい
という気持ちが強くなりました。
村人の着古した衣装を回収し、解き、洗い、
新たにつなぎ、1枚の布にしていきました。
はじめ、村人は、なんでこんな着古した布に、
私が興味を持っているか、
理解できない様子でしたが、
新たに丁寧に縫ってつないでいくと、
新しい布にはない美しさが
生まれてくることを感じたようで、
「こんなきれない布になるなんて思わなかったよ」と
新鮮な気持ちで仕事に取り組んでくれています。

出来上がった布、私は美しいなあと思います。
ただ、消えていく直前の布なので、
少し強くひっぱるだけでも破れます。
優しく静かに使う用途にしか向きません。
でも、そんな布だからこその美しさを私は感じます。

HPENews 2011年11月