REPORT

ヘルシンキ 森下圭子さん[1]
「キートス・ヘイヘイ!」、
ディスタンス10メートル。

コロナ禍のなか、伊藤まさこさんが、
世界各国の9つの街に住む友人たちと
オンラインで話をしたのは、
ちょうど1年前のことでした。
「1年後にはきっと会えるね」
‥‥なんて、そのときは思っていたのに、
いまも、わたしたちの暮らしは、ままならないまま。
ひさしぶりにみなさんに連絡をとり、
それぞれの様子を綴っていただくことにしました。
遠い町のようすを、たっぷり、連載でおとどけします。

(前回のオンライン対談は、こちらからごらんくださいね。)

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


森下圭子さんのプロフィール

もりした・けいこ
1969年生まれ。
ムーミンの研究がしたくて
1994年の秋にフィンランドへ
夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、
冬は寒中水泳が好き。
現在、ヘルシンキ在住。

「取材や視察のコーディネートや通訳、
翻訳の仕事をしています」

訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、
ミイのおはなし絵本シリーズ、
『ぼくって王さま』
『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』などがある。
映画『かもめ食堂』の
アソシエート・プロデューサーとして
初めて映画の仕事を体験。
「ほぼ日」では2004年から2005年にかけて
『サンタの国、フィンランドから。』を、
2009年から2012年にかけて
『フィンランドのおじさんになる方法。』を連載。
2015年には作家・重松清さんのインタビュー、
『トーベ・ヤンソンの人生を、ぼくたちはもう一度生きる。』
にも登場している。

■Instagram


どこからお話しましょうかと、
1年前の対談を読み返したりしています。
あれから1年。
フィンランドでも私の暮らす首都ヘルシンキは、
3月に入り、これまでで一番深刻な状況に
なってしまいました。
集中治療室が足りず別の地域に搬送という
報道もあったりして。
当然ですが、あちこちが閉鎖されたり、
行動を制限されたりの日々を過ごしています。

▲季節が巡って春がやってきました。海ももう凍っていません。

今も外を歩けば、1年前と同じように
窓辺にクマのぬいぐるみを見かけます。
でも近所のフランス人のパン屋さんが別れ際に
「キートス・ヘイヘイ!」と
フィンランド語で挨拶するようになっていて、
1年という時間の長さを実感します。
1年前の「オウヴォワール」というフランス語の挨拶も、
それはそれで異国情緒があって、
お客さんたちがつられて「オウヴォワール」と
少し恥ずかしそうに応える響きも好きでした。

▲冬はヘルシンキの海がこんな風に凍り、
海の上を散歩したり遊ぶことができました。

夏には新規感染者数がゼロだったこともあるフィンランド。
あの時はいよいよ収束かと期待していたのに、
秋が深まるにつれてどんどん感染者数が増えていき、
改めて自分に何ができるか、
私たちは試行錯誤する日々になった気がします。
手探りすぎて、卵の移動販売を待つ人の列が
ディスタンス前後10メートルになっていたときには
笑ってしまいましたが、
それくら真剣だったんですよね。
やがて5メートルくらいになり、
最近は3メートルくらいで大丈夫かしらって。
こんな感じで私たちはスーパーやスポーツジムで、
外を散歩しているときも、
相変わらず答えが分からない中で、
お互いの塩梅を探りながらやり過ごしている気がします。

▲暖冬と思っていたところへ急にやってきた極寒。
おかげで気嵐も見られました。

1年前の私は「想像力」を特に大事にしていて、
今もそれは変わらず大切にしていることですが、
それに加えて「対話的である」という姿勢を
意識するようになった気がします。
手探りでいい、正解が見つからなくてもいいから、
対話的であり続ければ、関係性が断たれなければ、
いずれは何か答えのようなものが見つかるかもしれないし、
そうこうしているうちに収束するのかもしれない。
対話的であり続けるということは、なんだろう、
希望というのは
苦しくなると見えにくくなることもあるけれど、
対話的であり続けるということは、
苦しいときにも意識しやすくて、
そして対話的であり続けるというのは、
私にとっては希望を持ち続けることに繋がるような、
そんなイメージです。

▲バーニー・サンダース、世界じゅうで流行りましたよね。
久しぶりに友人に会え、ついこんな遊びを。

2021-05-05-WED