ほぼ日では、
どんな人たちがはたらいているのだろう。
インターン生がインタビューしました。

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ここは、さなぎの中のような場所

ほぼ日でどんなことをしているんですか?

 

「ほぼ日の學校」の學校長として、
プログラムの企画・制作・編成・運営など
総合プロデュースをするのが仕事です。
「ほぼ日の學校」は2018年1月に始まって、
この春、大きく生まれ変わる予定です。

私はもともと出版社で雑誌の編集をしてきましたが、
2017年春にほぼ日に入社し、
学校の立ち上げからいまの仕事をしています。

糸井さんからオーダーされたのは、
「古典」をたのしく学びなおす場づくりです。
単に教養として「古典」をお勉強するだけでなく、
「ごくごくのむ古典」。
つまり、講義を聞いた人たちが、
渇いた喉を潤すように、
自分のこれからの人生に繋げていけるような、
「生きた学び」「学び本来のたのしさ」を
体感してもらうのが願いです。

古典というと、私たちの日常感覚からは縁遠い、
学問の研究テーマか、
趣味の領域のように思われがちですが、
過去はつねに新しく、創造的な発想の
宝の山がそこにあります。

それをどうやって分かりやすく、おもしろく、
新鮮な切り口の授業にするか。
シェイクスピアならシェイクスピア、
万葉集なら万葉集の、
講座全体のテーマ設定を考えて、
講師のラインナップ、
個々の授業の内容や演出、
受講生とのコミュニケーションなど、
全体をプロデュースするのが役割です。

自分自身でディレクター的なこともやりますので、
プロデューサー兼ディレクターという感じでしょうか。

 

ほぼ日に入ったきっかけを教えてください。

 

糸井さんとは長いお付き合いがありました。
1998年6月6日に
「ほぼ日刊イトイ新聞」が始まりますが、
ちょうど同じ年の3月に、私が編集長をしていた
女性雑誌がリニューアルします。

糸井さんには連載企画を頼んでいました。
そのころから、ほぼ日がめざそうとしていることと、
私が雑誌でやろうとしていることが
ところどころ重なったり、
繋がったりする共鳴部分がありました。
糸井さんの関心や「ほぼ日」の展開と、
私が編集者として考えていることが、
いろいろ響き合ったりして‥‥。

その後、私が新潮社で「考える人」という
雑誌の編集長をしている時に、
糸井さんから、まだ漠然とした構想段階の
「学校」の話を聞くようなこともありました。

そうこうするうちに、私が会社を退くことになり、
糸井さんにそのことをお伝えしたら、
「じゃあ、ほぼ日の学校をやってくれませんか」
という話になって、
そのまま、ほぼ日に入ったという経緯です。

 

ほぼ日を一言で言うとどんな会社ですか?

 

つねに自らを更新しようとしている会社。
混沌とした蛹(さなぎ)の中を想像することもありますね。

まだ形を成していないかも知れないけれど
そこには確かな生命が芽生えていて、
これからどういうふうに
羽化していくのか、
ワクワクさせてくれる場所。

パターンの決まった仕事ではなく、
アイディア勝負のコンテンツを
生み出し、届ける活動の場。
可能性という、あってなきに等しい何かに向かって、
まさに「夢に手足を」の会社かな。

(取材/清水・西村 構成・文/白神)

2021-02-09-TUE

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