もくじ
第1回無意識の天狗 2016-05-16-Mon
第2回業界のために!…ってほんと? 2016-05-16-Mon
第3回今日、3年後を考える 2016-05-16-Mon
第4回友達になりたい 2016-05-16-Mon
第5回個人の名前でできることを 2016-05-16-Mon
第6回仕事はつらいよ 2016-05-16-Mon
第7回1回だけ「どうだ」って言わせて 2016-05-16-Mon
第8回一緒に見上げるエベレスト 2016-05-16-Mon
第9回気休めの、鬼 2016-05-16-Mon

大阪で生まれ育ち、京都で大学生活を送り、2011年に上京。
2015年10月の初取材をきっかけに目が覚める。
取材した記事を公開前夜に読み返す時間が好きです。

組織を作るとショートケーキのいちごをあげることが嬉しくなるよね。

第5回 個人の名前でできることを

糸井
古賀さんは震災があった時は、
自分の考えをどう納めようと思った?
古賀
僕はその時cakesの加藤さんと
5月に出版予定の本を作ってまして、
もうすぐ入稿というタイミングでした。
でもここでこのまま震災に何も触れずに
その本がポンと出てくるというのは
明らかにおかしいよね、って話をして。
なので本のテーマとは全然関係なかったんですけど、
現地取材に向かいました。
 
でも行ったのが4月だったので、
その時はほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で…
糸井
4月はまだ、行くだけで大変な状況ですよね。
古賀
はい、交通手段も限られてるような状態でした。
そしてその時に思ったのは、
もう今のこの状況は自衛隊の方とかに任せるしかない、と。
じゃあ東京にいる僕らにできるのは、
自分達が元気になることだなと思ったんです。

古賀
自分たちがここで下を向いてつまんない本作ったりとか、
自粛したりとか、そういうことになるんじゃなくて…
 
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに俺たちちゃんと頑張ろうよ、というような、
意識を逆に西に向けてた時期ですね。
俺たちがちゃんとやらないと東北の人たちも
立ち直ることがなかなか難しいだろうからって。
 
それしか、瓦礫をみたときの迫力が…
糸井
無量感ですよね、まずはね。
古賀
そうですね…。
何もできないなと思ったので。
糸井
あぁその、
「何もできない」という思いは、
ずーっと形を変えて、
小さく僕の中に残ってますね。
古賀
あぁ…。
糸井
やった人たちに対する感謝とね。
古賀
はいはいはい、そうですね。
糸井
やっぱり、今は瓦礫ないんですからね。
古賀
ほんとに、20年位かかるだろうなと思いました。
糸井
思いますよね。もう今は気配ないですよ、ほんとに。

糸井
僕は自分の肩書きじゃなくて、
個人の名前としてどうするかっていうのを、
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
でないと間違うなと思ったんです。
 
僕は歌い手だから、って被災地へギターを持って
出かけていった人がいっぱいいたけど、
君は来て欲しいけど君は来て欲しくない
ってことは、絶対あったと思うんですね。
古賀
そうですね…。

糸井
職業によっては今何も役に立たなくて、
来てもらっちゃ困る、
というようなとこに行くことだってあるわけで。
 
でも僕にできることはなんだろう?って発想って、
自分が歌い手だったらついギターを持って行くわけでね。
 
それは違うんだろうなと思って。
僕はだから、豚汁を配る場所で列を真っ直ぐにする、
みたいな手伝いとかね(笑)
その発想の延長戦上で僕らは何ができるか?
ということをできる限り考えたかったんですよね。
古賀
あぁ、そうですよね。
糸井
あの時、映画を作ります!じゃあお金出します!
ってすごくちゃんとした人がいたのも、
お節介に止めたことがあったりしましたね。
半端に生ぬるい被災地の物語を
みんなで作ってもなんの意味もないと思って。
まだ出番はあるから、みたいな言い方してね。 
 
…そしてそれは同時に自分に言ってた気がする。

糸井
でもずっと悩んでました。
何ができるかわからなかったから。
 
だから被災地の人と友達になって、
友達の御用聞きするって決めましたね。
古賀
その友達っていう最初の起点が
他の人とは違うんだろうなと思いますね。
糸井
その辺りの姿勢や態度については、
社内の人とも不思議なくらい通じ合えましたね。
だから態度についてはこらからも
間違わないんじゃないかなというような気がします。
 
間違わないぞ、ということでもありますよね。

(つづきます)

第6回 仕事はつらいよ