
- 糸井
- 古賀さんは震災があった時は、
自分の考えをどう納めようと思った? - 古賀
- 僕はその時cakesの加藤さんと
5月に出版予定の本を作ってまして、
もうすぐ入稿というタイミングでした。
でもここでこのまま震災に何も触れずに
その本がポンと出てくるというのは
明らかにおかしいよね、って話をして。
なので本のテーマとは全然関係なかったんですけど、
現地取材に向かいました。
でも行ったのが4月だったので、
その時はほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で… - 糸井
- 4月はまだ、行くだけで大変な状況ですよね。
- 古賀
- はい、交通手段も限られてるような状態でした。
そしてその時に思ったのは、
もう今のこの状況は自衛隊の方とかに任せるしかない、と。
じゃあ東京にいる僕らにできるのは、
自分達が元気になることだなと思ったんです。

- 古賀
- 自分たちがここで下を向いてつまんない本作ったりとか、
自粛したりとか、そういうことになるんじゃなくて…
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに俺たちちゃんと頑張ろうよ、というような、
意識を逆に西に向けてた時期ですね。
俺たちがちゃんとやらないと東北の人たちも
立ち直ることがなかなか難しいだろうからって。
それしか、瓦礫をみたときの迫力が… - 糸井
- 無量感ですよね、まずはね。
- 古賀
- そうですね…。
何もできないなと思ったので。 - 糸井
- あぁその、
「何もできない」という思いは、
ずーっと形を変えて、
小さく僕の中に残ってますね。 - 古賀
- あぁ…。
- 糸井
- やった人たちに対する感謝とね。
- 古賀
- はいはいはい、そうですね。
- 糸井
- やっぱり、今は瓦礫ないんですからね。
- 古賀
- ほんとに、20年位かかるだろうなと思いました。
- 糸井
- 思いますよね。もう今は気配ないですよ、ほんとに。

- 糸井
- 僕は自分の肩書きじゃなくて、
個人の名前としてどうするかっていうのを、
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
でないと間違うなと思ったんです。
僕は歌い手だから、って被災地へギターを持って
出かけていった人がいっぱいいたけど、
君は来て欲しいけど君は来て欲しくない
ってことは、絶対あったと思うんですね。 - 古賀
- そうですね…。

- 糸井
- 職業によっては今何も役に立たなくて、
来てもらっちゃ困る、
というようなとこに行くことだってあるわけで。
でも僕にできることはなんだろう?って発想って、
自分が歌い手だったらついギターを持って行くわけでね。
それは違うんだろうなと思って。
僕はだから、豚汁を配る場所で列を真っ直ぐにする、
みたいな手伝いとかね(笑)
その発想の延長戦上で僕らは何ができるか?
ということをできる限り考えたかったんですよね。 - 古賀
- あぁ、そうですよね。
- 糸井
- あの時、映画を作ります!じゃあお金出します!
ってすごくちゃんとした人がいたのも、
お節介に止めたことがあったりしましたね。
半端に生ぬるい被災地の物語を
みんなで作ってもなんの意味もないと思って。
まだ出番はあるから、みたいな言い方してね。
…そしてそれは同時に自分に言ってた気がする。

- 糸井
- でもずっと悩んでました。
何ができるかわからなかったから。
だから被災地の人と友達になって、
友達の御用聞きするって決めましたね。 - 古賀
- その友達っていう最初の起点が
他の人とは違うんだろうなと思いますね。 - 糸井
- その辺りの姿勢や態度については、
社内の人とも不思議なくらい通じ合えましたね。
だから態度についてはこらからも
間違わないんじゃないかなというような気がします。
間違わないぞ、ということでもありますよね。

(つづきます)