- 糸井
- 僕はね、「大変だったね」って言われた時に
ずっと思ってることは1つなんです。
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうかなんですよ。 - 古賀
- あぁ。

- 古賀
- 糸井さんは震災の時に、
「当事者じゃなさすぎる」
という言い方をされてたじゃないですか。
特に福島との付き合いとか距離感の問題とか。 - 糸井
- 僕が震災にあった人達と
「友達になりたい」っていうのを早くに言った理由って、
友達が言ってくれたんだったら聞けると思ったんです。
多分、親戚って考えてもダメなんですよ、僕には。
そして家族って考えると大きすぎるんですよね。
それはもう当事者に近い。 - 古賀
- そうですね。
やっぱり当事者になることはできないので、
そこの距離感を考えるヒントやきっかけが、
友達ということになるんですかね。

- 糸井
- 例えば福島に転校して行った友達がいて、
「あいつ今頃どうしてるかな?」
とふと思った日に震災があった。
そう考えると、
「あいつとはこういう付き合い方したいな」
って考えられたり、
「お前本当にマズイな」って
冗談言いながらやり取りできるみたいな。 - 古賀
- うんうんうん。
- 糸井
- それで1本考え方が見えたかな。
やっぱりそうじゃない人からいろんなこと言われても、
「ありがとう」って言うけど、
その後に「ございます」が付くんだよね。 - 古賀
- あぁ、なるほど…。
- 糸井
- いつか、誰と誰に何されたから返さなきゃ、とかさ。
俺の場合はそれを思っちゃうたちだと思って、
みんながそんな俺の意地っ張りみたいな部分を
ストレートにわかってくれたり、
普通に「ありがとう」って言ってくれるみたいな
関係になれたらって…俺はなれたかな。

- 糸井
- あるいは、
俺が普通のありがとう以上のことを
恩着せがましくしたら、彼ら・彼女らは
「ありがとう」って言わないと思うんですよね。 - 古賀
- そうですね。
でも糸井さんやほぼ日の活動を見てると、
言い方が難しいんですが、
しっかりと正しい道を選んでるなという感じがして。
震災に関わるって決めた時に、
世間的にいいことに見えたり、
慈善活動に見えることって
いい面と悪い面とあるじゃないですか。
俺たちは良いことをやってるんだ、
というふうに自分を規定しちゃうと、
結構間違ったことをしがちというか。

- 糸井
- それはやっぱり吉本隆明さんですよね。
吉本さんが前々から
「いいことやってる時は悪いことやってると思え、
悪いことやってる時はいいことやってると思え」
ぐらいに全く逆に考えるということを言ってて。
中にはあげればあげるほどいいと
思ってる人もいるじゃないですか。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- でも、それは絶対違いますよね。
向こう側から僕を見て、
余計なことをって思えるようなことをしていないかな、
っていつも考えるようになりましたね。
だから例えば東京で大震災があった時に、
着古したセーターを送ってくる人もいれば、
自分の身を顧みずにやってきてくれる人もいる。
そういった色々なことを、
ごく自然なこととして見られるだろうか。 - 古賀
- ははぁ。

- 糸井
- ありがとうって言いっぱなしで
何年も生きていけるだろうか。
俺の場合はきっと、ものすごく焦って
事業欲がでるような気がする。
ここからすごい成功してみせる!みたいな。
それは僕の本能なんだと思うんだけど、
それが震災の時に東京にいて
刺激されたような気がしますね。

(つづきます)